下諏訪・白馬 ドライブ旅行

期日 2011年(平成23年) 5月3日(火)〜4日(水)
 

 今年のGWは,ゴンドラを使って八方尾根を登り,八方池辺りで景色でも見てこようかと思い,3日に白馬のペンション「林檎の樹」を予約しようとした。ところが,「林檎の樹」は相変わらずの人気で,3日,4日は満室とのこと。しかたなく,白馬で,別の宿を探した。日本旅行の「宿なび」で探して,「ペンションブルー」という宿を見つけた。料金も料金なので,あまり期待は出来ないがそれを承知で予約した。場所は,林檎の樹の少し先へ行った「どんぐりビレッジ」の中にある。
 今年は,震災の影響で観光地の人出も少ないようなので,渋滞もそれほどひどくはならないだろうと思って出かけたのだが,結果的には
かなりの渋滞に遭遇した。
 
3日は,佐久ICから和田峠を越えて下諏訪に入り,諏訪大社を見てから白馬に向かいペンション泊。4日にゴンドラで八方尾根に登り,八方池まで行って昼食でも食べてから下山。長野ICから高速を乗り継いで帰宅する計画だった。

5月3日

「高速道路」

 自宅を7:00に出発し,
壬生ICから高速に入った。北関東道に入ったときから様子が違っていた。異様に車が多い。北関東道でこんなに車が多いのは初めてだった。
 東北道を抜け,
高崎JCT手前までは順調だったが,高崎JCTから上り方向の最左車線が詰まっていて動いていない。上信越道に入る車が詰まっているのだと言うことは直ぐに分かったが,「事故」の表示もあったので,とりあえず,中央車線を進んでいった。路肩に警察車両と2台の車が停まっていたが,事故処理を終えたらしく,私たちが近づいていったときに動き出した。分岐が近づいてきたので,いよいよ左車線に入らなければならない。2kmほど手前で,自衛隊の車の前に入れさせてもらった。割り込んだ状態なので,多少の後ろめたさは感じていたのだが,上には上がいて,上信越道に分岐する直前で強引に割り込んでくる車もたくさんあり,かなり危ない場面もあった。
 
藤岡JCTから碓氷軽井沢ICまで,断続的に渋滞を繰り返した。通常ならば40分程度で走れる距離だったが,1時間半ほどかかった。軽井沢のアウトレットストアを目的とした人が多かったのか,多くの車が,碓氷軽井沢ICで降りていった。
 
碓氷軽井沢ICを過ぎると,それまでの渋滞が嘘のようにスムーズに流れた。佐久ICで降りるつもりだったが,3月26日に開通した中部横断自動車道を少しだけ走ろうと思い,佐久小諸JCTで左折し,佐久北ICまで走った。道路は佐久南ICまで開通しているのだが,佐久南まで走ると,遠回りになってしまうので,佐久北ICまでとした。これが全線開通すると,静岡方面に行くのが便利になるが,全線開通の日程はまだ明らかになっていない。

「和田峠」
 佐久から,旧中山道沿いに走って和田峠を越え,下諏訪へ向かった。私が初めて和田峠を越えたのは35年ほど前で,まだ「新和田トンネル有料道路」ができていなかった。そのとき,和田峠手前にある「東餅屋」で名物の力餅を食べた。その何年後かに和田峠を越えたときには「新和田トンネル」ができ,それに伴って東餅屋も新トンネルの入口に支店?を出していた。今回も,その支店?へ寄ってみようとしたのだが,店は営業を止め,駐車場には雑草が生い茂っていた。ここで小腹を満たそうとしたのだが諦めて下諏訪に向かった。ちなみに,私が初めて和田峠を越えたのが1978年3月,新和田トンネルができたのが同年の秋だった。

「諏訪大社」
 下諏訪では,諏訪大社下社秋宮へ。秋宮の駐車場はかなり広いのだが,既に満杯で,駐車場の入口には,順番を待つ車の長い行列が出来ていた。仕方なく,私たちもその行列に並んだ。約10分ほどの行列で,運良く車を停めることができた。

 秋宮に参拝。本殿の右側に一の御柱,左に二の御柱,左奥に三の御柱,右奥に四の御柱。4本とも大きく立派だが,その中でも一の御柱が最も大きい


「御柱祭」
 諏訪大社で有名なのが,御柱祭だ。本殿の四隅に立てた御柱を,7年ごとに建て替える行事で,社殿の建て替えに代えて行う行事だ。近々では一昨年平成21年)に行われた。山奥から切り出されたモミの大木を引いてきて社殿の四隅に立てるまでが神事で,特に木落しは勇壮で全国からの観客を集めている。モミの木は,古くは御小谷山(おこやさん)から切り出していたが,最近では御小谷山にモミの大木が無くなったため,蓼科国有林,立科町有林から調達しているという。
 一昨年の御柱祭(下社)では,
4月9日〜11日に山出しを行い,5月8日〜10日に里引きを行った。里引きの最終日,一の御柱だけはその日のうちに立てられる。

