閉じる
奥 穂 高 岳

1999年(平成11年) 8月7日(土)-9日(月)




コース・タイム
8月7日(土)
 自宅(6:08) ⇒ 駅東ホテルスカイ駐車場 → JR宇都宮駅(6:50)
 JR宇都宮(7:00) ⇒ なすの ⇒ 東京(7:56-8:05) ⇒ 新宿(8:20-9:00) ⇒ あずさ53 ⇒ 松本(11:56)
 松本(12:15) ⇒タクシー⇒ 上高地(13:54)
  上高地T(14:09) → 明神(14:55-15:20) → 徳沢(16:05-18) → 横尾山荘(17:20-泊)
8月8日(日)
  横尾山荘(5:50) → 本谷橋 (7:14-25) → 涸沢(9:44-昼食-10:20) → ザイテングラード取付点(12:10-23) → 穂高岳山荘(14:20-泊)
8月9日(月)
  穂高岳山荘(6:22) → 奥穂高岳(7:15-40) → 紀美子平(9:22-30) → 岳沢ヒュッテ(11:45-昼食-12:25) → 河童橋(14:45)
 河童橋(15:30) ⇒(タクシー)⇒ 松本(17:20-夕食)
 松本(18:31) ⇒スーパーあずさ14⇒ 新宿(21:16) ⇒ 東京(21:32) ⇒ やまびこ ⇒ 宇都宮(22:23)
 宇都宮駅 → 駐車場 ⇒ 自宅(23:00)

同行者
 キクさん夫妻,妻

8月7日(土) 

○ 上高地まで
 予定時刻に自宅を出た。天気はあまり良くない。駅東にある,キクさんの知り合いの 駐車場前でキクさん夫妻の来 るのを待つ。めずらしく遅い。約束した6時40分ちょうどに現れた。 JR宇都宮駅 まで歩いたが,2泊3日ということで,さすがに荷物が重い。私のザックが約 13キロ ,妻のザックが約 8キロ である。早くも汗をかいた。
 宇都宮⇒東京⇒新宿 と順調に着いた。 新宿駅 で時間があったので,どこかでコーヒーでも飲もうかとしたが,そのような落ち着ける 場所は見つからなかった。しかたなく,ホームで 「あずさ号」 の入線を待った。
 新宿を過ぎると空模様が怪しくなり,所々雨が降ってきた。車窓からの展望も楽しみ にしてきたのだが, 南アルプス,八ヶ岳 など,遠くの山は殆ど見えない。
 定刻通り 松本駅 到着。天気は晴れでとても暑い。直ぐに駅前でタクシーに乗る。こちらは雨が殆ど降っ ていないとのこと。 奈川渡ダム, 釜トンネル と順調に進んできたところ, 大正池の少し先の当たりから渋滞 が始まった。大型バスが駐車場に入れず,路上で待機しており,片側で交互通行をして いるのが 原因だった。上高地を目前にして 30分以上 かかった。

○ 横尾山荘まで
 河童橋 手前の 梓川 の河畔で身支度を整え,歩き出した。
 岳沢の奥の奥穂高岳はガスの中


 明神 まで45分で着いた。そこで 明神池 へ行ってみようと言うことになったが,行ってみてがっかり。特に見るべきものは何も なかった。おまけに,池の周辺に入るには入場料を取られる。入り口でUターンして,もと来た道 を明神まで戻った。30分ほど時間を無駄にした。
 明神橋は美しい吊り橋



 徳沢は賑わっていた。 穂高 だけでなく, 蝶ヶ岳 への登山基地でもあるのだ。
 徳沢園

 徳沢園 の前の小さな流れをわたって樹間の道にはいると,陽が西に傾いたせいか,薄暗くなり, 何となく心細くなる。傾斜はおおきくはないのだが,けっこう懸命に歩いたので,足の平が痛くな った。
 横尾山荘 に着いたのは17時20分。4人の親子連れと同室になった。布団が8枚敷ける広さは 恵まれている。
 夕食は,5時,6時,7時の3交代制で,食堂への先着順だった。6時からの食事に なった。既にビールを飲んでおり,食事の時にはその残りを持っていった。
 フロもあり,快適だった。ラウンジで ビデオの放映 があったのでみんなで見た。夕方は霧に包まれたが,夜半には晴れたようだった。窓か ら星が見えた。


