閉じる
尾 瀬 ヶ 原

2013年(平成25年) 10月4日(金)-5日(土)


コース・タイム
10月4日(金)
 宇都宮(6:40) ⇒ 戸倉第1駐車場(8:35-55) ⇒(シャトルバス)⇒ 鳩待峠(9:25)
  鳩待峠(9:30) → 山ノ鼻(10:30-40) → 牛首(11:30-40) → 竜宮(12:10) → 見晴(12:45-昼食-13:25) → 東電小屋(14:10-泊)
10月5日(土)
  東電小屋(7:40) → ヨッピ橋(7:50) → 牛首(8:30-35) → 山ノ鼻(9:20-35) → 救助(10:30-50) → 鳩待峠(11:05)
 鳩待峠駐車場(11:20) ⇒(乗り合いタクシー)⇒ 戸倉第1駐車場(11:50) 戸倉第一駐車場(12:00) ⇒ 今市報徳庵(昼食) ⇒ 宇都宮(14:35) 

同行者
 妻

 事故以来,きつい山歩きが出来なくなった妻を連れて,1泊で 尾瀬 に行くことにした。 コースは, 鳩待峠 から入って, 尾瀬ヶ原 で1泊して,翌日, 鳩待峠 に戻って来るというコースだ。このコースならば,妻も大きな負担が無く歩けるだろう。 宿は,「一人2000円割引」というハガキが送られてきた 東電小屋 にした。紅葉時期の週末は宿が取れないばかりでなく,木道も渋滞するほどの混雑なので, 1日前にずらして,金曜日に出かけることにした。
10月4日
 宇都宮 を6時40分に発って,日光に向かった。途中,雨がぱらついていたところもあったが, いろは坂 を上がると,青空も見えてきた。トイレ休憩のために寄った 三本松茶屋 の駐車場では,日も差してきた。


 でも, 男体山 の頂上付近には雲がかかっており,すっきりした秋晴れではない。  近くの 三岳 や, 金精山 の方にも雲がかかっており,好天は期待できないと思った。


 案の定, 金精道路 を登り始めると,再びガスに覆われてきた。このガスは,峠を越えて, 鎌田 の少し手前まで続いた。

 戸倉の 第1駐車場 は,半分ほどが埋まっていた。平日ながら,かなりの車が停まっていた。

 シャトルバス に乗って発車を待つ。

 鳩待峠 はガスの中だった。カッパを着るほどではなかったので,そのまま歩き出した。

 石畳の道 は,濡れると滑るので,特に下りでは細心の注意で歩かなければならない。

 濡れた木道 も滑りやすい。滑って転倒し,怪我をする人も少なくない。歩幅を狭くして,足の平全体 に力を入れて歩くようにする。

 尾瀬では 草紅葉 が終わりに近づき,代わって, 樹木の紅葉 が最盛期になっている。

 これは ツルアジサイ イワガラミ

 ツリバナ

 マユミ

 コマユミ

 川上川橋  山ノ鼻は近い

 山ノ鼻ビジターセンター は外壁の工事中だったが,利用は可能だ。

 山の鼻 至仏山荘 の前で休憩し, 見晴 に向かった。
 尾瀬ヶ原 に出て振り返ると, 至仏山 の山腹が錦に染まっていた。

 尾瀬ヶ原の中心 に向かって木道が伸びている。正面の 燧ヶ岳 は,中腹から上が雲の中だ。

 オヤマリンドウ は満開のときでも,先が少ししか開かない。

 やはり, ヒツジグサ の紅葉は,青空を写した水面が似合う。

 もう少しで 牛首 だ。

 牛首 の紅葉

 アキノキリンソウ

 希少種の オゼコウホネ

 紅葉の饗宴

 イワショウブ


 ワレモコウ

 牛首分岐  今日は,ベンチも空いていた。

 燧ヶ岳 に懸かっていた雲も取れ,山頂が顔を出した。

 オオマルバノホロシ  毒々しい色だが,見た目どおりに有毒植物だ。


 マユミ の実は不思議な形をしている。

 竜宮小屋

 竜宮小屋から30分ほどで, 見晴 に着く

 ここには7軒の 山小屋 が集まっている。

 最も原に近い 弥四郎小屋 のベンチで昼食にした。バーナーで湯を沸かし,カップ麺を食べた。生ビールが飲みたか ったのだが,もう終了していた。ここまで来れば, 東電小屋 まであと僅かなので,ゆっくりと休憩してから,出発した。

 ウメバチソウ は,良く見ると花びらに細い線が見られる

 アケボノソウ は,花びらの先の黒い斑点を,朝方の星に見たてて, 曙草 という。

 トリカブト は,有名な有毒植物

 赤田代から左に折れて,東電小屋を目指した。
 尾瀬ヶ原橋 は架け替えられて立派になった。 「東電尾瀬橋」 という看板も掛けられていた。名前も変わったらしい。

 14時少し過ぎには東電小屋に到着した。
 夕食  キノコのお汁が美味しかった。


 夕食後,7時には部屋に戻り,布団に入ってしまった。

10月5日
 天気が悪かった ので,朝の写真は撮らずに,布団に入っていた。あまり食欲はなかったが,朝食もがんば って食べた

 夜明けから少しずつ降っていた が,出かけようとしたら強くなった。仕方なく,カッパを 着てスタートした。私は,カッ パのズボンだけはき,上は着ないで,代わりに傘を差して歩いた。