「みなとや」
 先にも書いたが,私が初めて和田峠を越えて下諏訪に入ったのは1978年(昭和53年)3月28日だった。職場の仲間8人ほどで旧中山道を旅する計画を立てた。2台の乗用車に分乗して,朝に宇都宮市を出発した。もちろん上信越高速道はない時代,碓氷バイパスを通って追分へ。追分宿の名残を留めた「枡形の茶屋」を見て北国街道と別れ中山道へ。せっかくだからということで佐久の鯉を食べて和田峠に向かった。
 このとき下諏訪の宿に選んだのが「
みなとや」だった。みなとやについては,山と渓谷社発行昭和51年版「アルパインガイド 信濃・飛騨・木曽」に,このように載っていた。「・・・・温泉旅館街に『みなとや』という昔の旅篭ふうの宿がある。操業は江戸中期,『内湯御座候』の古い看板が掛かっている。客室はわずか六部屋。女中さんはいない。まだ若い夫婦が下諏訪の宿はどうあるべきか,土地の味覚がなんであるかを,いっしょうけんめいに考えて接待してくれる。ヒノキの香が漂う湯ぶね,サクラ肉(馬肉)の刺身やすき焼き,ハチノコ,イナゴ,山菜などが,ここでは実に生き生きと料理され黒漆塗りのおひつや,江戸期に焼かれた皿小鉢の盛りつけに演出される。」 ガイドブックに電話番号は載っていなかったので,下諏訪の観光案内所に電話して電話番号を調べた。電話をすると,「何日ですか?うちでは何年も先まで満員になっている日があって,その日だけはお受けできないんです。」7年ごとに行われる御柱祭の前後だけは,何十年も先まで予約されているのだという。「3月28日」というと,「それならお受けできます。気をつけておいで下さい。」と。「予約金は?」というと,「うちは,そんなものは頂いていません。予定が変わったら早めにご連絡ください。」当時は,予約金を取られるのが普通で,予約金がいらないというのは驚きだった。また「この宿を何でお知りになりました?」ガイドブックの名前を言うと,「分かりました。」そのころ,雑誌などで紹介されることが増え,それを見た客も来るようになったのだが,出した料理が雑誌のものと違うと苦情を言われるのだそうだ。細かい気配りだった。宿に着いて,打合せをしていると,「ご酒(しゅ)はどのくらい飲まれますか?」変なことを聞くなと思っていたら「晩酌程度なら置いてあるんですけど・・足りないようならば買って参ります。」もちろんたくさん買ってきてもらった。2度目に訪れたとき,同行した温泉好きのある先輩が,食事の前にも入ったのだが,食後にも温泉に入りたいという。「この湯は強(こわ)いから,ご酒を召し上がった後には入らない方が良いです。」と言われていたのだが,どうしても入りたいという。「分かりました,準備しますから少しお待ち下さい。」そして準備をして声をかけてくれた。翌日知ったことなのだが,既に湯を落とし,掃除も済ませた湯船に,たった一人のために,改めて湯を張り,準備してくれたのだった。そして,酒に酔った先輩が湯から出てくるまで,窓の外にいて「湯加減はどうですか」などと,声をかけ続けてくれていた。こんな心配りに感激し,その後3回ほど訪れたが,1988年を最後にその後訪れる機会がなかった。

「新鶴」
 本殿の西隣の宝物館の脇に,練り羊羹の老舗「新鶴」がある。古来の製法をかたくなに守り続けている塩羊羹は絶品で,35年前からその味は変わっていない。先ほどのガイドブックでは次のように紹介している。
クヌギの薪を焚き,エンマというカイのような大ベラで餡をねるのは,いずれもこの店に来て二十五年以上という四人の職人だ。手ひねりの羊羹や和菓子は需要に供給が追いつかないほどである。

「みやさか」
 参拝を終えて,秋宮の前にあるそば処「みやさか」でざるそばを食べた。石臼挽き十割蕎麦は,独特の風味があった。


「春宮」
 その後,下社春宮へ移動した。下社秋宮から国道20号を岡谷へ向かい,春宮大門で右折し春宮へ。途中,道の真ん中に面白いものがある。屋根の付いた太鼓橋だ。車は,左右に分かれて通過する。春宮の駐車場はあまり広くはない。ここも,満車だったが,少し待って停めることができた。
 諏訪大社下社では,御神体は
2月1日から7月31日までは春宮に,8月1日から1月31日までは秋宮に鎮座している。2月1日と8月1日には,御神体を移す「遷座祭」が行われる。



