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尾  瀬

2008年(平成20年) 10月18日(土)-19日(日)


コース・タイム
10月18日(土)
 宇都宮(5:00) ⇒道の駅たじま(朝食)⇒ 御池駐車場(8:15)  御池(8:30) ⇒(シャトルバス)⇒ 沼山峠(8:55)
  沼山峠(9:20) → 長蔵小屋(10:30-45) → 沼尻(11:30-昼食-12:00) → 見晴檜枝岐小屋(13:20-原散策-泊)
10月19日(日)
  檜枝岐小屋(7:30) → 赤田代(8:00-15) → 三条の滝(9:15-25) → 裏燧橋(11:10-昼食-45) → 御池(13:20)
 御池駐車場 ⇒ 燧ノ湯 ⇒ 宇都宮

同行者
 キクさん,T子さん,妻,他1人

 キクさん が,仲間たちと小屋泊まりで 尾瀬 に行くというので,妻と二人で同行させてもらうことにした。
 尾瀬には何度も出かけているが,紅葉も終わりかけのこの時期を,私はとても気に入 っている。10月も半ばを過ぎると,紅葉目当てのハイカーも少なくなり,落ち着いた雰囲気で尾 瀬の静けさを味わうことができる。
10月18日(土)
 初日の日程は, 沼山峠 から 見晴 までなので,急ぐことはないのだが,宇都宮を5時発で計画を立てた。途中の 「道の駅たじま」 で朝食を済ませ, 御池駐車場 に着いたのは8時15分。急いで支度をし, 8時30分発 のバスに飛び乗った。

 シャトルバスの代金は 片道大人1人400円  群馬県側の運賃と比べ,良心的な設定だ。

 窓の下に見える ブナ林 は,半分ほど葉を落としている。


 シャトルバスの窓から 燧ヶ岳 が見えた。このバスには何度も乗っているが,初めて見た。

 バスを降りてゆっくりしていたら,次のバスが到着してしまった。団体が降りてきた ので, あわてて出発した。

 ツルリンドウ の実は鮮やかな色をしている。


 大江湿原 では, 木道の掛け替え工事 をしていた。新しくなった木道は気持ちいい。

 大江湿原のシンボル 「三本唐松」  この姿を見ると, 「尾瀬に来たんだなあ」 と思う。



 大江湿原 から 燧ヶ岳 がすぐ近くに見えた。右端が 俎ぐら  最高峰の 柴安ぐら は,中央に見える。柴安ぐらは,奥にあるため,爼ぐらより低く見える。 ミノブチ岳 は,柴安ぐらの手前にあるので,色が重なってよく見えない。左のピークは 赤ナグレ岳
 ヤナギランの丘 にある 平野長蔵一家の墓 にお参りしてから 長蔵小屋 に向かった。
 長蔵小屋の売店 前で休憩した。この売店も 19日で終了 する。 尾瀬沼ビジターセンターとトイレ 10月31日 (女子用トイレは10月26日)まで使用できる。
 休憩してから 沼尻(ぬじり) へ向かった。休んでいるハイカーは多かったが,  沼尻の休憩所とトイレは既に閉鎖されていた


 フユイチゴ だと思うが,葉の表面に短毛が密生していることなど,見慣れたフユイチゴとはチョッ ト違うような気がする。


 散りかかってはいるが,まだきれいな 紅葉 も残っている。

 ツリバナ の実が残っていた。


 ブラブラ歩きだったが,1時間20分ほどで 見晴 に着いた。
 今晩お世話になる 「檜枝岐小屋」 は,原に向かって左側に3軒ある山小屋の真ん中の小屋。


 まだ時間があるので,荷物を預け, 尾瀬ヶ原の散策 に出かけた。
 ツルコケモモの実  ツルコケモモは,身体は小さいが,驚くほど大きな実を付ける。

 イワショウブ の実が,ドライフラワーのようになって残っていた。


 ズミ の実も真っ赤に熟していた。


 イヌツゲ の実は真っ黒だ。


 4時過ぎに 入浴  尾瀬の山小屋はほとんどの小屋で入浴できる。稜線にある 「山小屋」 とは少し違う。やはり,尾瀬は特別なところだと思う。 檜枝岐小屋 の食事はたいへん美味しく,アルミ缶のお酒も特別に美味しかった。
 檜枝岐小屋の部屋は 清潔 で,寝具もきれいで気持ちいい。山小屋で 新しいシーツ が使えるなんて,チョット驚き。この時期になると,小屋の混雑も一段落し,広い部屋 にのんびりと寝ることができた。

10月19日(日)
 5時30分になり,周囲が明るくなってきたので起きだし,カメラを持って外に出た。
 幾組かのグループが,薄暗い中を, 至仏山 を目指して原を横切っていった。至仏山には一部にまだ雲がかかっていた。


 徐々に明るくなってくると, 至仏山 に架かっていた雲も取れた。やがて,頂上付近に日が差し始め,かすかに色づいてきた。

 ワレモコウ の真っ赤な葉が,霜で縁取られている。

 小屋に戻って朝食を食べ,ゆっくりと準備してから出発した。
 夕食もそうだったが,この 檜枝岐小屋 食事がとても美味しかった。  即席物は一切使わず,全て手作りの料理だ。決して豪華ではないが,心のこもった料 理で,出された物は残さずに平らげた。 この山行でも,また太って帰ることになりそうだ
 木道は で真っ白だ。注意をしながら歩いたのだが,何度かヒヤッとした。

