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大 真 名 子 山

2002年(平成14年) 7月7日(日)



コース・タイム
 自宅(4:45) ⇒ 志津乗越ゲート前駐車場(7:45)
  出発(8:00) → 馬立分岐(8:40) → 富士見峠(10:15) → 小真名子山(11:30-55) → 鷹ノ巣(12:20) → 大真名子山(13:35-45) → 駐車場(15:25)
 駐車場発(15:45) ⇒ アストリアホテル(入浴16:10-17:15) ⇒ 自宅(19:20)

同行者
 ラリグラスHC

 今日はハイキングクラブの清掃登山 に参加した。妻は不参加となり,私一人が参加した。今までも,ゴミ袋を持ったグループに出会ったことはあったが,参加するのは初めてだ。 ハイキングクラブとして,県の山岳連盟に届け出て行う行事で,本格的なボランティア活動だ。本来ならば,然るべきところで出発式などを行うのだそうだ。 今日は行程が長いことなどから出発式は割愛された。
 ハイキングクラブの集合場所を5時出発と言うことなので,自宅を4時45分に出た。宇都宮市内の集合場所を廻り,宇都宮環状道路から日光バイパス (日光宇都宮道路)に出た。途中,小雨のパラツキもあったが,天気は,日光に近づくに従って良くなっていった。 私たちの乗った2台のマイクロバスは, 志津乗越 を過ぎ,遮断機の前まで進んだ。Uターンできないのではと心配したが,運転手は,十分できると自信たっぷりだった。

 集めたゴミを入れるためのゴミ袋 を手渡され,出発した。歩き出したときは,既に青空が大きく広がり,真夏の太陽が照りつけてきた。 しかし,朝のさわやかな空気が心地よく,快適に歩を進めた。
 南方向を見ると,山襞の谷間を雲海が埋めている。しばらく歩くと,正面に女峰山 の頂上が見えてきた。実は,昨年のこの時期(7月14日)にここから女峰山に登った のだ。その日は,今日のように朝から天気は良かったのだが,昼近くからガスが巻き始め,山頂からの展望は殆ど得られなかった。 また,天気の良い日に登りたいと思っていた。このまま,グループを分かれ,女峰山に行きたいという衝動に駆られた。 馬立入り口で小休止し,林道を更に登った。林道としては傾斜がかなりきつい。
 標準タイムより少し早く富士見峠に着いた。



 富士見峠「十文字」 である。小真名子山から女峰山 へ縦走する道と,日光から 野門(のかど)集落へ抜ける道が交差している。

 日光から野門に抜けるこの道は,古くは日光から会津へ抜ける裏街道 として通る人もかなり多かったらしい。この十文字には面白い話が伝わっている。 徳川幕府の埋蔵金の話である。
 戊辰戦争で敗戦の色が濃厚になったころ,徳川家康を祀る日光東照宮にも官軍の手が伸びてきた。そこで,日光東照宮は, 近在から屈強の若者を集めて人夫とし東照宮の御神体を会津に逃そうとした。東照宮を出発した一行は,荒沢(安良沢)を遡り, 富士見峠を越えて野門に着く直前,官軍に追いつかれてしまった。実は,官軍がねらっていたものは御神体ではなく, 一緒に運んでいた東照宮の財宝だったのである。しかし,官軍が追いついたとき,財宝は持っていなかった。官軍は人夫たちを皆殺しにし, 付近を探したがついに財宝は見つからなかったという。何十年がたち,野門である老人が死んだ。死の間際,自分が財宝運搬の人夫だったこと, 山に隠れて官軍の厳しい追及を逃れて生き延びたことを話した。そして,最後に「十文字に・・・・」と言って事切れたという。
 近年になって林道が富士見峠まで伸ばされたとき, 作業員たちは,昼休みになるのを待って,持ち込んだ重機を使い,周辺を くまなく掘り返した が,財宝は見つからなかったという。官軍が東照宮に入ったとき,財宝は殆ど残っていなかった。最初から財宝など無かったのかも知れないが, 神君とも言われた家康公を御神体とする神社に財産が殆ど無いというのも納得しがたい話ではある。さらに,御神体だけを運ぶのであったら, 多くの屈強な若者を集める必要も無かったと考えるのが自然だと考えると,この話,真実味を帯びてくる。 「十文字」富士見峠 ではないかも知れないし,まだまだ謎は多く,続きが有るかも知れないと思うと楽しくなる。なお,このとき運び出された御神体は,今も 野門の「東照宮」に安置されており,こちらの方が正真正銘の御神体だという人もいる。


 富士見峠 からの登りは,ガレ場に付けられたジグザグコースで,急傾斜を一気に登っていく。 浮き石を動かさない様に細心の注意を払って一歩ずつ足を前に運ぶ。高度が上がるにつれて 帝釈山の裏に隠れていた女峰山 の頂が姿を現してくる。決して楽な登りではなかったが,楽しい登りだった。ガレ場を登り切って灌木帯に入る直前, 小さなピンクの花の群落が目に入った。 「ツガザクラ」 だ。ピンク色の花がとてもかわいい。ツガザクラは,草ではなく,小さな木本で,枝の先端に3~4本の花茎を直立させる。 蕾も上をもいているが,咲くときは小さな釣り鐘状の花を下向きに咲かせる。そのほか, コケモモの群落も小さな花をいっぱい付けていた。

 ハクサンシャクナゲ もところどころに可憐な花を見せていた。花びらの外側の中央付近がピンク色をしており,そのために,蕾や咲きかけの時はピンク色に見えるのだ。 葉の付け根がほぼ直角に葉柄に交わることが,ハクサンシャクナゲの特徴だ。