 8月8日(日)

 朝は 4時半 には明るくなったので,起き出して身支度をした。天気は最高,見える空のどこにも雲 のかけらさえ見えない。5時からの朝食には,20分前から並んで先頭で食堂に入った。4時50 分だった。食事をしている間に 前穂高岳がモルゲンローテ に輝いた。山頂の一部が横一線オレンジ色に輝いたかと思うと,瞬く間に輝きが山服を 駆け下りてくる。
 横尾山荘

 横尾出発

 山荘に頼んだ 昼食 は,パンで,小さなパン3個,オレンジ1個,ジュース1個,チーズなどだった。パン の入った袋は気圧の関係でパンパンに膨らんでいる。かさばるので,小さな穴をあけて小さくして ザックに入れた。ゆっくり身支度し,5時50分に出発した。

○ 涸沢まで
 横尾谷 に沿って少し進むと, 屏風岩 が姿を現してくる。 ついたて岩 を登る2人を双眼鏡で確認することができた。
 さらに, 屏風岩 の正面に回り込むと,岩登りをしているパーティーを肉眼でも見ることができた。 北穂高岳頂にある北穂山荘 も見えてきた。 奥穂高 はまだ見えない。
 屏風岩の向こうに北穂高岳


 本谷橋 までは緩やかな登りで,標準タイムの90分を5分縮めて到着した。 本谷橋 からはいよいよ本格的な登りが始まる。
  本谷橋を渡ったところで休憩


 背後に東天井岳が見えてくる


 屏風岩 を回り込みながら高度を上げていくと,まず, 涸沢槍 から 涸沢岳 の稜線が見えてきた。
 涸沢岳,涸沢槍も見えてきた


 ついに 穂高岳山荘 のある 白出のコル が見えてきた。 小屋の赤い屋根が肉眼でも見ることができる。それにしても,首が 痛くなるくらい上を向かないと目に入らない。何という高さだ。ここが2100m,山荘のある ところが,2983m, 800m以上の高度差 がある。
 奥穂高岳が見えてきた


  涸沢の手前で最後の休憩

 三叉路を 「涸沢ヒュッテ」 のほうに進んだ。涸沢の 「パノラマコース」 を通りたかったからだ。このコースはお花畑の中を通るという。涸沢ヒュッテまで, 本谷橋から2時間20分かかった。(標準タイム2時間)  涸沢ヒュッテのベンチで昼食 とした。35分ほど掛けてゆっくり休んだ。
 ヒュッテ前からザイテングラードを見上げる


○ 穂高岳山荘まで
 涸沢ヒュッテ から ザイテングラード の取り付き点までがきつかった。1時間50分(標準タイム1時間30分) かかった。
 太陽を遮るものが全くなく, 陽射し が容赦なく照りつける。足元は,大きな石がきちんと並べられ,歩きやすいようになっ ていたが,自由な歩幅というわけにはいかず,苦しかった。
  パノラマコースをザイテンに向かう


 振り返ると 涸沢のテント場 が見える。今日はテントの数は少ない方だ。


 自分自身苦しかった ので,周りに気が配れず, 妻がずいぶん参っていたのに気が付かなかった かわいそうなことをした。もっと休みを多く取れば良かった。 お花畑と言われるもの はあったが,たいしたものではなかった。
 ザイテングラードの取り付き


 ザイテングラード の登りもきつかった。しかし,ここまでくれば時間の問題なので,少しずつ,休み休み 登った。
 ザイテングラードから涸沢ヒュッテを見る


 ザイテングラード を約2時間で登り切った。さすがに登り切ったときはうれしかった。他の3人と握手を 交わした。午後2時20分。 朝出発してから8時間30分で,標高差約1400mを 登り切った。


 山荘 の中はさすがにせまい。棚ベッドの上階で, 1人約0.5畳 ザックを置く場所もない。まとめて壁のフックに掛けた。

○ 雲上のテラスで
 着替えて,外に出た。山荘の前の石畳にあぐらをかき,車座になってビールを飲んだ。 誰が名付けたかここを 「雲上のテラス」 というのだそうだ。持っていった350ccのナポレオンも格別に美味しかった。
 雲上のテラス


