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庚 申 山

2008年(平成20年) 11月2日(土)


コース・タイム
 自宅(6:50) ⇒ 粕尾峠 ⇒ 銀山平(8:30-朝食)
  駐車場(8:50) → 一の鳥居(10:00-05) → 鏡岩(10:45-50) → 庚申山荘(11:35-昼食-12:35) → 一の鳥居(13:35-40) → 駐車場(14:35)
 銀山平 ⇒ 日光 ⇒ 宇都宮

同行者
 妻

 確かに, 奥日光の紅葉 は素晴らしい。しかし,交通渋滞もまた,天下一品だ。そこで,比較的混雑しない紅葉 ポイントとして,以前からよく 足尾の庚申山 へ出かけていた。そう言えばここ数年は御無沙汰だったことを思い出し,庚申山に行く ことにした。
 あまり混雑することはないだろうと,宇都宮の自宅を7時前に出た。日光は混雑する ので, 粕尾峠 を抜けて足尾に入った。 銀山平 には8時30分頃についたが,予想に反して 駐車場は県外ナンバーの車で満杯だった 。やっとのことで, ゲート前のスペース に停めることができた。
 5年ほど前までは,国民宿舎 かじか荘 の前にある空き地に停めることができたのだが,今はここは整備され,一部分が かじか荘 の駐車場として残された以外は,公園のように整備され,駐車できなくなってしまった。 結局,登山者が利用できるのは,ゲートの少し 手前左側にある 不整備の空き地 しかない。その他,ゲート前の路肩に数台停められる。両者がだめな場合は,200m ほど手前 にある 銀山平公園 の駐車場が利用できる。
 朝食を食べ,身支度して,8時50分に出発した。

 庚申川 に沿って登っていくのだが,この両側の紅葉がなかなか捨てたものではない。 庚申渓谷 と言って紅葉の名所なのだ


 歩き出して間もなく, サルの群れ に出会った。大きなサルに率いられた群れで, 鏡岩 に伝わる 猿の嫁になった孝行娘 の伝説を思い出した。



 一の鳥居 までゆっくりと1時間10分かけて歩いた。多くのハイカーが休憩していた。


 ここから, 庚申山荘 まで, 水ノ面沢(ミズノツラサワ) に沿って登っていく。私はこの付近が最も気に入っている。

 樹林と紅葉の配置 が,何とも優しく,心を和ませてくれる。



 一の鳥居から40分ほどで鏡岩に着いた。 ここには, 父の命を救った猿の元に嫁いでいった孝行娘の話 が伝わっている。

 鏡岩(孝子(こうし)別れの処)
 昔,足尾の里,中才の猟師が庚申山に猟に行ったが,不幸にして吹 雪にあい谷底に落ちてしまった。登ることもできず,凍死寸前に一頭の老いた大猿が現れた。
 猟師は「自分をこの谷から救い出してくれたら自分の娘を嫁にやっ てもよい」と頼んだところ,不思議にもその猿は人の言葉が分かるらしく,喜んで同類を集め,猿 ばしごを作り猟師を無事に救った。
 帰宅した猟師は我が身は助かったもののその大猿との約束に苦しま なければならなかった。長女も次女も猿の妻になることを肯じなかったが,末娘は父の約束を果た すために猿のもとへ嫁いでいった。その後猟師は娘に会うため何度も山に登ったが,なかなか会う ことができなかった。そしてある日,この岩の前で娘にあうことができたが,娘はもう人間の姿で はなくなっていた。父娘は二度と会うことはないと,涙で別れたという。
 鏡岩 から45分ほどで, 庚申山荘 に着いた。

 庚申山荘 は布団なども備え付けられており,宿泊することもできる。  シーズン中の週末等を除いて管理人はいない。
 二階の手摺りには布団が掛けてあった。



 休憩も有料だ。


 新しいトイレができていた。 バイオ式トイレ だ。


 庚申山荘 の前にあるベンチで昼食にした。バーナーで湯を沸かし, ラーメン を作って食べた。気温が低く,ラーメンも直ぐに冷めて しまった。
 上空には,徐々に薄雲が広がり始めた。 日が陰ると寒い 。1時間ほど居て,下山した。
 同じ景色でも,登りと下りでは違って見える。

 光線の具合 もあるのだが,それだけではないような気もする。


 帰路は, 日光を回って 帰った。いろは坂の下では渋滞はないだろうと思っていたが, 日光バイパスに入るまでがかなり渋滞した

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