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水晶岳・雲ノ平 1 2009年(平成21年) 7月21日(月)-25日(土) 第1日 7月21日(火) 出発〜太郎平小屋 |
第2日 太郎平-黒部五郎小舎 へ |
○ プロローグ 雲の平付近の逍遥 は,私にとって長い間の夢だった。やっとの事で,昨年その夢が実現したのだが,私が 体調を崩し,途中敗退となってしまった。 (→昨年のレポ) 今年こそ実現しようと,昨年と同じ きくさん と二人で出かけた。昨年の反省を踏まえ,1日の行動時間を抑えた計画を立てた。この 計画にしても,天候と体調によっては,山小屋に停滞することも考慮し,柔軟なものだ。計画の概 要は次のとおり。 当初の計画 前日 宇都宮⇒大田IC⇒(高崎JC,藤岡JC,上越JC)⇒立山IC ⇒折立P(車中&テント泊) 第1日 折立 →(120)→ 1871点→(90)→五光岩ベンチ→(90) →太郎平小屋(泊) 第2日 太郎平小屋→(115)→北ノ俣岳→(30)→赤木岳→(30) →中俣乗越→(110)→黒部五郎岳→(100)→黒部五郎小屋(泊) 第3日 黒部五郎小屋→(140)→三俣蓮華岳→(30)→三俣山荘→(90) →鷲羽岳→(50)→ワリモ北分岐→(50)→水晶小屋(泊) 第4日 水晶小屋→(40)→水晶岳→(40)→水晶小屋→(40)→岩苔乗越 →(40)→祖父岳→(65)→雲の平山荘 →(160)→薬師沢小屋(泊) 第5日 薬師沢小屋→(165)→太郎平小屋→(60)→五光岩ベンチ →(60)→1871→(70)→折立 折立 ⇒(入浴)⇒ 帰宅 |
関東甲信地方
は,7月14日に「梅雨が明けたもよう」との気象庁発表があったが,
中部,北陸地方
の梅雨明けはなかなか発表にならない。更に,関東甲信地方の天候もだんだんと怪しく
なってきた。上昇したはずの梅雨前線が,再び活発化して南方に停滞している。前線上を移動して
くる低気圧が,雷雨や大雨をもたらすので,この動きには注意しなければならない。しかし,南方
の高気圧が弱いため,
しばらくの間は前線が上昇する気配はなく,大荒れの天気にはな
らないと判断
し,予定通り
7月20日出発
で,
21日から山に登る
ことにした。
○ 前日 7月20日(月) 宇都宮⇒大田IC⇒(高崎JC,藤岡JC,上越JC)⇒立山IC⇒折立駐車場(車中&テント泊) 今日は海の日,高速道路の休日割引を利用して, 太田桐生IC から北関東道に入り,関越道,上信越道,北陸道と乗り継いで, 立山IC まで乗っても1000円,ETCゲートに 割引1000円 と表示されると,思わず顔がほころぶ。 コンビニで,今日の夕食と飲み物,明日の朝食を購入して, 折立 に向かった。 有峰有料道路は1回1800円 高速道に比べて割高感があるが仕方ない。 折立 に向かい車を走らせていると,車道をゆっくりと横切る小さな黒い塊がある。良く見る と 子熊 だった。野生の熊を見たのは久しぶりだった。今回は熊よけの鈴も持ってきていた。 今日は 3連休の最終日 ,昨年と違い 駐車場 には空きがたくさんあった。そこで,きくさんの車の隣の区画にテントを張らせてもら い,キクさんは車で,私はテントで寝ることにした。 ![]() 駐車場の端から 稜線が見える。北薬師岳 から北に延びる稜線らしい。今日はあそこも良い天気のようだ。 ![]() 明日の好天を願いながら1杯飲んで,コンビニで買ってきた弁当を食べていたら,近 くの車から 良かったら一緒に飲みませんか とのお誘い。 遠慮無く,お呼ばれに。群馬から来たという 私たちより10歳ほど年上と見受けられるご兄弟 で,改造したワゴン車でいろいろなところに行っているという。私たちの他もう一人招 待者がいて,5人で楽しい時間を過ごした。 楽しくて,つい飲み過ぎてしまった。 ○ 第1日 7月21日(火) コース・タイム (休憩を含んで) 折立(7:20)→三角点(9:25)→五光岩ベンチ(11:10)→太郎平小屋(12:10-泊) 夜半から雨が降り出し,雷を伴いながら,朝まで降り続いた。 