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社  山

2015年(平成27年) 10月8日(木)


コース・タイム
 宇都宮(5:40) ⇒ 丸沼ロープウエイ乗り場(7:01-30) ⇒ 歌が浜P(8:00)
  歌が浜(8:14) → 狸窪(8:55) → 阿世潟(9:14-17) → 阿世潟峠(9:40) → ロボット雨量計(10:07-10) → 山頂(11:01-03) → 昼食(11:30-43) →
  → ロボット雨量計(11:46) → 阿世潟峠(12:00-03) → 阿世潟(12:18-25) → 狸窪(12:50) → 歌が浜(13:26)
 歌が浜P(13:40) ⇒ 宇都宮(14:40)

同行者
   単独

 天気予報は良かった。ただ,台風が太平洋上にあるので風は強いだろうと思っていた。今日は, 奥白根山に登る予定だ。奥白根山には,今まで 菅沼登山口からばかり登っていたのだが,今日は 丸沼からロープウエイを使って登る 。栃木県側と群馬県側のどちらが表登山口 なのかは意見の分かれるところだが, 不動尊,六地蔵,大日如来,賽の磧 等々が群馬県側にあることから, 信仰としての登山は,主に群馬県側から行われていた と考えるのが妥当だろう。そんな遺跡も見てみたいと思って,丸沼からの登山を計画した。
 宇都宮を出発するときは空は雲で覆われ,日光連山の姿は見えなかった。 日光に近づくに従い,雲の切れ間から日が差すようになってきたが,反対に,時折, 小雨がフロントグラスを濡らすようになった。馬返しからは, 男体山の裾野に陽が当たっているのが見えた。

 いろは坂 を登っても,時折雨のふき懸かる天気は変わらなかった。中禅寺湖を挟んで, 社山が見えた。社山に,かすかに虹が架かっている。


 戦場ヶ原まで進むと,虹がはっきりしてきた。

 湯の湖にも虹が架かっていた。


 丸沼のロープウエイ駅には 7時 に到着したが,ロープウエイの始発が8時と言うことで,係員はまだだれも居なかった。

 時折強い風が吹いたが,ロープウエイは動くだろう。問題なのは雨だ。 時々強い雨が降り,舗装道路に水たまりができる。
 とりあえず,車の中で朝食を食べて,天気の回復を待つことにした。
 上空の雲の動きは速く,天気の変化も目まぐるしい。相変わらず,雨は降ったり止んだりを繰り返している。
 7時30分まで待ったが,天気の回復する様子はなかった。そこで,今日の 奥白根山登山は諦めることにした。
 ここまで来るときに,中禅寺湖畔から見た社山の姿を思い出し,もし,登れるような天気ならば 社山に登ろうと,歌が浜の駐車場まで戻ることにした。


 歌が浜駐車場から見た 社山には陽が当たっていた。 今日は社山に登ろう


 奥白根山 には雲が懸かっていた。奥白根山を諦めたのは賢明だったようだ。


 男体山 には雲は懸かっていなかったが,山頂は雲の陰が懸かっていた。


 身支度して駐車場を後にした。少し歩いて奥白根山 を見ると,山頂の雲がとれている。うっすらと白くなっている。やはり, 山頂付近は雪だった のだ。このまま天気が回復するのならば,奥白根山に登れたかも知れないと思っているうちに, 山頂は再び雲に覆われてしまった。


 男体山が均整のとれた姿を現した。


 阿世潟までちょうど1時間で着いた。
  阿世潟峠 までは更に25分 残念ながら富士山の姿は見えなかった。


 阿世潟峠から小さなピークを一つ越えると,山頂 が姿を現す。しかし,山頂が見えるのはここだけで,この後は,手前の尾根が邪魔をして山頂は見えなくなる。


 社山コースでの唯一の難所(私が勝手に名付けた)「 社山キレット


 振り返って中禅寺湖を眺める。


 山頂に続くなだらかな尾根道 。私の大好きな場所だ。


 足尾側に伸びる尾根の山腹がモザイク模様に紅葉 していた。


 山頂に着いた。歌が浜から3時間かからずに山頂に立てた。

 風が吹いてきて,雨も吹きかけて来た。山頂で昼食にする予定だったのだが,寒くて長居はできない。 写真だけ撮って,自宅で留守番のチコに電話をして下山にかかった。


 下山路の向こうに見える三角形の山は半月山 だ。


 「社山キレット」の向こうに, ロボット雨量観測所のアンテナ が見える。ここに来る前に,小さなピークの南を巻く道がある。そこは北風が当たらず, 日当たりもいいので,昼食休憩にはもってこいの場所だ


 阿世潟まで降りて,湖畔道を歩いた。 八丁出島の紅葉は,これからピークになる。


 ヤマブドウの葉 がきれいに紅葉していた。高いところに実も残っていたが,手が届かない。


 駐車場に戻ってきた。 5時間12分(休憩も含めて) で往復できた。不安定な天気で,寒かったが楽しかった。

 帰路のいろは坂 では,のろのろ車があってスピードダウンさせられたが,渋滞というほどではなかった。


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