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尾 瀬 沼

2002年(平成14年) 8月31日(土)



コース・タイム
 宇都宮(5:45) ⇒ 金精峠 ⇒ 大清水駐車場(7:40-朝食)
  大清水(7:56) → 一ノ瀬(9:00-18) → 三平峠(10:22-28) → 三平下(10:38-50) → 沼尻(11:44-12:07) → 長蔵小屋(12:57-昼食-13:45) → 三平下(14:02-08) → 三平峠(14:23) → 一ノ瀬(15:07-15) → 大清水(15:56)
 大清水駐車場(16:06) ⇒ 白根温泉(16:35-17:20) ⇒ 金精峠 ⇒ 宇都宮(19:00)

同行者
 妻

 大清水 から尾瀬に入るのは30年ぶりくらいになる。 尾瀬 にはよく行くが,最近は, 鳩待峠 御池 から入ることが多い。30年前のころは, 大清水 富士見下 が尾瀬に入る2大ポイントだった。この2カ所には,夜行列車に接続した路線バスが, 上越線の沼田駅 から出ていた。当時はまだ, 鳩待峠 にも, 御池 にも路線バスは入っていなかった。 尾瀬ヶ原 に行くには 「富士見下」, 尾瀬沼 に行くには 「大清水」 と言うのが定番だった。
 私が初めて尾瀬に足を踏み入れたのは富士見下からだった。1964年6月11日。 大学の友人と2人で,宇都宮駅から大宮駅経由で上越線の夜行に乗り,沼田駅からバスで富士見下 に向かった。6日間かけて, 至仏山, 燧ヶ岳 を登り, 奥鬼怒 に抜けてきた。
 その後, アヤメ平 の湿原破壊がますますひどくなったことなどから,アヤメ平に最も近い 富士見下口 への大型バスの乗り入れが制限さて,それにともなって富士見下からの入山者は減少し ていった。
 私が初めて大清水から尾瀬に入ったのは,その年の秋だった。大学の友人7人と, 奥鬼怒 から 中俣沢 を下り 大清水 に一泊。翌日 三平峠 を越えて 長蔵小屋 に向かった。次の日は 沼尻 から 尾瀬ヶ原 に出て,原を縦断し 鳩待山荘 に泊まった。当時は, 鳩待峠 までの交通機関はなく,徒歩で 戸倉 に出てバスに乗った。
 2回目は,妻と尾瀬に行ったときだった。このときも,富士見下 から入り, 東電小屋 に一泊した。次の日に 尾瀬沼 に抜け, 長蔵小屋 から 三平峠 を通り, 大清水 に下ってきた。その後,職場の仲間と春の尾瀬を日帰りで散歩したときにも大清水から 往復したが,たぶんそれだけと記憶している。

 1 大清水
 大清水 には大きな駐車場ができていたが,最も手前の「第3駐車場」は,この日は綱が張って あり,閉鎖されていた。大清水小屋の前の 第一駐車場 も余裕があり,そこに停めた。「第2駐車場」はその先を右に下った河原のような所で, そこにも何台かの自動車が停められていた。



 2 一ノ瀬

 大清水からの林道歩きは,昔と変わっていない。ただ,気のせいか道幅が広くなり, 周囲の樹木が大きくなったような気がした。気温は高くなく快適だが,陽射しは強く,日陰を選ん で歩いた。ちょうど1時間で 一ノ瀬 に着いた。 一ノ瀬の休憩所 は,かつては橋を渡った向こう側にあったように記憶していたが,確信はない。途中で 追い抜いていった自動車が小屋の脇に停めてあった。ここまでは,許可を得た自動車が入ってくる。  ここからが山道になるが,入り口に,靴底に付いた植物の種子を持ち込まないように するため, 靴底を拭くためのブラシのような物 が木道に設置されている。

 登山者の持ち込む種子については,最近の新聞にも載っていた。 白神山地で,オオバコが登山道に沿って侵入しているという。 直ぐに在来種が影響を受けるというわけではないが,やはり放ってはおけない気がする。
 三平峠 までの道は大半が木道か木製の階段になっており,歩きやすくなっている。その分,無 理をすると足に負担がかかってしまうので注意しなければならない。山道を歩きやすくするためだ けの木道ならば,設置に反対だが, 登山道が山腹崩壊を進めてしまう ことを防ぐ意味もあり,我慢しなければならない。

 3 三平峠
 三平峠 には昔の雰囲気が残っており,三平下から眺める 燧ヶ岳 は昔のままだった。

 三平下から,尾瀬沼の西を廻り 沼尻 へ向かった。実は,このコースを歩くのは今回が最初である。寂しいくらい静かなコー スであり,ゆっくりと雰囲気を味わいながら歩くにはいいコースだ。特に,沼尻近くの 小沼湿原 が気に入った。湿原から眺める 燧ヶ岳 の姿もいい。