 私は未熟なので,まだまだ 雨を楽しむ と言う心境にはなれないが,雨の風情を感じようと考えながら歩くことにした。
 木道 が雨に打たれて光っている

 ヨッピ橋

 大粒の雨 が池塘の水面に当たってはじけていた。

 雨の時には返って見通しが良い。 燧ヶ岳 の山頂も見える。

 至仏山 の山頂も見えてきた

 雨が 小降り になってきた。

 今日は 「逆さ燧」 がよく見えた。

 東電小屋から1時間半で 山ノ鼻 に着いた。ここで休憩し, 鳩待峠 への登りに懸かった。

 今日は 土曜日  対向する人は多い。

 ボッカ さんには道を譲るのがマナー

 木道の上には落ち葉が載って,一層滑りやすくなっている



 負傷者の救助
 山ノ鼻からゆっくりと1時間ほど登ってきたとき,ヨセ沢を過ぎて,ハトマチ沢の少し 手前で,木道の右下5m程の斜面に人がいるのが見えた。何か珍しいものでもあって,写真でも撮っ ているのかなと思って近づいていったが,そうではないことが分かった。斜面の下5m程のブッシュ の中に2人の人がいる。どうやら,木道から落ちた人を助けようとしているらしい。
 一人が下にいて,もう一人が木道上にいて下の人とやりとりしていた。「お手伝いしま すか?」と声をかけたが,返事はなく,その代わりに「綱を持っていませんか?」と声がかえってき た。私はいつも,120cmのシュリンゲを2本とカラビナを2つ持っている。そぐにそれを取り出し, 2本を繋いで下にいる人に渡した。ロープを使って引き上げようとしたらしいが,落ちた人は,痛み があるらしく,立ち上がることさえできない状態だった。これは,一人で救助するのは無理だと判断 して,私も下に降りて行って手伝うことにした。

 後で分かったことだが,落ちたのは御夫婦二人で山ノ鼻に向かっていた76歳の御主人 の方で,奥さんが,木道上で我々の救助を見守っていた。私がそこに着いたとき救助に当たっていた のは,同じく山ノ鼻に向かう若い男性2人組だった。落ちた男性には,まず,背負っていたザックを 外させたようとしたが,左肩の痛みが強く,左手を動かせない。肩紐のバックルを外すことで,やっ とザックを外すことができた。右手で近くの木につかまらせ,やっと立ち上がることができた。左手 と全身がガタガタと小刻みに震えている。肩の痛みと共に,ショックが大きかったようだ。木道まで 引き上げることはできても,負傷者が自力で歩くことは殆ど無理で,その先は私たちだけではどうし ようもないことが分かってきた。救助中も,通りかかった人が何人も声をかけてくれた。そこで, 「ここから携帯が繋がったら,救助を要請して下さい」とお願いした。その中の一人の携帯が119 番に繋がった。負傷者の氏名,年齢,怪我の状態等を知らせ,救急車が来てくれることになった。落 ちたところを登るのは無理と判断し,少し平行に移動して傾斜の緩いところで,木道に上がるように した。負傷者は肩を痛めているので,背負うこともできない,仕方ないので,補助しながら自分の足 で歩いてもらうことにした。
 何とか,木道まで登ることができた。とりあえず,木道に腰を下ろさせ,休ませること にした。休んでいると,一人の人が上から降りてきて,声をかけてくれた,後で分かったのだが,竜 宮小屋の御主人の萩原さんだった。さすがに事故の対応には慣れており,負傷者を励ましながらも, 必要なことをきちんと聞き出し,対応してくれた。これまで救助に当たってくれた二人の人は,もう 大丈夫と判断して,名前も告げずに,山ノ鼻に向かって下っていった。
 私たちも,上に向かうことにした。萩原さんに,「これから上に向かうので,何か連絡 することがありますか」と声をかけた。萩原さんは「私も小屋に行かなければならないので,いつま でもここに付いているわけにいかない。上から救助に来られる人がいたらよこすように言ってくださ い。」と。
 鳩待峠に着いて,鳩待山荘の受付に,事故の概要と,救急車の要請をしたので間もなく 救急車が登ってくると言うことなどを連絡した。
 戸倉行きの乗り合いタクシーを待っていると,サイレンの音がして救急車が登ってきた, 救急車の担当者に,事故の起こった場所,負傷の様子などを伝えてから乗り合いタクシーに乗り込ん で戸倉の駐車場に戻った。
 通りかかった人たちが,見ず知らずの人のために時間を割いて協力し合い,負傷者を救 助したと言うこと,そして私もそれに協力出来たことに,満足感とうれしさを感じている。
 ただ一つ残念だったことがある。鳩待峠で,どこに連絡すれば良いのかが分からず,バ スの切符売り場の人に話しかけたときだ。途中で怪我人がいるので,そのことを話したいのだがどこ に連絡したらいいのかと訪ねたら, 「あなたはその人の身内ですか」 と言う。 「いいえ,通りかかった者です」 というと, 「身内の人から正式な救助要請が出ない限り,私たちは出動しません。 」 「救急車の要請が済んでおり,そのことを連絡したいのです」 と言ったら, 「それなら山荘の受付に」 と言われた。
 ここで, 「おかしいな?」 と思ったのは,身内の者の正式な救助要請が出ない限り動かないと言うことだ。尾瀬だけ が特殊な環境なのだとは思うが,通りかかった者の通報だけでは救助にでないというのは,一般登山 の常識とはかけ離れている。
 多くの登山者(ハイカー)がいると言うことは,それだけ事故の可能性も高いと言うこ とだと思う。善意で行動した多くの人の姿に感動した後だけに, 事なかれ主義ともとれるこのような対応をされたことは残念でなら ない。
 写真は,白い帽子が私で,負傷者のザックを上に待つ人に渡そうとしているところ。 黄色のカッパの人が救助に当たった人で,負傷者は,その足下にうずくまっている。

 ページトップへ