テントに当たる雨音がうるさかったが,テントに水が浸みることもなく,安心して居ら れた。しかし,さすがに熟睡はできなかった。 今日は 太郎平小屋 までなので,時間的には余裕がある。10時ころまでに出発すれば十分に間に合う。 きくさん と相談しながら,雨の止むのを待った。 7時頃 には雨もほぼ止んだので,テントをたたみ,出発の準備を始めた。 定期バス が5人ほどの登山者を乗せて到着した。自家用車も数台到着し,それぞれ登山の準備を 始めた。 7:20 雨も上がったので,雨衣を着けずに出発した。登山口には 太郎山を経て薬師に至る と書かれた標柱 が立っている。 ![]() 登山口を入った直ぐのところに, 慰霊塔(十三重之塔) が建っている。昭和38年1月に遭難した, 愛知大学山岳部員13人 の慰霊のために建てられた。当時,私も大学生だったから,ここで遭難した13人は, 私と同年代の青年 だった。 ![]() 説明板 の文字 ![]() 登り初めからの300mほどが 太郎坂 と呼ばれる急登だ。先が長いので,ペースを落とし,ゆっくりと登る。今回も, きくさん が絶妙のペースで先導してくれた。 ![]() 真っ赤な実は タケシマラン だ。標高の低いここでは,もう真っ赤な実になっている。 ![]() 変わった形のギンリョウソウ があった。花が終わって,花びらが落ちたものだ。 ![]() ママコナ は,花唇の2つの白い出っ張りを 飯粒 に見立てたものだ。 ![]() この 三角点 は,2万5千分の1地形図では 1869.8m となっているが,現地の案内板では 1870.6m となっている。 ![]() これは コメツツジ 蕾が米粒に似ていることからこの名が付いたという。 ![]() チングルマ の綿毛は,雨に濡れて矢車のようになっていた。 ![]() 三角点から少し登ると視界が開けてくる。 木道 も整備され, ニッコウキスゲ が咲いていた。 ![]() 植生保護 の意味もあり, 登山道 は良く整備されている。 ![]() ニッコウキスゲ が花盛りだ。 ![]() 高度が上がってくるとガスも濃くなってきた。 石畳道 は意外と傾斜があり,ゆっくりと登る。 ![]() 五光岩ベンチ に着いても,何も見えない。ガスの粒が大きくなり,雨になってきた。 ![]() 太郎平小屋 が近づいてきたが,雨はますます強くなってきた。 ![]() 太郎平小屋 に到着 逃げ込むように小屋に飛び込んだ。 ![]() 受付をしようとすると, 「まず,濡れたものを脱いで,乾燥室に持って行ってからにしましょ う」 と。スタッフのこんな心遣いがうれしい。 小屋では, 乾燥室 がフル稼働しており,雨衣はもとより,ザックまで乾かすことができた。 外では,雨足が一段と強くなった。 小屋は混雑していると言うほどではなく, 4畳半の部屋に4人 が入った。先客は,昨日折立で一緒に飲んだ人が1人と私たち2人の他に, 新穂高 から来たという人が1人の計4人。 布団も1人1枚ずつあり,ゆっくりと寝ることができた。 今夜の 夕食 メニューは豚肉の冷しゃぶやポテトサラダ,酢の物に昆布やかぼちゃの煮物。デザート はパイナップル。 ![]() 御飯,味噌汁はもちろんおかわり自由。 ワンカップ を片手に,ゆっくりと食事を楽しんだ。 夕食で隣同士になったのは, 関西から来たという女性3人組 いろいろな話をしながら,楽しく夕食を終えた。 山歩きの楽しさ の一つは,いろいろな人と親しくなり,いろいろな話を聞けることだ。そこには,様々 な人の様々な物語がある。この小屋で同室になった,新穂高から来た単独行の人は, 薬師を通って立山室堂まで行くという。 その人は 「若いうちしかできないから」 というが,その人も40台後半とお見受けした。私には想像もできない体力と精神力を 持っている。 雨は一層強くなり,夜になっても止む気配はなかった。明日は,天気状態如何では 滞留 も仕方ないと腹を決め,その夜は,ゆっくりと休んだ。 第2日 太郎平-黒部五郎小舎へ |