槍 ヶ 岳

期日 2001年(平成13年) 7月28日(土)〜29日(日)
 

 

コース・タイム

 7月27日(金)
  宇都宮⇒駒形IC(北関東道)高崎JCT(関越道)藤岡JCT(上信越道)更埴JCT(長野道)梓川SA⇒松本IC⇒道の駅「風穴」(仮眠)⇒新穂高温泉駐車場

 7月28日(土)
   新穂高温泉(7:05)→穂高平(8:03-11)→白出沢出会(9:08-26)→滝谷出会(11:05-15)→槍平小屋(12:13)

 7月29日(日)
   槍平小屋(5:33)→お花畑(千丈乗越分岐7:37-46)→飛騨乗越(9:21)→槍ヶ岳山荘(9:35-45)→槍ヶ岳(10:13-30)→槍ヶ岳山荘(10:50)
   槍ヶ岳山荘(11:15)→千丈沢乗越(12:19)→お花畑(12:43-50)→槍平小屋(13:58-14:16)→滝谷出会(15:05-13)→白出沢出会(16:25) (⇒民宿)

 7月30日(月)
  民宿「山の宿」⇒平湯⇒安房峠⇒道の駅「風穴」⇒
     ⇒松本IC(長野道)塩尻JCT(中央道)諏訪IC⇒佐久IC(上信越道)甘楽SA⇒藤岡JCT(関越道)高崎JCT(北関東道)伊勢崎IC⇒宇都宮(自宅)


同行者
   チコ

 毎年,一つずつ大きな山に登る事にしている。今年は槍ヶ岳に挑戦することにした。
 時期は,7月の最終週末と言うことにして,7月27日28日に
槍平小屋に予約を入れた。7月26日の夜に出発し,27日に槍平小屋まで上がり,28日に槍ヶ岳を往復してもう一泊。翌29日に新穂高まで下り,そのまま帰路に就く計画を立てた。
 ところが,27日に急用が入り,日程を一日遅らせた。ところが,この予定変更が幸運の始まりで,以後,たくさんの幸運に恵まれることになる。


 7月27日
 まず用事を済ませ新穂高温泉に向けて出発した。とにかく,行けるところまで行って仮眠し,翌朝に新穂高の駐車場に入って車を停め,そこから出発する事にした。新穂高には,登山者用の立派な無料駐車場が有ると言うことを聞いていたので,駐車の心配はしていなかった。仮眠する場所は,トイレのあるドライブインか道の駅がいいだろうということで,カーナビで近くの「道の駅」を探した。松本から安房峠に向かって30分ほど登ったところに「道の駅 風穴」が有ることが分かり,そこで仮眠することにした。
 50号線を桐生から前橋に向かい,
小島田町交差点を左に折れ,駒形ICから北関東横断道路に入った。北関東横断道路は茨城県のひたちなか市から常磐道,東北道を繋ぎ,高崎で関越道に接続する横断道路で,現在は細切れ状態で部分的に開通している。関越道接続では,高崎JCTから伊勢崎ICまで開通しており,東北道接続では都賀JCTから上三川ICまで開通している。
 駒形ICから松本まで,北関東道路,関越道路,上信越道路,松本道路と4本の高速道を繋いで183kmを2時間10分で走り抜けた。駒形ICが4時55分,松本ICが7時5分だった。松本で夕食を食べることにして
インター近くのファミレスに入った。夕食に45分ほどかけ,8時にファミレスを出発した。30分ほどで道の駅「風穴」に着いた。駐車場にはすでに何台かの乗用車が,あかりを避けて,駐車場の隅に止まっており,仮眠しているようにも見えた。私たちも,道路から離れた所に車を停め,仮眠することにした。近くで,エンジンを掛けたままの大型トラックがいたが,このトラックも間もなく出ていった。マイクロバスが近くに止まり,エンジンの音がうるさかったが,そのうち,エンジンを止めた。途中のコンビニで買った缶ビールを開けたが,夕食の後間がないのでそんなには飲めない。うとうとしながら時間の経過を待った。

