私が百名山を目指さない訳    2013.11.26記


 私は,特別に「
日本百名山」の全登頂を目指した山歩きはしていない。山の楽しみ方は自由だから,「百名山完登」を目標にした山歩きがあっても,それはそれで良いと思うし,これを否定しようとも思わない。

 
私が,百名山完登を目指さない理由はいくつかある。

 
まず第一に「日本百名山」に関することだ。
  
「百名山」て,そんなに価値があるの?
 今では「
日本百名山」は有名になり,あたかも何処か権威ある組織が選定したかのような印象で語られるが,これは作家「深田 久弥」が,個人的な尺度で選定した山なのだ。本人も,他にもいい山があったが,自分が登っていないので選定から外したものもあると述べているように,他にもいい山はたくさんある。私も,彼の選んだ山については概ね同感だが,視点を変えればもっといい山がたくさんあることも事実だ。
 
著書「日本百名山」は素晴らしい著書だ。山歩きを趣味とする人は,ぜひ一冊購入し,身近に置いておくことをお奨めする。まず,その山についての写実が正確で,自分が登った後に読み返してみると,一段とその良さが分かる。またその山に関しての歴史や文化についてもよく調べ,詳しく記述している。読んでいるだけでも楽しくなる優れた著作だ。

 
第二は,登山スタイルに関することだ。
  
山って,山頂に立つことだけが尊いの? 
 私が趣味で山歩きをしているというと,必ずと言っていいほど聞かれることがある。それは,「
百名山いくつ登りました?」だ。私が,百名山を目指した山歩きはしていないというと,怪訝そうな顔をされる。
 仕事をリタイアした後の生きる目標の一つとして「
日本百名山完登」を目指す人が多いと聞く。リタイアによって仕事を取り上げられた会社人間・仕事人間にとって,「日本百名山完登」は十分に魅力あるテーマに違いない。これによって救われた人も少なくないのだろう。
 山の楽しみ方は自由だから,どのような形で山歩きをしても良いのだが,いわゆる
百名山ハンターと言われる人の登山スタイルには,どうしても疑問が残る。
 先日,会津駒で出会った人だが,関西方面から車で来ていた人で,3日間で4つの山を登ると言う。夜通し車を運転して,朝方に奥白根山の登山口に着き,そのまま
奥白根山に登る。昼頃に下山して男体山の登山口に移動し,男体山に登る。下山後に檜枝岐に移動し,会津駒の登山口で車中泊。次の日会津駒に登ってから新潟県に移動して越後駒ヶ岳の登山口で車中泊。次の日,越後駒ヶ岳に登って,その足で帰宅するという。彼は,このことを得意満面で自慢げに語るのだ。彼の話を聞いていて,彼はほんとうに山が好きなのだろうか,山が好きで山に登っているのだろうか疑問になってきた。もちろん,これだけのハードプランを実行するのだから,体力も登山経験も十分にあるのだろうと思うが,もしスケジュールが優先して,無理を通すことがあるとしたら,それは危険なことだ。
 私は
,山の個性を感じながら,山の中に溶け込むような山歩きが好きなのだ。山には登るが,頂上に立つことにはあまりこだわらない頂上からの展望や,頂上からのご来光にもそれほど執着しない。私にとっての登山の目的は,山頂に立つことではなく,山頂を目指して登ること,登っていること自体なのだ。私にとっても,新しい山の頂に立つことは,やはり胸躍ることだし,その緊張感はとても魅力がある。しかし私にとっては,幾度も登った山に,季節を変えて二度,三度と登ることも,大きな安らぎと感動を与えてくれることなのだ。

 
第三は,時間とお金の問題だ。
  
みんなお金持ちなんだね。
 
日本百名山は,全国に散らばっている。これを全部登るとすると,交通費だけでもバカにならない。例えば,北海道では9つの山が百名山に選ばれているが,交通費を節約するためにも,一度の旅行で複数の山に登るように計画するのが一般的だ。行程が決められ,特に帰りの飛行機の便が予約されているときなどは,天候悪化などで危険度が増しても,計画通りに先に進んでしまうことになる。過去に,このようなことが原因の一つになって,大きな事故が幾度か起きている。
 私には登山が全てではなく,登山の他にもっとお金をかけたいものも,時間をかけたいこともあるのだ。

 そんなこんな理由で,
私の山歩きは百名山を目指さないのである。