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両 神 山

2002年(平成14年) 10月19日(土)


コース・タイム
10月18日(金)
 自宅(21:05) → 集合場所(21:35) ⇒ 壬生IC ⇒ 佐野藤岡IC ⇒ 道の駅川本(23:53-0:02) ⇒ 道の駅両神温泉(1:17-仮眠)
10月19日(土)
 起床(4:30)・朝食・体操  出発(5:20) ⇒ 日向大谷(5:50)
  登山口(6:10) → 会所(6:45) → 清滝小屋(8:37-52) → 神社(9:57-10:05) → 山頂(10:40-昼食-11:32) → 神社(11:58-12:10) → 清滝小屋(12:50-13:02) → 会所(14:20-32) → 登山口(15:05)
 日向大谷(15:20) ⇒ 道の駅両神温泉(15:50-入浴-17:00) ⇒ 自宅(21:00)

同行者
 ラリグラスHC,妻

 1 登山口まで
 ハイキングクラブの山行で 両神山 に登った。天気予報はずっと良かったのだが,直前になって崩れてきた。大きく崩れる ことはないだろうとは思ったが,雨の覚悟はして出かけた。団体の山行では,よほどのことが無い 限り,中止になることは無い。今回の山行は,前夜発で,車中で仮眠をとり,明るくなるのを待っ て歩き出す計画だ。 標高差約1100m で道のりも 往復で約11.6km ある。8〜9時間の行程となるので,朝発ちの日帰りでは無理なのだ。
 自宅で夕食をとり,(一杯飲んで)9時少し過ぎに,自宅近くの 集合場所 に歩いて向かった。自宅の周囲は住宅地なので,もう静まり返っている。バスは既に集 合場所の駐車場に待機していた。いつものように, マイクロバス2台 だが,今回は参加者が少なく,座席には余裕があっ た。バスの中での 仮眠 を考えると,これは有り難い。途中で休憩をとりながら,仮眠場所の 「道の駅両神温泉」 に着いたのは午前1時過ぎだった。バスは,エンジンをかけたまま,暖房を入れていた ので, 暑くて閉口した。 殆ど眠れずに空が明るくなるのを待った。 4時 を過ぎるとトイレに立つ人など,動き始める人が増えてきた。私たちも起き出し,早め に行動しようと思い, 朝食としておむすびとパン を食べた。
 この後の日程がよく分からない。事前に配布された計画書には,
 「5;00 日向大谷口P・朝食」
 「5;45 登山開始」
 とある。5時何分か前に仮眠場所を出発し,5時に日向大谷口に着いて,そこで朝食 を食べたり,準備をして,5時45分に登山に出発するものと解釈していた。
 ところが, 「5時に体操をするから集合せよ」 という指示がが入った。まだ朝食を食べていない人から,「朝食はいつ食べたらいいの かな?」という声が上がった。この辺り,もう少し詳しい日程の説明が欲しかった。帰路,コーチ から 「5分前には自分の仕事を片づけるように」 という指導があったが,行動の詳しい時程が示されないのでは,合わせようがない。体 操が済んだら直ぐに出発するという。トイレに行きたかったが,我慢してバスの中で出発を待った。
 日向大谷(ひなたおおや) の登山口に向かうバスの中で,靴を履いたが,これがいけなかった。左右に揺れる車内 で,しかも,ものを食べて直ぐに,下腹部を圧迫しながら靴を履いたので, 車酔い をしてしまった。気分が悪く,吐き気がする。登山口について直ぐトイレに入り,吐い た。いくらか気分は良くなったが,まだ,吐き気は残っている。歩き出せば回復するだろうという ことで,とにかく出発した。

 2 山頂まで
 登山口には 「両神山荘」 という民宿がある。山の斜面にへばりつくように建つ建物と,その軒下を登っていく登 山道などが 「ヒマラヤの山村に似ている」 とコーチが話していたが, 独特の雰囲気がある。 空は曇っているが,雲は高く,直ぐに降ってくるような天気ではない。明け方の空には 星も見えていたのだったが,やはり,曇ってしまった。私たちは4班構成の第4班。班員は男性2 人,女性5人の7人で,第4班は最後に登山口を出発した。
 「会所(かいしょ)」 までは,小さなアップダウンのある沢沿いの道で,体調を整えるのには丁度良いコース だ。 「会所」 というのは 「沢の出会う所」 と言う意味で,ここは, 薄川 七滝沢 が合流するところだ。 会所 から 七滝沢 に沿って登る道もあるが,「上級者向き」ということで,今回はここで 七滝沢 を渡り,再び 薄川 に沿って登った。この辺りの標高は 700m程度 で,紅葉はまだまだである。一度薄川の左岸に渡ってから再び右岸に戻ると,急斜面の 登りになる。登り切ってなだらかになってから少し行くと, 「弘法之井戸」 という水場に着く。柔らかい,美味しい水が湧き出している。水を一口含んで先に進ん だ。

 突然目の前に 「清滝小屋」 の屋根が見えた。かなり立派な小屋だ。ここで休憩となったが,トイレの臭いが強烈だ。 どこの山小屋でもトイレの臭いには悩ませられるが,これは,自分が被害者であると同時に加害者 でもある点で,難しい問題だ。 かつては,南側の 白井差(しらいさし) 地区から 「一位ガタワ」 を通って 清滝小屋 に至るルートがあったが,登山道の通る 土地の地権者と行政とのトラブル のために,現在は通行できない。トラブルの詳しい内容は知らないが,悲しいことだ。
 清滝小屋 から急斜面を登ると稜線に出る。対面する尾根の斜面が 見事に紅葉 しており,思わず写真を撮る。ゆっくり撮影したいが,団体で移動しているので,自分 だけ立ち止まることはできない。これも,団体行動の不自由さだが,我慢しなければならない。少 し行って休憩となったが,見晴らしが悪く,そこからは写真はとれなかった。


