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朝日岳・三斗小屋宿跡

2003年(平成15年) 9月7日(日)


コース・タイム
 宇都宮 (5:55) ⇒ 峠の茶屋駐車場(8:00)
  駐車場(8:15) → 峰の茶屋(9:00) → 朝日岳(9:43-55) → 隠居倉(10:30) → 源泉(11:05-昼食-35) → 三斗小屋温泉(11:51) → 三斗小屋宿跡(12:55-13:15) → 沼原分岐(13:30) → 深山ダム(15:15)
 深山ダム(15:25) ⇒ 板室温泉(15:45-16:45) ⇒ 宇都宮(19:00) 

同行者
 ラリグラスHC,妻

 今日は, 栃木県山岳連盟 主催の 「清掃登山」 に参加した。 「ラリグラスHC」 としての参加で,ラリグラスの山行に参加するのは昨年11月の 鹿沼岩山 での訓練以来だ。
 今回は大型バス1台で,いつもの通り,自動車整備P,JR宇都宮駅,東鉄工業Pを 廻ってから 宇都宮IC から東北道に入り, 那須IC から那須街道を北上, 那須岳 に向かった。
 宇都宮 を出る頃は曇り空で, 那須連山 は雲に隠れていた。 那須街道 辺りから眺める 那須岳 はガスの中だったが, ボルケーノハイウエイ を登るに従い,ガスも切れ切れになり,時々陽も射してきた。
 新しくなった 那須岳ロープウエイ の駅を通り過ぎ,最も奥の駐車場に向かった。この駐車場は元, 硫黄鉱山の事務所 があったところで,かなりの広さがあるのだが,シーズン中は早朝から満車になること が多い。この駐車場の脇に 「峠の茶屋」 という売店があり,最近はここを 「峠の茶屋駐車場」 と呼ぶようだ。しかし,私は 「峰の茶屋」 と紛らわしく,この呼び方は好きでない。
 駐車場は満杯


 駐車場 は既に満車状態で,多くのマイカーが付近の空き地にまで停められている。ここが特に 込み合うのは, 秋の紅葉時期 と, 「リンドウ」が咲くこの時期 である。特に,新聞でリンドウの様子が紹介された次の週末は 朝7時前には満車 なる。
 駐車場では,既に, 栃木県山岳連 清掃登山の開会行事 が行われていた。県内から多くの団体が参加しているようで,周囲はゴミ袋を持った参 加者であふれていた。
 駐車場から 峰の茶屋 までは他のグループと入り混じりながら歩いた。半袖半ズボンで丁度良いくらいの気候 だったが, 峰の茶屋 では風が強く,御沢から吹き上がってくる冷たい風に震え上がった。
  「峰の茶屋」 」には 「峰の茶屋跡避難所」 が建てられ, ハイカーの休憩に使われている。何年前までなのかははっきりしないが, 私が高校生だった頃にはここに 「峰の茶屋」 があり, ラムネやジュースなど を売っていた。西側に 石を積み上げて壁面 とし,そこから 差し掛け式の屋根 だけが掛けられていた。店には木箱が並べられ,数本のラムネやジュースのビンが並べ てあった。注文を受けると,奥の方の 石を積み上げて作った保管庫 から取り出し,栓を抜いて渡してくれる。これが驚くほどに冷えていて,とても美味し かったことを覚えている。代金がいくらだったのかは記憶にないが,峰の茶屋に荷揚げする歩荷と 一緒に登ったこともある。 
 リンドウ


 登山道の両側には リンドウ がきれいな花を付けている。今年は,花の 数も多く,花付きも良い ようだ。
 那須地区 に咲く リンドウ には2種類ある。 エゾリンドウ オヤマリンドウ だ。オヤマリンドウは 茎のてっぺんだけに花 を付けるのに対し,エゾリンドウは 茎の途中にも花 を付けるので区別できるというのだが,実際にはこれがなかなか難しい。というのは, エゾリンドウも株が小さいものは頂上にだけしか花を付けないからだ。
 茎の色 でも区別できる。オヤマリンドウでは 茎が緑色 なのに対し,エゾリンドウでは 茎が赤紫色 を帯びている。しかしこれも,株が小さいエゾリンドウでは,色が薄く,緑色に近い。 花の色も,個体差が大きい。濃い青紫から,薄い青まで,生育場所の違いなどにより変化が大きい
 個人で歩くときには 自由に 写真が撮れるが,団体で歩いているときには立ち止まって 写真を撮ることは 我慢 せざるを得ず,きれいな花を見ても,写真に撮すことができなかった。何枚か歩きなが らシャッターを切ったが,殆どがブレており,使い物にはならなかった。