 7月28日
 3時35分,空の明るくなるのを待ちきれず,出発した。これも幸運の一つだった。新穂高温泉に着いたが登山者用の駐車場がどこだか分からない。やっとみつけた駐車場に着いてみると,駐車場は既に満車状態。近くの空き地も,止められる所は殆ど埋め尽くされている。なるほど,土曜日の朝はこんな状態なのか。なんとか,やや広い通路の片側に車を停めた。片側に通行できるスペースは十分にあるし,問題はないだろう。
 河原で朝食を食べた。川の反対側は深山荘という温泉旅館で河原にはこちらから丸見えの露天風呂がある。そうしている間にも車が続々入ってくる。Uターンして引き返す者もいれば,僅かのスペースに強引に停める者もいる。もし,道の駅の出発をもっと遅らせていたら,停められなかったかも知れなかった。幸運だった。
 身支度をして駐車場を出発したのは6時40分。天気は曇り,というより,上空にガスが立ちこめている状態だった。途中,観光案内所の前にあるトイレで用を足し,「
登山指導センター」に入山届けを提出し,歩き出したのは7時5分だった。登山指導センターの前には「岐阜県山岳遭難対策協議会」と書かれたワゴン車が置いてあった。このワゴン車には,白出避難小屋の前で再会することになる。
 両側のホテル・旅館の間を少し登ると
ロープウエイの駅がある。駅の周辺には有料の駐車場があり,まだ空きが多く見られた。しかし,2日間も置くと,駐車料金は1万円以上にもなり,登山者には払いきれない。

 ロープウエイ駅の前を通り過ぎると,道路上に「作業道につき関係者以外進入禁止」の表示があった。しかし,遮断機のようなものは見当たらない。道幅は十分にあるが,急に傾斜を増してきた。道幅の広がったところには登山者の車とおぼしき乗用車が停めてある。約30分ほど歩いた所で遮断機が現れた。この付近にも数台の車が停めてあった。結局,槍平方面に行く登山者は,ここまで車を乗り入れることができるようだった。
 遮断機の脇を通り少し進んだところで,左に大きく迂回する林道を避けて,近道の右側の歩道を進んだ。突然の急登で,しっかり汗をかき,かなり疲れた。穂高平避難小屋と言う名前の営業小屋まで,予定通り約1時間で到着できた。
 ここから白出避難小屋までは,淡々とした林道歩きだが,道ばたにタマガワホトトギスが咲いていた。徐々に右腰が痛くなってきた。杖を突いて右腰をかばいながら歩いたら,幾分楽になった。最悪,槍には登れないかもという不安が頭をよぎった。
 白出避難小屋まで約1時間で着いた。ほぼ予定通りだ。

小屋の前で休んでいると,先ほど見た「
対策協議会」のワゴン車が登ってきた。岐阜県山岳救助隊のメンバーだった。ワゴン車から降りてきた3人の内,2人がこれから穂高岳山荘の常駐に上がるという。運転してきた隊員に,一昨年8月,穂高岳山荘で会った救助隊員の谷口光洋さんの話をしたら,彼は今,下で元気にしているという。とても懐かしい気がしてうれしかった。


 白出小屋の前に,国有地の借用標杭が立っていた。借受人として「今田重太郎」の名前があった。


 白出沢を渡るといよいよ山道になる。傾斜もだんだんときつくなり,段差も大きくなる。天気は依然として上空にガスが立ちこめた状態で,カンカン照りではないが,汗をしっかりかいたため,水分を十分に補充した。
 白出避難小屋から槍平まで4つのガレた沢を渡るという。1つ目が「
白出沢」,次が「チビ谷」,次が「滝谷」,最後が「南沢」。


→チビ沢


 右俣谷 槍平までは,この谷に沿って登っていく。4つの沢はすべてこの沢に流れ込む。



 滝谷では,強い水の流れがあり,一本橋が掛けられてあった。沢の上流にはも見えたが,更にその上はガスに包まれ見ることはできなかった。


 センジュガンピ
 槍平小屋には12時15分に着いた。さっそく部屋に入り,着替え・荷物整理をした後ビールで乾杯した。同室者は,60歳過ぎの夫婦連れで,同じく明日,槍に登るという。千葉の柏の人で,いろいろな話をした。

 夕方,時折ガスがとぎれ,北穂高や涸沢岳が姿を現した。→写真は,南岳の尾根だ。小屋の外で,今日槍ヶ岳に登った人の話を聞いた。頂上への道が渋滞しているので,槍ヶ岳山荘の前で30分ほど様子を見ていたが,全く動く気配がない。しかたなく頂上へ登るのを諦めて下りてきたという。今日は混雑がすごかったらしい。明日はどうなのだろう,心配だ。いつもながら山では熟睡する事は少ないが,横になっているだけでも疲れはとれるからあまり気にしない。