 この辺りから頂上までの稜線を 「産泰尾根」 と言う。 「産泰」 「うぶたい」 と読むらしい(「東京付近の山」実業之日本社)が,ガイドブックによっては 「さんたい」 とカナが振ってあるものもある。(「マイカー登山」山と渓谷社)また, 「産泰」 」と言う字も,現地の標識には 「産体」 となっていた。どれが正しいのか,両方正しいのかも知れないが,そのような違いが出 てきた背景には興味がある。 両神神社本社 は,東西に細長い尾根のほぼ中央に建っている。 社殿が2つ ありそれぞれ異なる神を祀っている。このことが 「両神」 という名前の意味なのだ。
 本社から山頂に向かう尾根道は,樹林の中だが,馬の背のような尾根道で,しっかり した道だ。しかし,この道には ロープが張って あり,通行止めになっている。
 代わりに,右側の斜面に新しい道が作られ,そこを歩くようになっている。どうして そのようになっているのか分からない。初めは,尾根道が崩れて危険なためと思ったが,そのよう な場所は見当たらない。環境保護のためかとも思ったが,斜面に新しい道を造る方が環境へのダメ ージは大きいはずだ。もしかして,これも 地権者とのトラブル の一端なのかも知れないと思いついた。


 そう言えば,新しい道は全て 尾根の北斜面 に作ってあった。

 頂上直下の岩場 を,三点確保で登っていく。岩場歩きの基本だ。


 山頂は岩がごつごつしていて狭い。無理矢理腰を下ろして昼食にした。時間が少ない ので,急いでモズクスープを作って飲み,おむすびを食べた。 通路を開けて座る ように指示されたが,もともと狭いところなので,通路を開けて座るのはかなり難しか った。一般の登山者も何人かやってきて,迷惑そうに通っていった。もし,自分が逆の立場だった ら,どう思うだろうと考えてしまった。

 3 下山
 写真を撮って山頂を後にしたのは11時30分を過ぎていた。 予定より30分ほど遅れていた が,出発が25分ほど遅れていたので,ほぼ時間通りに経過している。
 清滝小屋

 清滝小屋 からの下りで,前の班との間隔が開いたところがあった。班の行動は原則的には班長が 指示するものだと思う。しかし,全体としても,できるだけまとまって行動したい。場合によって はリーダーの指示で全部の班に「5分休み」などと指示されるのも,効率的で良いと思う。
 そのような中で,どのような場合に,班長が 独自の指示 を出すことができるのかは, 確認 しておく必要があろう。更には指導者との 命令系統 (指揮系統)をはっきりさせること も必要だと思う。
 私は,古峰ヶ原の山行で,班長を命じられた。 班長が何をすればいいのかなど,打合 せなど全くなしで,当日の朝, いきなり命じられた 。言われるままに,引き受けたが,後味の悪い経験をした。斜面を登っているとき,休 憩はリーダーから指示されるものと思って歩いていたら,コーチから, 休憩にしなさい。(班員の)体のことを考えて 」ときつい言葉で注意があった。予想もしないきつい言葉だったのでびっくりしたが, 休憩などの行動が班長に任されるのならば, そのような確認 が欲しかった。
 ハイキングクラブのように,大人の,それも私のようなわがままな中高年を統率する のは大変なことだと思う。命令だけでは従わないし,人格だけでもついてこない。
 ヒマラヤの山村に似ているという日向大谷の風景

 下山は15時5分,計画より1時間遅れた。整理運動中にポツリポツリと雨が降って 来た。なんと絶妙のタイミングだった。その後,    「道の駅両神温泉」 で入浴,一路宇都宮へ。途中,雨が激しくなったが,場所によっては路面の乾いている ところもあり,これからが降りが強くなるのかなと思った。
 自宅近くでバスを降ろしてもらい,帰宅した。時刻はちょうど9時だった。

 4 ストックについて
 バスの中の反省会で,コーチからストックの使い方について指導があった。今日のメ ンバーでストックを最も多く使っていたのは私たち夫婦だったので,明らかに私たちへの指導だっ たと思う。 「ストックは始終使うのではなく,必要なときだけ使え」 「70歳過ぎたら,杖に頼っても良いが,それまではだめ」 「杖は山側に突け」 など,かなり具体的だった。
 ストックについては,7月に大真名子山の清掃登山に言ったときの反省会で私は, 「私は,足の負担を軽くするために積極的にストックを使います。」 と言ったことがある。そのときの,みんなの反応が変だったことを今思い出した。既に 「杖に頼るな」 という指導を受けていたのだろう。
 一昨年,夫婦二人で北岳に登ったとき,前後して登った高校生のグループで,指導者 が 「杖に頼らず自分の足で登れ」 と指導していた。言われるまでもなく,それが原則であり異論はない。若い人の体は適 応力があり,鍛えればそれだけ確実に強くなる。しかし, 現在の自分の筋力・体力を考えたとき ,やはり,杖に頼るのがベストだという結論になる。 「杖に頼らずに登れる山が,その人の限界なのだ」 と言う考えもあるだろうが,体をいたわりながらでも,高い山に登りたいのも人情だ。 あまり気にしないで,これからもストックを使うようにしよう。 「コーチの指導に従わない不良会員だ」 として,クラブにいられなくなるかも知れないが。・・・

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