 バンザイ

 私たちが景色を堪能していると, 山荘オリジナルのTシャツを着た人が話しかけてきた 。 おもしろいTシャツで,背中に稜線の絵と, 英語もどき(ローマ字) の文字がはいっている。このTシャツは残りが少なく,もうじき売り切れるとのこと, さっそく買ってきた。
 山荘のオーナー,スタッフと


 オーナーの今田 英雄さん,岐阜県山岳警備隊の谷口  光洋さん


 いろいろおもしろい話をきいているうちに 「ところで,わたしがここのオーナーだってこと知って話してる の?」 と。私がおそるおそる 「英雄さんですか?」 ときくと, 「なんだ,知っているんじゃない」
 今田英雄 さんは,穂高で最も早く山小屋をこの地に開いた 今田重太郎 さんの で,知る人ぞ知る有名人。私も名前は知っていたが,顔は知らなかった。気むずかしい 人で,気が向かないと一緒に写真にも入らない人らしい。このときは上機嫌で, 涸沢 のあなぐらのような所にいる 長野県山岳救助隊 の話や,燕山荘が「山と渓谷」に出そうとした 「女性求む」 の広告の話,長野県で出した案内に穂高岳山荘が載っていない話などいろいろ話してく れた。一緒に写真も撮ってくれた。
 前列 左端が私の弟,2人目が穂高岳山荘のオーナー 今田英雄 さん。その隣が山岳画家の 田立靖彦 さん。右端は,穂高岳山荘に常駐している岐阜県警察山岳警備隊の 谷口光洋 さん。谷口さんのことは, 山と渓谷社発行 「山靴を履いたお巡りさん」 に詳しく書いてある。 2列目 左端が弟の妻。二人目が私の妻。最後列が私。


 英雄さんが小屋に戻ると何かを持ってきて,私たちにくれるという。 「風と太陽の稜線で 穂高岳山荘物語」 というビデオテープだ。
 穂高岳山荘は岐阜県と長野県の県境に建っている。 今田さんは岐阜県の出身 である。
 西側の岐阜県側からガスがかかってきた。今日は夕日は見られないだろう。
 夕食(5時から)は 部屋ごと に呼び出されてとった。私たちの「浅間山」は最初の組だった。外が暗くなったので部 屋に入り横になった。ベッドの上段は暑い。毛布と掛け布団が用意されていたが,掛け布団は必要 なかった。しかし,置くところもなかったので足下に置いたので,ますます窮屈になった。疲れて はいるが,なかなか寝付かれない。 結局,2〜3度うとうとしただけで夜明けを迎えた  夜中に,外に出て,星空を見たかったが,そのためには,寝ている人を何人かまたい で行かなければならず,あきらめた。


8月9日(月)

 4時少し過ぎには空が明るくなり始めた。早いグル−プは3時頃から動き始めており, 山頂で御来光を迎える ために出発していった。
 4時半には起き出して外に出てみた。 東の地平線 が明るくなり始めている。下弦を4〜5日過ぎた 月が輝き 冬の星座の オリオン座 が見える。雲は全くない。風も比較的穏やかだが, 涸沢 から吹く上げてくる風は冷たい。結局,寒さと戦いながら,4時50分ごろの日の出まで 30分以上も立ちつくしてしまった。
 涸沢岳の頂上 には,御来光を迎えるために登った多くの登山者の姿が見える。 常念岳の肩の上方の地平線で,一点に閃光が走ったかと思うと, 一瞬のうちに太陽が顔をだした。 陽が昇ると,小屋の前に集まっている人たちの顔が,みるみるオレンジ色に光り出す。
 常念岳の肩に登る朝日


 雲海の上に八ヶ岳


 私たちは,余韻に浸る間もなく,朝食を食べるために食堂に駆け込んだ。第1回目の 座席に少し余裕はあったが,4人グル−プということで,次の回にまわった。食事をし,身支度を して 出発できたのは6時20分 過ぎだった。

○ 奥穂高岳へ
 山荘わきのハシゴ場 は,いつもながら混雑している。登る人だけでも多いのに,山頂で御来光を迎え下って くる人がかなりいるため, 交互通行 となり,かなり時間を費やした。
 約55分(標準タイム50分)で 奥穂高岳 の山頂についた。  山頂は大変に混雑していた。山頂標識はみあたらない。とりあえず, 小さな祠 のまえで記念写真を撮った。 反対側に大きな石積みがあり,この場所が最高点のようだが,混雑していてなかなか 近づけない。
 奥穂高岳山頂