 赤田代 に向かう道から 至仏山 を振り返った。


 葉を落とした ダケカンバ の白い幹が青空に映える。

 平滑(ヒラナメ)の滝  樹木が成長してしまい,展望台からの見晴らしが悪くなった。

 三条の滝に向かう途中, 対岸の紅葉 がきれいだった。

 分岐に荷物をデポし, 三条の滝 に向かった。

 途中にある展望台 では,樹木の間から三条の滝を見ることができる。

 通常ならば,さらにこの先まで行けるのだが,この先は既に 冬季閉鎖 になっていた。
 「この先,冬季期間は手摺を取り外すため通行止めとなります。」
 ここを乗り越えれば,先に進むことはできる。私ならば,たとえ手 すりが無くても,安全に歩く自信はある。実際,ここを乗り越えて展望台まで行ったと言う話は良 く聞く。彼らは異口同音に「個人責任」と言うが,それは,私には自己弁護の言い訳にしか思えな い。私にだって行きたい気持ちはあるのだが,敢えて私はそうしない。これは,私のモラールとい うかポリシーの問題で,そのようなルールを守ることが私の誇りでもあるのだ。以前,何処かにも 書いたが,「あなたの趣味は何ですか?」と問われたとき,誇りを持って「山歩きです」と答えた いから,私はルールを守るのです。


 分岐から, 段吉新道 との合流点までが,今日一番の急登だ。30分ほどを頑張って登った。それにしても, 荷が軽いのは楽でいい。
 オオカメノキ の実は赤いが,更に熟すと黒色になる。


 シボ沢に架かる吊り橋 裏燧橋 という。

 裏燧橋の中央 から,正面に 平ヶ岳 が見える。山頂は,左側のなだらかな頂。裏燧橋を渡った所にあるベンチで,昼食にし た。


 裏燧橋から御池までは,いくつかの小湿原を通っていく。 西田代,横田代,ノメリ田代,御池田代
 湿原には可愛い高山植物が見られる。  ヒメシャクナゲ は,小さいながら,もう花芽を持っている。

 アカミノイヌツゲ   普通のイヌツゲの実は黒い

 ナナカマド も,たくさんの実を付けている。葉は既に落ちてしまった。

 御池田代 には立派な 板敷きの歩道 が造られていた。駐車場から車いすでここまで来られるようになった。


 好天気に恵まれ,素晴らしい山行だった。

40年前に一人で歩いた秋の尾瀬を思い出した。
 当時,秋の尾瀬は静かだった。 大清水 富士見下 まで入っていた定期バスも1日に数本だけになり,登山口まで行くのが大変だった。な らばと, 奥鬼怒 から歩いて 尾瀬 にはいることにした。
 昭和40年(1965年)10月4日,単独行の私は, 奥鬼怒の日光沢温泉 を朝に立って, 鬼怒沼 から 中俣沢 を下り 小淵沢の合流点 から 小淵沢 に沿って登り 小淵沢の田代 から 長蔵小屋 に行くつもりで歩いていた。このコースは前年の6月に逆コースで歩いていたが, 檜高山 を半周するようなコースで,なんとか近道はできないものかと考えていた。 小淵沢 の途中から直接に 尾瀬沼 に出られれば,かなりの近道となる。地形図で調べたが,岩場や崖は無いようである。 行って行けないコースではない。考えながら歩いていると,索道が目に入った。
 尾瀬沼に流れ込む沢の一つに 早稲沢(ワセッサワ) という沢がある。かつて,尾瀬沼に流れ込む 早稲沢 の頂上の峠から, 小淵沢 の林道まで荷物運搬用の 索道 がかけられていた。当時, 長蔵小屋 の荷物は, 大清水 から 中俣沢林道 を登り, 小淵沢林道 の途中まで車で上げ,そこから 早稲沢の峠 まで索道で上げていた。早稲沢の峠からは,キャタピラの付いた特殊な車で長蔵小屋ま で運んでいた。
 この索道の話は以前に聞いていたので, この索道に沿って 登ることにした。歩き始めだけは,索道の点検用に歩いたと思われる踏み跡が付いてい たが,少し進むと全く何も無くなった。 クマザサ が背丈以上にも高く生い茂り, 視界は全く効かない。 時々,倒木の上に乗って進行方向を確かめた。頭上を通っている索道も,背の高い樹林 に隠され,見失いがちになる。 頭上を通る索道に沿って登る ので,急な斜面を一直線に登ることになり,傾斜もかなり急になる。少し進んだところ で, 無謀だったかな と後悔したが,一方で,このくらいなら何とかなるという自信みたいなものも湧いてき た。結局, 40分ほどの藪こぎで峠の索道終点に出られた。 ここからは広い道で,突然に尾瀬沼畔の登山道に飛び出した。
 ホッとして,木道に腰を下ろし,尾瀬沼の向こうに聳える 燧ヶ岳 を眺めながら休憩した。 30分以上腰を下ろしていたが,その間,木道を通る人は一人もいな かった。 そのくらい,秋の尾瀬を訪れる人は少なかった。

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