 朝日岳へ

 朝日岳分岐 に荷物を置き,空身で 朝日岳の頂上 に登った。朝日岳の頂上に登るのは久しぶりだ,記録を調べると,2000年6月10 日以来だった。また,この年の9月3日には, 朝日岳 を目指して登ったのだが,強風のため途中で 引き返して いる。引き返して駐車場に戻ったときに,栃木県山岳連盟の 清掃登山 に出発する団体と 出会った。結局,これも中止になったのだと言うことを後で聞いた。


 朝日岳の頂上 はガスには覆われていなかったが,周囲の 見晴らしは全く無く ,記念写真だけを撮って早々と降りてきた。 隠居倉分岐 (熊見曽根の頭)から 熊見曽根 を下った。ここを歩くのは初めてである。道はしっかりと作られており,整備も良く成 されているので,歩きやすい。 リンドウ シラネセンキュウ の咲く中を歩いていく。 隠居倉 は稜線の小ピークで,明るい小広場だ。傾斜を増して更に下ると白煙を吹き上げている 「三斗小屋温泉源泉」 に着く。ここで昼食にした。源泉の温度は高く, 三斗小屋温泉 ではこれを引いて温度を下げ入浴している。
 三斗小屋温泉には, 大黒屋 煙草屋 の2軒の旅館がある。最近は秘湯ブームで宿泊客が増え,日帰り入浴ができた煙草屋も, 最近では 日帰り入浴を受け入れなく なった。大黒屋の前に湧き出ている水は相変わらず美味しい。

 三斗小屋宿跡の大灯籠

 三斗小屋温泉 から 三斗小屋宿跡 に向かう道は,しっかりと作られ,良く整備されている。この道はかつて栄えた 会津中街道 の一部で, 参勤交代の大名も通った という。60分ほど歩くと 三斗小屋宿跡 に着く。


 三斗小屋宿 はかつて 会津中街道 の宿として栄えたところだ。 会津中街道 は, 会津若松 から 大峠 を越えて, 氏家町阿久津河岸 に至る約123kmの道である。元禄8年(1695)に自然災害で通行できなくなった 会津西街道 に変わる道として開かれ,主として 会津藩 会津南部の幕府領 廻米輸送 に利用されたという。
 一時は 参勤交代 の大名行列にも利用されたが,やがて 会津西街道 の復旧に伴い交通量が激減した。慶応4年(1868) 戊辰戦争 に際して,沿線の村は被害を受けた。 24戸もの家が建ち並んでいた三斗小屋宿 は全戸焼き払われ, 板室宿 も2戸を残して全焼してしまった。
 その後も 会津南部 阿久津河岸 を結ぶ近道として利用されていたが,明治37年の 磐越西線の開通 により,荷物輸送路としての使命を終えた。このようにして三斗小屋宿は地図から姿を 消したが,その歴史的価値を見直す動きを受け, 那須北ライオンズクラブ の事業として昭和58年度から 石灯籠 などの復元を行い,現在に至っている。  三斗小屋宿跡 から 深山ダムサイト までは約8kmの淡々とした歩きで,霧雨も降り出し,我慢の歩きだった。今回は清掃 登山と言うことでゴミを拾いながら歩いたのだが, 登山道では殆どゴミを見つけることはできなかった。 このコースに限らず,登山者の歩く道ではゴミは殆ど落ちていない。近年の登山者のマ ナーは良くなったことを実感する。反面,アプローチの林道など,車の入る道では相変わらずゴミ は多い。今回も,後半の 林道,一般道の路肩には空き缶など多くのゴミが目立った 。清掃登山の趣旨には合わないのかと思いながらも,ゴミ袋が空だったので,路肩の空 き缶などを拾ってきた。
 帰路,板室温泉の黒磯市営の入浴施設 「グリーングリーン」 で入浴した。時間的なこともあるのだろうが,大変に混んでいた。

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