7月29日
 4時少し過ぎころから廊下を歩く足音などで騒がしくなる。窓を開けると,ガスは全くなく,少し白みかけた空に北穂高岳から涸沢岳にかけての稜線がはっきりと見える。
 今日はいい天気になると確信した。同宿者も起きだしたので,私たちも起きて準備をすることにした。 朝食は5時,準備して直ぐに出発した。余分な荷物は小屋に預けて置いたので,ザックの重さは昨日よりずいぶん軽くなった。


 中ノ沢を渡る。中ノ沢はは,中岳から下ってくる沢だ。

 涸沢岳に日が当たり出した。

                キヌガサソウ



 槍平小屋出発5時33分。歩き始めこそなだらかだが,直ぐに傾斜が増し,ぐんぐんと高度を高めていく。登山道は緩く右にカーブしながら,飛騨乗越を目指す。左奥に伸びる岩尾根が西鎌尾根だ。

  お花畑の下部に到着したとき,丁度,飛騨乗越の辺りから陽が昇って来た。(7時10分)お花畑の花たちはまだ目覚めたばかりで,急に朝日に照らされ驚いた表情をしている。



        弓折岳

  抜戸岳

 左のピークは,槍の穂と見間違われるので,偽槍とも言われている。



 あの辺りが千丈沢乗越

 千丈乗越分岐到着7時37分。小屋から2時間で着いた。ここから飛騨乗越まで,見えているがなかなか着かない。周囲は植物の姿が少なくなり,大小の岩レキとなる。
 飛騨乗越到着9時21分。千丈乗越分岐から1時間35分かかった。
 飛騨乗越に来て初めて槍の穂先(頂上)を見ることができた。長野県側の槍沢コースが,槍の穂先を眺めながら登るのに比べ,岐阜県側の飛騨沢コースでは,飛騨乗越に登るまで槍の穂先を見ることができない。どちらが良いかは好みの問題だが,飛騨沢コースにもなかなか味わいがある。

南から南東方向に
南アルプスが,そしてその左側に霊峰富士の姿も確認できた。


 飛騨乗越からテント場の脇を通って槍ヶ岳山荘の前に出た。かなりの混雑を予想していたが,それほどではない。小屋の前にザックを置いて身軽になり穂先に向かった。今回はワイヤーロックを持参したので,ザックと杖をワイヤーで繋いでロックし,盗難よけとした。
 穂先への道は全く空いており,自由に登ることができた。もし,予定通りに28日の土曜日だったらこうはいかなかったようだ。ここでも,日程を遅らせたことが幸運に働いた。途中,交互通行のところで少し待たされた以外はすんなり頂上に立てた。危険な岩場も,ホールドと足場がしっかりしており,クサリやハシゴも完備している。怖さは全く感じなかった。(一昨年の穂高吊尾根の方が怖かった。)
 頂上に着いたとき,先客は4人ほど。しばらくは数人で頂上を独占した。記念の証拠写真を撮り,しばし,感激に酔った。正に360度の大パノラマで,天気も良く,近くの山並みが手に取るようによく見えた。
 まず,山頂の足元から南に伸びる稜線が目に飛び込んでくる。
大喰岳,中岳,南岳と続き,大キレットの先の北穂高岳のギザギザした山頂には,北穂高小屋の赤い屋根が見える。その右となりには北穂のドームがそびえ,一度落ち込んだ稜線は再び涸沢岳の頂へと続いている。涸沢岳の奥には,それらの全ての山を押さえるかのように,本邦第二の高峰奥穂高岳がそびえている。山頂の大ケルンもはっきり見て取れる近さだ。奥穂高岳の山頂からの稜線は右に伸び,馬の背,ジャンダルムをへて西穂高岳へと続いている。奥穂高岳山頂から左に伸びる吊尾根は,一部が北穂高岳の頂きに隠されるが,再び姿を現し,前穂高岳の山頂へと続いている。前穂高岳の山頂から右へは,前穂北尾根のゴジラの背のような特徴ある三角コブの連続が見える。連続の最後には,屏風の頭,屏風の耳の並んだピークが見える。
 手前から中岳,南岳,北穂高岳,涸沢岳,奥穂高岳 (写真をクリックすると大きい写真が見られます。)

