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九州旅行 その2(第3,4日)
平戸 〜 長崎 〜 雲仙
2011年(平成23年) 10月9日(日)-10日(月)

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コース・タイム

10月9日(日)
 平戸(8:03) ⇒ 佐世保(弓張展望所9:13-29) ⇒ 西海橋(10:29-56) ⇒ 長崎平和公園等(12:04-昼食-13:59) ⇒ 県営常盤駐車場(14:34)
  駐車場(14:40) → 大波止(出港 15:30) 〜〜 伊王島(15:49)

10月10日(月・体育の日)
 伊王島(9:50) 〜〜 大波止  長崎市内観光(出島,グラバー園,チャンポン)解散(14:00)
 駐車場(14:23) ⇒ 諫早IC(14:46) ⇒ 諫早湾堤防道路P(15:20-28) ⇒ まゆやまロード ⇒ 平成新山ネイチャーセンター(16:10-24) ⇒ 雲仙岳災害記念館(16:40-56) ⇒ 道の駅(17:00) ⇒買い物(17:17) ⇒ 道の駅(17:52)


10月9日(日)  平戸から長崎伊王島

 日本の西の端まで来ると,夜明けはますます遅くなる。我慢できず, ホテルの窓から外を見た 。東の空が明るくなってきた。

 ホテル出発は,団体と一緒になり,フロントは混雑していた。今度の旅行で,今までの 旅行と変えたところがある。それは,全ての会計を妻に任せたことだ。ホテルのチェックイン,チェ ックアウトも妻に任せた。
 8時にホテルを出て佐世保に向かった。佐世保港を見渡せる 「弓張展望所」 に登った。ここからは,米 軍基地に停泊している軍艦などを見ることが出来る。

 眼下に 米軍基地 が見えたが,霞んでいる。

 望遠レンズで撮影したが,細かいところまでは確認できない。 潜水艦が接岸するような岩壁 が見えた。

 これは明らかに 軍艦 だ。

 佐世保から 西海橋 へ向かった。西海橋は 大村湾 の入口に架けられた橋で, 旧道に架けられた橋 と, 西海パールラインの橋 の2本が並行して架けられている。旧道の橋のたもとには駐車場があり,橋を見ることが 出来るが,パールラインには駐車できる場所がないので,通過するだけになってしまう。そこで,敢 えて旧道を選んで走った。
 これは 新しいパールラインの橋

 これは 旧道の橋

 同じ アーチ橋 でも,アーチの使い方が違うと,表情が全く異なる橋になる。


 西海橋から長崎までの道のりは,かなりある。長崎では, 平和公園の地下駐車場 に車を入れた。ここに車を置いて,この近くを歩いた。
 平和祈念像

 平和公園の噴水 。ここにはこんな文字が刻んであった。
 「・・・・・のどが乾いてたまりませんでした 水にはあぶらのようなものが一面に浮いていました  どうしても水が欲しくて とうとうあぶらの浮いたまま飲みました  −−−あの日のある少女の手記から 」改めて原爆の悲惨さを思った。

 爆心地公園の, 爆心を示す標柱

 長崎原爆資料館  残念ながら時間がなかったので内部は見られなかった。

 浦上天主堂  浦上天主堂は,1880年に信徒が旧庄屋屋敷を買収して仮天主堂と したのが始まり。1895年に天主堂建立に着工,20年の歳月を経て1914年に完成。1945 年,原爆によって破壊焼失。信徒12,000人のうち 8,500人が爆死した。1959年原爆被災前の天主 堂をモデルにして,鉄筋コンクリート造りの現在の天主堂が落成した。
 1980年,被爆前の天主堂のように外装を赤レンガ造り,窓は全部 ステンドグラスにするなど内装を整備した。浦上は現在信徒8,500人で日本で一番信徒の多い小 教区だ。
 天主堂を訪れたとき,偶然にも結婚式が行われていた。式が始まり,新婦と父親の入場 を拝見することが出来た。新夫婦の前途を,参列者とともに祝福させてもらった。


 天主堂から駐車場に戻る途中で昼食にした。長崎の名物を食べたかったので, 「大華飯店」 という中華料理店に入り, 「皿うどん」 を注文した。ここの皿うどんは パリパリ麺 だった。皿うどんというと,柔らか麺を想像してしまうのだが,長崎の皿うどんはパリパ リ麺が主流のようだった。しつっこい味付けではなく,さっぱりしていて美味しかった。

 昼食後,再び平和公園に戻り,駐車場から 大波止の駐車場 を目指した。
 計画では, 稲佐山 に行く予定だったが,交通渋滞のために今後の時間が読めないので,稲佐山はカットして, 直接に駐車場に行くことにした。