 この石積みは, 今田重太郎 さんが, 奥穂高岳 (3190m)を日本で第二の標高にしようと,南アルプス 北岳 の3192.4mを追い越そうとして積み上げたものだと言う逸話がある。しかし, 北岳を追い抜くことは,残念ながら,まだできていない。
 槍ヶ岳の手前に北穂高岳,奥に東釜尾根から白馬まで見える


 ジャンダルム 


 最高点の東側にやや広い場所があり,休憩とした。私が持っていった カメラの調子が悪い シャッターの切れる音が遅い。正しくシャッターが切れていないとしたら,全て露出 オーバーとなってしまう。 ミラーの戻るのだけが遅いのかも知れない。それならば,写真はちゃ んと写っているのだが。妻の持っているコンパクトカメラはフイルムが残り少ない。
 頂上に25分ほどいて, 吊尾根 を通って 紀美子平 へ向かって出発した。
 吊り尾根
 奥穂高岳を振り返る。 吊り尾根の向こうに奥穂高岳

 頂上直下のほか,いくつかの難所があったが,慎重に通過した。まさに 雲上の尾根道 で,緊張はしたが,すばらしかった。1時間40分で 紀美子平 についた。
 紀美子平は, 穂高岳山荘 を開いた 今田重太郎 で,山荘のアイドルだった 紀美子 の名前をとって付けられた。 紀美子は若くして他界し,紀美子の兄の英男氏が山荘の経営を継い でいる 紀美子平から 前穂高岳山頂 往復には約1時間かかるが,登山者が多く,非常に混雑しているため,時間がどのくら いかかるか読めない。予約したタクシーの時間が決まっているので,思い切って 前穂高岳山頂を諦める こととした。残念だが仕方ない。

○ 下山
 ここから 岳沢ヒュッテ までの下りは,とてもたいへんだった。 クサリ場 ハシゴ もあり,極めて急な崖の下りである。 ヒュッテの赤い屋根 が見えているのになかなか近づかない。 両足の親指の腹にまめができ てしまった。踏ん張りがきかない。膝や足首が痛くならないのが幸いであった。汗をあ びるほどかいた。水は十分持っていったので,たくさん飲んだ。
 岳沢ヒュッテ まで2時間15分(標準タイム2時間)かかった。ここで 昼食 とした。ヒュッテについてすぐに 炭酸入りの飲み物 を飲んでしまったので,弁当があまり入らない。
 今朝から,排尿がおかしい。尿は少なく,尿意が残る。 膀胱炎になりそう な感じである。多く汗をかき,水分の補充が十分でないときにこんな症状になることが 多い。排尿の違和感は,下山後の8月10日ころまで続いた。
 岳沢ヒュッテ からの下りは,傾斜は緩く(標高差650m)なったが,距離が長く(約3.5km), 辛かった。休みを多くしながら,黙々と下った。
 河童橋の少し上流の梓川畔で顔を洗い,シャツを着替えた。岳沢ヒュッテから2時間 20分(標準タイム1時間30分)かかった。 河童橋周辺 は相変わらず多くの人で賑わっていた。
 歩いてきた岳沢を背景に記念撮影

○ 帰路
 上高地のバスターミナル では,帰りのバスを待つ人の長い行列ができていた。タクシー待ちにも,1時間から 1時間半くらいの待ち行列ができていた。 帰りのタクシーを予約しておいたのは大正解だった。
 タクシーの運転手の話によると,今日は特に混雑しているらしい。月曜日なのに一昨 日の土曜日,昨日の日曜日より混雑しているらしい。(土曜日も大変混雑していたが) 沢渡の駐車場が満車になった のは春のゴールデンウイーク以来とのこと。帰りのタクシーを予約していて本当に良か った。もし予約していなかったら,帰りの電車に間に合わなかったかもしれなかった。
 予定通り 15時30分 に上高地のターミナルを出発し, 17時20分に松本駅 に着いた。駅前のそばやでそばを食べた。
18時31分発のスーパーあずさ号 に,余裕を持って間に合った。東京からは 21:32発のやまびこ に間に合った。 宇都宮着は22:23 。駐車場で車をとって自宅に着いたのはちょうど 23時 だった。

 ページトップへ