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奥 白 根 山 冬道往復

期日 2011年(平成23年) 5月15日(日)


コース・タイム
 自宅(4:30) ⇒ 菅沼駐車場(5:31-朝食)
  駐車場(6:05) → 夏路分岐(6:30) → 二股(7:25-35) → 弥陀ヶ池(8:35-40) → 見晴(9:10-25) → 北峰(10:10) → 頂上(10:20-40) → 引き返し点(11:10) → 山頂(11:55) → 北峰(12:10) → (昼食) → 弥陀ヶ池(13:05) → 駐車場(14:40)
 菅沼駐車場(15:00) ⇒ 自宅(16:30)

同行者
 単独

 日光白根山(奥白根山) は,自宅から近い距離にあり,変化に富んだ登山道,豊富な植物など魅力もたっぷりで, 私の大好きな山のひとつである。広く人気のある山で,積雪期を含めて登山者は多い。私も,夏道が 通れるようになる6月初旬から新雪の降るまでの間に幾度か訪れている。かねてから,雪の上の冬路 を歩いて見たいと思っていたのだが,今までその機会が無かった。 5月4日に訪れたクリちゃんのレポ にも刺激され,今回,天気も良い予報なので,実行した。単独行となったが,登山者も少 なくないようなので安心して計画した。

 残雪 を登るのは,気温が低く,雪が締まっている 早朝に登るのがコツ である。そんなことで,自宅を早めに出発して,日光から金精峠を越え,菅沼の登山口に 向かった。日光バイパスから, 朝日に染まった男体山 が見えた。久しぶりに見たような気がする。


 奥日光に向かうとき, 白根山 の絶好ビューポイントが2個所ある。1つが,ここ。第1いろは坂を登って,明智平から 第2明智トンネルを抜けたところ で,前方に白根山が見える。ここから見る姿は,避難小屋の方から見る姿であり, 大きな雪渓が正面に見える 。左に並んだピークは 白根隠山

 中禅寺湖畔からは,これもまた,私の大好きな山 社山 が見える。もう,雪は融けた。

 金精道路 の途中に展望スポットがある。車を停めるスペースがあって,多くのドライバーがここで 車を停め,景色を眺め,写真を撮る。シルエットの 男体山 がきれいだ。手前の水面は湯ノ湖。
 ただ,カメラマンの中にはルールを無視する人もいる。今朝も,道路上に車を停めて写 真を撮っていた人がいた。通行の障害にもなるし,とても危険だ。

 正面に 金精山 の岩壁が朝日を受けて輝いていた。今日は最高の天気だ。

 菅沼の駐車場 に着いたのは5時半。 停まっていた車は4台。意外と少ない。
 隣の車の人と少し話をした。岩槻の人で,前日沼田の道の駅「白沢」で夜明かしをして, 今朝ここに移動してきたという。仕事をリタイアした方だそうだが,健脚で,私より5分ほど早くス タートしていったが,追いつくことはできなかった。

 朝食を食べ,身支度をして歩き出したのは6時5分。

 駐車場を出ると直ぐに 雪の上の歩き になる。少し歩いて,看板のあるY字路でアイゼンを着けた。

 大型連休から後,かなりの人が登っているようだ。 無数の足跡があり,しっかりと踏み固められている。 先行者の足跡にはアイゼンの跡はなかった。
 アイゼンを着けた方が良いのかどうかは,個人の考え方によるのだが,私は,着けた方 が 歩きやすい ので,早めに着けている。雪渓の横断など,僅かな距離でも,アイゼンを着けるべきだと 思ったら, 横着せず に着けるようにしている。

 雪崩 の危険は感じないが,雪の上に両側の 崖から落ちてきた大小の岩石 がたくさん乗っている。この時期は,雪崩より 落石に注意 しなければならない。


 今日のスタイル はこんな感じ。ピッケルは雪に刺してカメラを固定している。


 右側(左岸)の崖  ここから石が落ちてくる。夏道は,この上を通っている。

 徐々に 傾斜が増して くる。


 傾斜は,写真ではわかりにくい



 二股 に着いた。 左側から合流する沢 を詰めると,五色山と弥陀が池の鞍部に出られる。クリちゃんはここを下ってきたと言う。 私もここを降りてくる計画だった。

 弥陀が池に直登するルートは, 赤いリボンを目印に右側の沢を登る 真っ直ぐに進んではいけない。

 ダケカンバの幼樹 がきれいだ。傾斜はますますきつくなった。

 30分ほど登ってから, 左側の小さな尾根を越えて隣の沢に移る。 赤いテープが目印になっているので見落とさないように注意する。

 急な斜面を更に30分ほど登ると, 傾斜が緩く なってくる。

 弥陀が池 に近づいてくると, 奥白根山のドーム が見えてくる。

 長い雪の斜面との戦いを終えて, 弥陀が池 に到着した。


 ドーム は,雪解けが進んでいた。

 弥陀が池 は,南側から 雪解け が進んでいた。

 以前はなかった 看板 が立っていた。設置者の名前がないので,行政が立てたものではない。 栃木県側のことが書かれていないところを見ると, 群馬県側の民間業者(例えばロープウエイ会社) が立てたものだろう。  あまりに商売根性が見え見えでいやらしい。