 更に目を左に移していくと,遠景には蝶ヶ岳から常念岳への稜線が続き,更に,横通岳,東天井岳,大天井岳へと続いている。手前には,赤沢山から西岳,赤岩岳を経て大天井岳に続く稜線が横たわっている。 
 更に目を左に移していくと,
燕岳から餓鬼岳,更には鹿島槍ヶ岳まで望むことができた。真北からやや右には,遠く立山の姿が見られ,その前に野口五郎岳。野口五郎岳からの稜線は,真砂岳,水晶岳,鷲羽岳,三俣蓮華岳,双六岳へと続いている。鷲羽岳の奥には祖父岳の姿も見えた。稜線は,双六岳の辺りで,谷からわき上がってきたガスに包み込まれてしまった。 (写真をクリックすると大きい写真が見られます。)


 15分ほど頂上にいて,次のグループが登ってきたので入れ替わって頂上を後にした。
 ヨツバシオガマ
 槍ヶ岳山荘の前で身支度を整え,下山を開始した。南岳をまわって下りるコースも考えたが,結局,千丈沢乗越をまわるコースで下山することにした。そして,そのまま,槍平小屋に泊まらずに新穂高まで下りることにした。とすると,時間を無駄にすることができないので,花の写真もたくさん撮りたかったが,程々にすることにした。それにしても,槍の肩から千丈沢乗越までの尾根道は,高山植物も咲き乱れ,すばらしいコースだった。 ただ,残念だったのは,ガスが巻いてきて,飛騨沢の眺めが全く得られなかったことだ。千丈沢乗越からお花畑に下り,あとは来た道を戻った。途中,登りではショートカットしたため気づかなかったのだが,クロユリの群生地があった。とてもきれいなかたちの花をたくさん見られた。
 槍平小屋到着が午後2時。荷造りをし直し2時16分,新穂高目指して下山開始。午後2時と言えば陽射しの最も強い時間。暑さをこらえながら,必死に,ただひたすら歩いた。滝谷避難小屋まで50分,更に白出沢まで更に1時間12分かかった。

 途中,女性2人連れに追いついて追い越した。(後で,母娘と分かったのだが)白出沢を渡ったところで休憩していると,さっき追い越した2人が私たちを追い越していった。すると,その先で,誰かと話をしている。どうやら,今晩泊まる民宿で車で迎えに来たらしい。すると,先ほどの娘さんが引き返してきて,良かったら一緒に乗っていきませんかと声を掛けてくれた。渡りに船だった。ぜひお願いしますと返事して,車に向かった。もし,この2人連れに出会うタイミングがもう少し早くても遅くても声を掛けてくれることは無かっただろう。正に幸運だった。朴訥そうな民宿の主人に礼を言い,ついでに,今晩の宿も頼んだ。この2人連れは,母親の方が具合が悪く,民宿に連絡したところ,迎えに来てくれたと言うことだった。私たちもさすがにへとへとで,もし,便乗できなかったら,かなり苦しい目に遭っていただろう。軽トラックの荷台ではあったが,車のありがたさを身にしみて感じた。途中,幾人もの歩いている登山者の脇を追い越すたびに,多少の後ろめたさを感じながら,それでも幸運に感謝した。駐車場の入り口で私だけ降ろしてもらい,車をとって民宿に向かった。

 民宿は,「温泉民宿 山の宿」と言い,大きな,きれいな宿だった。こんこんと湧き出る温泉に身を浸し,疲れを癒した。今夜の宿泊客は,先ほどの母娘2人と私たちの4人だけだった。夕食時に,この母娘といろいろな話をしたが,母と娘の二人連れで山登りをするなんてすてきな親子だなと思った。

7月30日
 またまた驚いたことがあった。世の中は狭いものである。民宿のパンフレットに「穂高岳山荘連絡所」と書いてあり,穂高岳山荘のワッペンやキーホルダーを売っていたので,「何か関係があるのですか?」と尋ねると,「穂高岳山荘のオーナーは私の弟だ」という。「じゃ,ご主人は英雄(今田英雄)さんのお兄さんですか」というと,そうだという。そこで,一昨年穂高岳に登って英雄さんに会っていろいろな話を聞いたことなどを話すと,たいへんに喜んでくれた。
 同宿した母娘を平湯まで(道を間違え,随分遠回りをしたが)送って,帰路に就いた。


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