きくさん のこと
 きくさんは,2歳半違いの私の弟である。戦時中の空襲を逃れて疎開した田舎で,終戦間もない頃に生まれた。8人兄弟の末っ子で,下から2番目の私とは,何をするのも一緒に育った。 弟は文系で私が理系と言うこともあり,成人してからは別々の道を歩いていた。
 私たち夫婦が,子育てが一段落して山歩きを再開した頃,きくさん夫妻も子育てを終え,夫婦の時間を大切にしようと,二人で山歩きを始めた。
 宇都宮市や日光,那須の山を歩き始め,八ヶ岳や奥穂にも登るようになった。次は何処に登ろうかと話し合っている最中,奥さんが癌に冒された。子宮癌もかなり進行しており,必死の闘病と看護,家族の願いもむなしく10か月後,その生涯を閉じた。年齢も近かった私たちは,夫婦4人でよく山に出かけた。奥穂高岳にも4人で登り,これからも一緒に登ろうと話し合っていた矢先だった。

 きくさんは,奥さんの三回忌に,その闘病の日記を本にまとめ出版した。


「ひとりあるきのはじまり 
           
妻を看取った300日 

新風舎  定価:本体1800円+税

 この本は,著者の300日間に渡る看護日記であるが,同時に,300日間の,夫婦愛の記録でもある。
 義妹の病気は私にとってあまりに身近な出来事であり,とても平常心でこの本を読むことはできなかったが,この本を読んで,夫婦がお互いを思いやること,「夫婦愛」などという簡単な文字では表すことのできない,とてつもない大きななにものかが心の中に降り積もっていくことを感じた。

 
新風舎が倒産したため,一般書店では購入できなくなりました。
著者の所に在庫があるので,送料のみで送ってくれるそうです。連絡してみてください。
 著者へのメール

 本の中から
 頸骨に転移。よりによってどうしてこんなところに転移したのか。首を支えるための手術を受けなければならない。先生は外泊をしてもよいと言ってくれたが,このまま帰って哲さんの顔を見ていると,涙が止まらないような気がして,病院にいることにする。でも,哲さんの声が聞きたくて電話する。
(11月8日 妻の日記より)
 葬儀もすみ,子どもたちもそれぞれ自分たちの日常に戻っていった五月二日,病室の窓からいつも見えていた古賀志山に出かけた。
 初めてのひとりの山歩きになった。本当にひとりでも歩くことができるのだろうか。
 家を出るとき厚い雲に覆われていた空からは,駐車場に着くころ,ついに霧のような小雨が落ち始めた。牡丹桜の咲き残るダム湖に沿った舗装道路から山道に入ると,雨は本降りとなり,周囲の森を濡らしている。
 小さな沢沿いの道はやがて傾斜をまし,峠に着く。尾根を歩くと,すぐに見晴台だ。晴れていれば,かよいつづけた病院が見えるのだが,雨でどこともわからない。
 山中には,ツツジ,山吹,木莓,菫が咲いている。小鳥の声も聞こえる。
 何度もふたりで歩いた道。ふたりで見た花たち。聴いた鳥の声。風の音。若葉の新緑。何も変わってはいない。
 私の身体が,自然の中に同化していく。ひとりでに足がペースを取り戻し,喜んでいる。呼吸と心拍が一体となって,リズムを作っていく。汗がここちよい。
 わずか三時間足らずで車に戻るまで,だれにも会わなかった。
 帽子のかわりに頭に巻いた真っ赤なバンダナは,たっぷりと雨を含んで私を守っていた。それは正江ちゃんの一番のお気に入りだった穂高岳山荘の真っ赤なバンダナだった。