 イワショウブ

 シラタマノキ



 4 沼尻
 「沼尻」 は今は 「ぬまじり」 と呼ぶ人が多いが,正しくは 「ぬしり」 または 「ぬじり」 である。私は,「ぬまじり」という呼び方にはなんとも引っかかるものがある。(昭和 38年発行の「ニューマウンテンガイドブックシリーズ1 尾瀬高原」朋文堂 にも, 「ぬしり」 とフリガナがついている。)古い日本語では「沼」のことを,「ぬま」ではなく「ぬ」 と読んでいた。

 地名の読み方(呼び方)についてはいろいろな考えがあるだろう。長い年月の間に変 化していくのは自然の成り行きでもあり,それが言葉というものなのだから仕方のないことだと思 う。しかし,わずかの間に変わってしまうのは,古い友人を失うようで寂しい気がする。
 また,山の名前などが,眺める土地により名前が微妙に違うのはそれはそれで面白い ことだ。北アルプスの 「穂高」 「ほだか」 と濁って呼んだり 「ほたか」 と濁らずに呼んだりするのは,岐阜県側と長野県側での思い入れがそれぞれにあり,興 味のあることだ。
 ゴゼンタチバナの実
 
 沼尻の休憩所では,陽射しを逃れて屋根の下で休んだが,少し経つと寒くなってきた。 少しだけ空腹を満たし,歩き出した。沼尻には船着き場が残っている。 かつては三平下または長蔵小屋との間で渡し船が動いていた。私は乗 船したことはないが,「ポンポン」というエンジンの音が静まり返った沼面に響いていたことが記 憶に中にある。
 沼尻から眺める 燧ヶ岳 は手の届くような近さで,直ぐにでも登れそうな気がする。しかし今日は時刻も遅く, 諦めるしかない。沼尻から長蔵小屋までの道は,かつては途中かなりぬかるんでいたところもあっ たが,今は,殆ど靴を汚さずに歩けるようになった。 大江湿原 まで来るとハイカーの数が増えたが,それでもまだまばらだった。

 5 長蔵小屋
 長蔵小屋で湯を沸かし,カップ麺を食べた。気温が低く,温かい食べ物が美味しく感 じられた。
 「元長蔵小屋」 と看板の掛かった古い建物があった。今は使われていないようだが,ちょうどこのあた りに 「自炊小屋」 があったのだ。自炊小屋には幾度か世話になり。思い出もある。

 長蔵小屋から三平下までの道もまた,良く整備されており,靴を汚さずに歩けた。
 トリカブト


 途中, 早稲沢(ワセッサワ)湿原 からは,対岸にそびえる 燧ヶ岳 の全体が眺められる。これも昔と変わっていない。


 6 早稲沢
 かつて(30年ほど前) 早稲沢 を上りつめた峠から, 小淵沢 (ニゴリ沢)の林道まで荷物運搬用の 索道 がかけられていた。当時,長蔵小屋の荷物は, 大清水 から 中俣沢林道 を登り, 小淵沢林道 の途中まで車で上げ,そこから 早稲沢の峠 まで索道で上げていた。早稲沢の峠からは,キャタピラの付いた特殊な車で長蔵小屋ま で運んでいた。
 昭和40年10月,私は, 奥鬼怒の日光沢温泉 を朝に立って, 鬼怒沼 から 中俣沢 を下り 小淵沢の合流点 から 小淵沢 を登って 小淵沢の田代 から 長蔵小屋 に行くつもりで歩いていた。
 このコースは前年の6月に逆コースで歩いていたが,檜高山を半周するようなコース で,なんとか近道はできないものかと考えていた。小淵沢の途中から直 接に 尾瀬沼 に出られれば,かなりの近道となる。地形図で調べたが,岩場や崖は無いようである。 行って行けないコースではない。考えながら歩いていると, 索道 が目に入った。この索道の話は以前に聞いていたので,この索道に沿って登ることにし た。索道には,必ず,点検のための道があるはずである。歩き始めだけは,索道の点検用に歩いた と思われる踏み跡が付いていたが,少し進むと全く何もなくなった。 クマザサ が背丈以上にも高く生い茂り,視界は全く効かない。時々,倒木の上に乗って進行方向 を確かめた。頭上を通っている索道も,背の高い樹林に隠され,見失いがちになる。 頭上を通る索道 に沿って登るので,急な斜面を一直線に登ることになり,傾斜もかなり急になる。少し 進んだと ころで, 無謀だったかな と後悔したが,一方で,このくらいなら何とかなるという自信みたいなものも湧いてき た。結局,40分ほどの藪こぎで峠の 索道終点 に出られた。ここからは広い道で,突然に尾瀬沼畔の登山道に飛び出した。自分として は,自分の体力や技術などを基にして判断したことで,間違ってはいなかったと思っていたが,今 考えると,結果オーライではあったが,やはり無謀だったと言わざるを得ない。いろいろな意味で 良い思い出にはなっている。
 7 帰路
 下りの 一之瀬 から 大清水 までは長く感じられた。帰路,白根温泉で入浴して帰った。新しい施設で快適だった。

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