 小真名子山 の山頂には三等三角点があるが,見晴らしは良くない。少し手前の無線施設の有るところが見晴らしが良いので,そこで昼食とした。
まず,北に向いた視界の最も左に皇海山 の山容がどっしりと見える。さすがに立派だ。皇海山方向の足元には戦場ヶ原 が広がり,その縁に「ひょっこりひょうたん島」のような形をした「高山」 が見える。戦場ヶ原の右奥には小田代ヶ原も見えている。

 オオシラビソの雌花は予想以上に大きく,おもしろい形をしている。

 少し,目を右に移すと,頂を雲の中に隠した奥白根山 は一際高く周囲を圧している。更に目を右に移せば,手の届くような近さに太郎山 がある。頂上直下の噴火口跡が丸く見える。
 太郎山の左肩には,金精山から金精峠を挟んで 温泉ヶ岳が見え,右肩には燧ヶ岳 の特徴ある山容が見える。更に,目を右に移せば,先週行った会津駒ヶ岳 の平坦な稜線が続く。雪がまだ少し残っている。
 小真名子山の山頂から,大真名子山 との鞍部にある「鷹巣」 までは少し下り,大真名子山頂までは登り返す。


 大真名子山頂には衣冠束帯姿の蔵王(日野ノ権現) の青銅像が建っている。 私がこの像と会うのは,今回で2度目なのである。
 1度目は昭和39年(1964年) の8月下旬。男体山から大真名子,小真名子を経て帝釈山,女峰山,赤薙山の日光表連山5山 を廻る,2泊3日の山行だった。しかし初日は朝から強い雨。男体山の登山を断念して戦場ヶ原から裏男体林道を歩いて志津小屋に一泊。 次の日には大真名子山,小真名子山を縦走し,富士見峠から帝釈山,女峰山を経由して,唐沢小屋に宿泊。三日目に女峰山から赤薙山を通って 霧降に下るコースだった。初日は朝から雨,二日目,三日目も,朝の内は晴れていたが,昼前から雨。とにかく雨の中の三日間だった。 大真名子山頂に立った頃はまだ天気も良く,この青銅像の前で撮った写真が残っている。

 このとき,この青銅像の前で古銭を拾った。 寛永通寶が2枚と,昭和9年の1銭銅貨 が1枚と大正7年の1銭銅貨 が1枚の計4枚だった。この山に登った信者たちが供えたお賽銭だったのだと思われた。この古銭は今でも大切に保存してある。
  左から 大正7年の1銭銅貨,昭和9年の1銭銅貨,寛永通寶が2枚



 昔のことを思い出し,小さな祠の前の土をストックの先でつついてみた。すると,一部に円弧の丸みを持つ 小さな金属片が出てきた。もしかしてと思い,ポケットに入れて持ち帰った。


 帰宅して水洗いし,ルーペで表面を調べると「寛」 「寶」の字が確認でき,「寛永通寶」 の一部であることが分かった。
 発見した古銭をそのまま持ち帰って良いものかどうか,県の文化財課 の友人に聞いたところ,特に問題は無いという。 大切に保管して欲しいと言うことだった。

 大真名子山頂からの下りは直ぐに「千鳥返し」 の難所となり,クサリや鉄ばしごが取り付けられている。目の下には志津乗越 が箱庭のように見え,私たちの帰りを待っているマイクロバス2台も確認できた。

 更に下っていくと,2つ目の銅像「三笠神像」 が立っている。大真名子山には合計3体の青銅像が立っているが,3体とも,表面の腐食もなく,たいへんに美しい姿で立っている。 ここまで来ると,有害ガスによる腐食も無いのだろうか。
 三笠神像の前のベニサラサドウダン がたくさんの花を付けていた。一昨年に登った赤薙山のベニサラサドウダンを思い出した。 サラサドウダンベニサラサドウダン とは混じって咲いているところを見たことがない。棲み分けには何らかの理由が有るのだろうが私には分からない。

 さらに下ってきて,登り口になるところに3つめの銅像「八海山神像」 が立っている。大きな石碑「大霊神碑」 もあり,山岳宗教の霊気を感じるところだ。
 志津乗越の駐車場には15時25分に着いた。整理運動をし,靴を履き替えてバスに乗った。バスは裏男体林道を下っていったが, 温泉に入る予定の アストリアホテルの前を通過てしまった。やっぱり あそこへ行くのだ。
光徳で外すことのできないものが, 光徳牧場の牛乳とアイスクリーム だ。ここの牛乳には思い出がある。10年くらい前までは,光徳牧場で牛乳を買うと,割り箸を1本付けてくれた。紙のフタを取ると, 分離した脂肪がビンの上部に固まっている。それを割り箸でかき混ぜて飲むのだ。何ともコクのある牛乳だった。 市販の牛乳は脂肪が分離しないように脂肪球を小さくする加工をしている(ホモゲナイズ加工)ため,乳脂肪分は同じでもサラサラに感じるのだという。 光徳牧場牛乳は野性的だった。現在の光徳牧場牛乳は分離するようなことはないが,昔の味を伝えた美味しい牛乳である。 もう一つ,光徳牧場牛乳で作ったアイスクリームもまたファンの多い名物だ。ソフトクリームのコーンにのってはいるがソフトクリームではなく 「アイスクリーム」だ。別に光徳牧場から宣伝費をもらっているわけではないが,牛乳もアイスクリームもお奨めの逸品だ。

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