に戻る エゴノキ エゴノキ科  

 私が生まれたのは戦時中の宇都宮市一条町。宇都宮空襲の直前に私たち家族は宇都宮を後にして塩谷郡大宮村肘内(現 塩谷町)に疎開した。親戚の伝を頼って松林を借り,切り開いて小さな家を建てて住んだ。私はそこで幼児期から小学校3年の終わりまでを過ごした。親たちの苦労を分かるはずもない幼い私にとっては,そこはとてもすばらしい所だった。
 そこは,荒川の河岸段丘の上で,崖から50mほど続く松林の縁に,松林を背にして我が家があった。河岸段丘の崖の下には水田が続き,その先に荒川が流れていた。この風景は今でも脳裏に深く焼き付けられている。

 そんな我が家の小さな庭の真ん中に,大きな「エゴノキ」が立っていた。この木は,松林を切り開いて家を建てるときに,元々そこにあった物を残したのだということを後で知った。
 春には,大きく横に伸ばした枝に,黄色い蘂を持つ真っ白な花を鈴なりに咲かせる。夏には,大きな木陰を作り,憩いの場所を提供してくれた。秋には果実の中から褐色に熟した種子が顔を出し,小鳥が啄みに集まってくる。エゴノキの実はヤマガラの好物であり,よくヤマガラの姿を見ることができた。
 私はその土地で,文字通り自然にまみれて育った。
 春には周りの木々が一斉に芽を吹き,また花を咲かせる。幼い私もサクラソウだけは知っていて,かたまって自生している場所を近所のガキ大将に連れられて見に行ったこともある。
 夏には朝から暗くなるまで近くの荒川で過ごした。小学校3年の夏には,ツベルクリン反応が陽転したのを無視して遊びすぎ,2学期の初めには小児結核と診断されてしまった。

 秋には朝早く起きて栗拾いをした。落ちている栗は拾った者の所有となるので,近所の子と早起きを競った。
 冬にはカジカ(私たちは「カジッカ」と言っていた)獲りをした。篠竹の細い部分を使い,木綿針1本を取り付けた専用の「ヤス」を作り,冷たい流れの中で,石の下に潜むカジカを獲った。また,刈り入れの済んだ田圃には,自作の罠を仕掛け,雀を捕った。
 このような経験を通して私の自然観は形作られていった。
 柿の木から実を採るときにも全部落とさずに何個か残しておく。これを「なごり柿」とか「名乗り柿」とか言うが,これは,冬の間食べる物のない小鳥の重要な食べ物になる。これは,先人たちが,小鳥のために意図的に残した物だと思えて仕方ない。「小鳥のため」と言わないところが日本人の心の素晴らしさなのではないだろうか。
 特別な自然愛護家でもない,ごく普通のサラリーマンだった父が,庭の真ん中にエゴノキを残したというところに日本人の心の豊かさが現れていたように思う。