「万治の石仏」
 春宮の近くには,大きな自然石の上に別の石で作った頭部を乗せた,特異な風貌の「万治の石仏」が鎮座している。私が万治の石仏を初めて見たのは最初に下諏訪を訪れたときだから,35年ほど前になる。
 「
万治の石仏」が一躍有名になったのは,昭和53年5月11日朝日新聞夕刊の文化面で紹介されたことがきっかけだと言われている。私が初めて見たのはその2ヶ月ほど前だったわけだ。岡本太郎がその姿を見て感心し,朝日新聞に紹介したのは,その2年前の昭和50年頃だったという。
 地元
上諏訪角間新田出身の新田次郎は,「オール読物」の昭和51年9月号に「万治の石仏」という小説を載せた。この雑誌が「みなとや」のロビーに置いてあって,興味深く読ませてもらった。この小説は,「鷲ヶ峰物語」という単行本の中に収められて発売された。
 万治の石仏の頭部の形から,イースター島のモアイ像を想起して物語が作られた。イースター島から,モアイの頭部を抱いて海を渡ってやってきた人たちが,この諏訪の地に住み着いたというお話で,なかなか面白い。
 当時は,田んぼの中に静かに鎮座していたのだが,今は観光資源として整備され,昔の面影は少ない。最近では「
パワースポット」として宣伝され,賑わいを見せている。石仏の脇には「観光協会と商工会議所が提唱する『万治の石仏』お参りの仕方」と言う看板が立っており,願い事を心で唱えながら石仏の周りを時計回りに3周するように書かれている。容易にこじつけだと分かる説明だが,参拝者は,言われたとおりに石仏の周りを行列を作って回っている。あまりに従順な姿が滑稽でさえあった。

「再び渋滞」
 諏訪大社を出てから,諏訪湖を見たいと思い,遠回りして湖岸道路を少し走った。車を停められる適当な場所がなかったので,そのままUターンして,岡谷ICから高速に乗った。あとは,豊科ICで高速を降りて,ひたすら白馬を目指せば良かったのだが,豊科ICを出たところで道路は大渋滞。一寸刻みで,殆ど動かない。
 はっきり見えるはずの
常念岳も,今日は霞んでいてよく見えない。
 高速道に沿った県道310号は,やがて大きく左にカーブし,柏矢町で国道に出るのだが,国道の混雑を逃れて手前の重柳で右折した。しかし,この道も大渋滞。宿の夕食は6時半と言われていたが,この状態だと時間までに着けるかどうか分からなくなってきたので,宿に電話を入れた。
 通っている道は,国道が混雑するときの迂回路で,
この道まで渋滞するのは珍しいと言う。もう一つの迂回路を教えてくれた。
 この渋滞は
大王わさび園入口まで続き,僅か7.5kmを進むのに1時間半かかった。一般道の渋滞は情報が乏しく,渋滞が何処まで続くのかが分からないので不安になる。
 その後は,流れは良くなった。教えられたとおりに,
安曇橋南を右折し,高瀬川を渡って県道51号を大町方面に向かった。その後は渋滞することもなく,午後5時にはペンションに着いた。


 「ペンションブルー」
 「ペンションブルー」のある一角は,「どんぐりヴィレッジ」というペンション村で,ペンションブルーは入口を入って間もないところにあった。名前はブルーだが,赤い屋根の建物だった。 チェックインの後,車で5分ほどの温泉(ガーデンの湯)まで出かけ,汗を流した。





 夕食は,サーモンのマリネとステーキ中瓶ビールをお代わりして飲んだ。どうしても「林檎の樹」と比較してしまうのだが,料理の内容はそれほど差がなくても,給仕の仕方などで雰囲気はずいぶんと変わってしまう。改めて,林檎の樹が人気があるのがよく分かった。

5月4日

 翌日は,朝早く目覚めたので,付近を散歩した。風が強く,寒かった。
 
オオヤマザクラ 




 カラマツの雌花まだ芽を出して間もないものでとても小さい。



 キブシ


 白馬大橋のたもとから八方尾根を望んだ。雲が多めで,山頂は雲の中だった。




 朝食は,外のテーブルで食べるという。真夏であれは快適なのだろうが,なにぶんにも今日は寒すぎる。毎年,この時期から外で朝食をとることにしたのだろうが,この時期は寒い日もある。臨機応変に,もっとお客を大切にしたもてなしが出来ないのだろうか。こんなところに,オーナーの考えが現れ,それが宿の評価に繋がっているのだと思った。

 冷たい風に曝されて,ゆっくり食事をする状態ではなかった。手作りパンは美味しかったが,珈琲も飲んでるうちに冷めてしまった。

 食事をした場所は見晴らし抜群で,足元の
松川の向こうに八方尾根から唐松連峰の姿がよく見える。寒くさえなければ,見晴らしは最高の場所なのだが。

 早々に食事を切り上げ,宿を後にした。

                     不帰喫,不帰曲が雲の切れ間に姿を現した。

 山にかかった雲も取れそうにもなく,山に登りたいと言う気持ちも萎えてしまったので,このまま帰ることにした。



帰路,関越道と東北道で下り渋滞にかかるかなと思っていたが,案の定,佐野田沼ICから東北道栃木ICまで渋滞という情報が流れた。そこで渋滞を避け,手前の足利ICで高速を降り,国道293で田沼に向かった。
 越床トンネルを越え,駒場の信号を右に入り,
道の駅どまんなかたぬまに寄った。地元産の野菜などを買い,美味しいという評判の「佐野ラーメン」を食べた。道の駅も大混雑で駐車スペースを探すのが大変だった。
 食事の後,国道293で葛生を通り,帰宅した。

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