 今日は 長崎くんち の最終日で,道路も駐車場も大混雑だ。車は,長崎在住の幹事のアドバイスに従って 県営常盤駐車場 に置くことにした。ここは,埋め立て地に最近出来た駐車場で,インターネットの駐車場 案内にも殆ど載っていない。広い駐車場なので,なんとか停められるだろうと言うことで,そこに向 かった。税関前の交差点を右折し,美術館前で左折した。少し進んで橋の上までくると,駐車場に入 る車が長い列を作っている。しかし,車の列はゆっくりながら前進しているので,そのまま待つこと にした。駐車場から1台出ると,1台入れるというかたちでコントロールしている。思ったより早く, 15分ほどの行列で,駐車場に入ることが出来た。  車は,明日の午後までここに置いておき,この後は他の参加者と行動を共にすることに した。
 県立美術館前から 出島ワーフ を通って 大波止ターミナル に向かった。  通路の両側には,出店が並び,たくさんの人で通り抜けるのが大変だった。

 帆船 が停泊していた。しかし,どことなく実船の雰囲気が無く,映画のセットのような感じだ った。

 伊王島へはこの船 「コバルトクイーンII」 で渡る。待合室で,何人かの仲間と1年ぶりの再会。
 女神大橋 の下を通過。この橋は斜張橋だが,橋桁が鉄板によるチューブ構造になっているのが珍し かった。


 これは 伊王島大橋 。この橋が出来たおかげで,伊王島が道続きになった。

 伊王島の桟橋  ホテルまでは歩いても直ぐなのだが,送迎のバスに乗った。

 「やすらぎ伊王島」 は,ホテルやスポーツ施設などが一体となった複合レジャー施設だ。そこのホテル「凪の 音(なぎのおと)」に宿泊
 ホテルの窓から見える景色  テニスコートの周囲にコテージが点在している 日本離れした光景だ  

 夕食懇親会は 18:30から。昔話に花を咲かせたり,近況報告をしたりして楽しい時間を 過ごした。



10月10日(月・体育の日)  長崎市内観光をして雲仙へ

 今日は,再び船で長崎市内へ戻って, グラバー園 などを観光する。ホテルから,送迎バスで船着き場に行った。

 大波止の ターミナルビル は,面白いデザインだ。

 大浦天主堂

 大浦天主堂の正式名称は 「日本二十六聖殉教者天主堂」 で,1597年日本で最初に殉教した日本26聖人たちに捧げられた教会だ。そのため、大浦天 主堂は殉教の地である西坂に向けて建てられている。1933年と1953年に国宝に指定された。
 グラバー園 は高台にある。眼下に,常盤駐車場と,その中に置いたままの 私の車 が見えた。昨日は満車だった駐車場の車も,今はまばらだ。



 園内には ブーゲンビレア の花が咲いていた。紫色が鮮やかだった。

 グラバー邸

 出島のカピタン屋敷 。カピタン(船長)が滞在した屋敷。オランダからは 春の風で日本にやってきて, 秋の風 で帰国する。その間に滞在した館で,カピタンがいないときは,少人数の職員がここで暮 らしていた。

 新地の中華料理店で昼食を食べて解散。荷物を持って駐車場へ。駐車料金は2800円。 これにはちょっと驚いた。料金が時間制であることは分かっていたのだが,一般的に,12時間以上 などには上限値が設けられている場合が多く,これほどになるとは思っていなかった。

 駐車場を出て島原に向かった。  諫早まで高速道を走り,今話題になっている有明海の 締め切り堤防 の上を走った。これは 北部排水門

 締め切り堤防は正式には 「潮受堤防」 と言い,堤防の上は 「雲仙多良シーライン」 」という快適な ドライブウエイ になっている。
 堤防のほぼ中央に,展望所と駐車場が作られている。 排水ポンプ が稼働しており,堤防内の水を外洋に排水している。

 雲仙普賢岳 は,1989年の群発地震に始まり,1991年には溶岩ドームが形成され,その崩落に よる火砕流が度々発生した。6月3日に最大級の火砕流が発生し,43人の死者,行方不明者を出し た。その後も溶岩ドームは成長を続け,雲仙山塊の最高峰になった。これを 「平成新山」 と名付けた。
平成新山ネイチャーセンター  この前から平成新山がよく見える。

 平成新山

 山頂付近を望遠で撮影すると,数カ所から 白煙 が上がっていた。まだ活発に活動中だ。

 雲仙岳災害記念館

 災害記念館のガラス張りの展望室から 雲仙岳 を眺めた。右手前の山は眉山。


 災害記念館から 道の駅水無本陣ふかえ に移動した。17時を過ぎていたので,道の駅の店はもう既に閉じているか,店じまいの 準備をしていた。 明日は一番早い船で熊本に渡る  そのことを考えて,今日は,ここで車中泊をすることにした。

 この道の駅は市街地から離れている。夕食の買い出しのために,島原の町に向かった。 スーパーを探したのだが,結局見つからず,コンビニで,弁当と明日の朝食用にパンを買った。
 駐車場に戻ると,キャンピングカーが1台停まっていた。やはり,連れがいないと寂し い。徐々に車が到着し,結局,この日ここに停まった車は8台ほどになった。
 雨がぱらついてきた。寝ようとしたのだが,異様に暑い。何とか寝ようとしたのだがど うしてもダメだった。エンジンをかけてエアコンをかけた。エンジンをかけたまま眠ることも出来な いので,少し強めに冷やしてエンジンを止めた。しばらくうとうとして,また目が覚めた。こんなこ とを繰り返して朝を迎えた。

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