 まず, 座禅山との鞍部 へ上がり,そこから奥白根山本体へ登る。

 急な斜面を登って行くと,雪面に大きな 割れ目 ができている。底雪崩の危険がある。

 山頂 がまた違った姿で見える。

 少し登ると 北方の山がよく見える。 山頂へ行けば360度の大パノラマが見られるのは分かっているのだが,毎回,がまんし きれず,ここで写真を撮ってしまう。
 (写真をクリックすると大きな写真が見られます。)

 弥陀が池 を俯瞰する。



 ここは石楠花のトンネルになるところ  花のつぼみは例年より少ないように見えた。


 更に登ると,北方から北西方向までよく見えるようになる。   (写真をクリックすると大きな写真が見られます。)


 ガレ場を登り切ったところから 登ってきた雪渓を振り返る。 雪渓には浮き石が無いので登りやすい。

 五色山  山頂の雪解けは進んでいる。

 山頂  誰もいなかったので,セルフタイマーで撮影した。



 男体山方向のパノラマ  (写真をクリックすると大きな写真が見られます。)



 雪解の僅かな時期にだけ姿を現す 釜池

 別の角度から  クリちゃんの写真にはもっと大きな釜池が写っていた。

 避難小屋方面に向かって 下っていった。 この斜面 は下って行くに従って,傾斜が急になる。



 斜面を下りていったが,雪が腐って足元が安定しない。 この傾斜 では,もし転倒したら,なかなか止まれそうにない。先行者は下っていったが, 私はかなり疲れていて,脚力が落ち,安全に下れる自信がなかった。 そこで,ここを下るのを諦め, 引き返すことにした。 自分でも臆病すぎるかなと思うのだが,危険を冒さないのが私の山登りのモットーなのだ。 再び山頂へ登り返し,弥陀が池に下った。

 弥陀が池 からも, 往路を戻る ことにした。気温が上がり,雪は ますます柔らかに なってきた。急斜面を,足元に注意しながら下ってきたが,徐々に 膝に痛みが出てきた。
 小さな尾根をトラバースして,傾斜が緩くなる二股までもう少しというところだった。 踏み出した右足に体重をかけて左足を上げたところで,体重をかけた右足が流れた。
 まず,しりもちをつき,そのまま滑り出した。 冷静に!冷静に! と自分に言い聞かせ,両手に持ったままのストックでどうやって止めるかを考えた。
 その間にも,凹凸のある雪面をバウンドしながら,徐々に加速しながら落ちていった。
 まず腹ばいになり,左手で右のストックのバスケットのすぐ上をにぎり,雪面に突き立 てた。
 加速度が付いていてすぐには止まらなかったが,数回突き立てて 何とか止めることができた。
 最悪のことも頭をかすめたが,何とか止めることができた。ゆっくりと立ち上がり,横 に動いて安全な場所に足場を固定しザックを降ろした。幸いなことに大きな怪我はなかった。
 途端に 両足がガタガタと震えだした  気持ちが悪くなるほど心臓が激しく打っている。しばらく何もできなかった。


 しばらく休んでいると,上から2人連れが降りてきた。カメラケースから抜け落ちたカ メラを,途中で拾ってきてくれた。 写真 は,その場所から上部を見て撮ったもの。


 帰宅後, ガーミン の記録を調べた。
 索引の 1876 から 1884 までの間で区間速度が 10km/h〜20km/h になっている。普通の歩行では区間速度が1km/h未満なので,ここが 滑落していた区間 と見られる。1875と1876の間に滑り始め,1885と1886の間に停止したことが分かる。
区間の長さを合計すると,滑っていた区間は 68m だった。高度では 38m ,滑っていた時間は 16秒 だった。記録を見るまでは,漠然と,滑落した距離は50〜60m,時間は10秒前後と思ってい たのだが,記録を見ると,もう少し深刻な状態だったことが分かった

 滑落の直接の原因は,不注意と言うことになるが,その前提として 「疲労」 がある。足の筋肉が疲労し,踏ん張れなくなっていたこと,バランス感覚が衰えていたこ となどがあげられる。疲労については,自分でも気がついており, 避難小屋へ下るのを止めたのも,それが理由の一つだった  滑落の停止行動については,実際に行ったのは初めてだが,訓練として何度かやってい たので,比較的冷静に対応できた。 訓練も無意味ではなかった と改めて思う。
 気持ちも落ち着いてきたので下山を開始した。そこから二股までは10分とかからなか った。二股からは傾斜も緩くなったが,慎重にゆっくりと歩いた。
 駐車場に着いたのは14時40分。身支度を解いて駐車場を後にしたのは15時だった。

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