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 ブログ 独 り 言 2006


2006.10.17
 「日本百名山」

 私は「日本百名山」を登ることを目標としていない。だからといって別に「日本百名山」を否定しているわけではない。深田久弥「日本百名山」も購入し読んでいる。著書「日本百名山」は読み物として優れていると思うし,読んでいて感動さえ覚える素晴らしい本だ。
 自分の登った山を数えてみたら,結果的に「日本百名山」を全て登っていたと言うような登り方ならばいいが,「日本百名山」目標に,次から次ぎと新しい山に登るような登り方は,私は好まないと言うことだけだ。
 加えて,
「日本百名山」が,何か特別な物でもあるかのような扱い方に,嫌悪感を持っているのも事実である。新聞でも,「○○歳で百名山を達成」とか,大きな見出しで報道しているが,これも,「百名山信仰」を生みだしている一因であると思っている。
 山の楽しみ方は色々あるし,他人の楽しみ方に異議を唱えるつもりなど毛頭無い。しかし,中高年登山者は「日本百名山」を目指すのが当たり前で,そうでない人は変わり者というような風潮には,賛同できないのである。
 私が趣味で山歩きをしているというと,必ず聞かれるのが
「百名山のいくつ登りましたか」と言うことである。百名山を目指していないというと,怪訝な顔をされることもある。
 「日本百名山」は北海道から屋久島まで全国に分布しており,
豊富な時間と経済的なゆとりがなければ全山登頂は達成できない。しかし,限られた時間と限られた予算で全山登頂を実現しようとするのは人の常であり,となると,かなりの無理をし,危険も犯すことになりかねない。
 
会津駒ヶ岳で出会った女性は,昨日は巻機山に登り,明日は日光の男体山に登るのだと言った。また,奥白根山であった九州から来たと言う男性は,午前中に奥白根山に登って降り,その足で男体山登山口まで移動して男体山に登り,下山した後,会津駒の登山口まで移動して車で寝て翌日は会津駒に登るという。女峰山が素晴らしいから登ってみては?と言っても,「日本百名山」に入っていない女峰山の存在すら知らなかった。
 いずれも,そのパワーと行動力には敬意を表するが,「事故が起きなければいいが」とちょっと心配になった。特に心配なのは,悪天候のときである。悪天候のために登頂を(あるいは登山そのものを)中止する判断は,近くの山に行ったときでさえ躊躇するものだが,まして,遠方から安くない旅費を使って来た場合など,冷静に判断できるのだろうか。悪天候でも強行してしまうことがないだろうか。もともと山登りは,多少の無理は承知で行うものと言う考えもあるが,本当にそうだろうか。
 
山登りにはいろいろなスタイルがある。重いカメラや機材を担ぎ,いい写真を撮るために山に登る人もいれば,高山植物の開花に合わせて,一つの山に通い詰める人もいる。それぞれ,山の楽しみ方であり,他人に迷惑をかけない限りそれは認められるべきである。
 次から次と新しい山を目指す
百名山ハンターのような楽しみ方があることも私も認めている。私自身も,はじめて登る山に挑戦するときは,不安と期待感が入り交じった複雑な緊張感があり,登頂を果たすとそれなりに成就感があるのは事実である。
 しかし,はじめて登った山が,素晴らしい山だったら,また登りたくなるし,悪天候などで登頂が果たせなかったら,これもまた,再度登りたくなる。二度目,三度目の山は,心からリラックスして登れるし,景色を見たり高山植物を観察したり,心から楽しむことができる。
 始めて登る山の緊張感と,二度目三度目の山に登る気安さと,私は,その両方が好きなのだ。




2006.10.12 
 スケジュールが先行した登山

 先週末,白馬岳奥穂高岳で遭難死者が出た。新聞報道を見る限りだが,天気の好転を信じ,悪天候を突いて入山したのが裏目に出たもののようだ。
 山好きが山で死ねたら本望だろうとよく言われるが,これは全く違う。山歩きをしている者で
山で死にたいと考えている者など一人もいない。これは,敢えて断言することができる。なぜなら,苦しい思いをして山を登っているときほど,「生きている」ことを実感したことはないし,生きていることの証を求めたくて山に入っていると言っても過言ではない。
 今度の事故の原因を考えるに付けても,
スケジュールを優先する登山が,事故を誘発している事例が少なからずあることを指摘したい。およそ旅行なり登山なりを行うには事前にスケジュールを作成するのは当然のことであり,むしろ,スケジュールを作らない方が無謀である。しかし,スケジュールを重視するあまり,気象の変化や体調の変化に対応せず,無理を押してもスケジュール通りに実行する登山を,悪い意味で「スケジュール登山」と呼ぶことにする。
 スケジュール登山で最も危険を含んでいるのが,
「遠距離ツアー登山」である。遠方から,時間とお金を使ってせっかく来たのだから,できれば登りたいと言う気持ちは,人情論としては分かるのだが,安全に登山ができるかどうかはこれとは別問題である。
 まず,スケジュールそのものに柔軟性がなければならないのだが,
週末を待って遠方に出かけていく登山には,柔軟性などないものが多い。予備日も設定できず,エスケープもできないような計画のツアーがたくさんある。それでも99.9%は問題なく,無事に下山しているのだが,残り0.1%で事故が起こる。夏山の事故では,数人が一緒に遭難死するということは希だが,冬山では逆にそのような例が多い。
 今回白馬で事故に遭ったパーティーは,
ガイドが募集したツアーで,参加者は,いままでにも幾度かこのガイドが主催したツアーに参加していたという。ガイドがツアーを主催し参加者を募ることは良くあるが,ここにも危険が内在している。およそツアーである限り,参加費を徴収し,主催者はなにがしかの利益を得る。もし,ツアーが中止になれば利益が出ないばかりか,赤字にさえなってしまう。となれば,多少の無理をしてでもツアーを実行してしまおうということになりかねない。
 もちろん,全てのガイドがそうだというわけではないが,一般論としてそのような危険があることを指摘したいのである。
 個人で行う「スケジュール登山」に多いのが,「百名山ハンター」が行う登山である。このことについては,後でまた書きたい。



2006.09.13
 ポーチ作り
 昔から物を作るのは好きだった。
 子どもの頃は
ゴム動力の模型飛行機を作るのが好きだった。キットを買って組み立てるだけでは満足せず,竹籤やプロペラなどを買って自分で設計するようになった。成長するに従い,興味は無線のほうに移り,無線機を自作するようになった。オーディオアンプレコードプレイヤースピーカーボックスも自分で作った。
 優れた機能を持つ物は必ずと言っていいほど,見て美しかった。飛行機も,見てバランスが良く美しい機体は,必ず良く飛んだし,オーディオアンプの真空管がほのかに灯っているのを見るだけですごく幸せだった。
 以前使っていた
ザックが古くなり,痛みがひどくなってきたので,新しい物を購入し,引退させた。しかし,そのまま捨ててしまうのは忍びず,縫い目をほどいて分解し,ファスナーなどをとっておいた。
 この生地を何とか生かすことはできないかと考えていたところ,妻が,
小物入れが欲しいという。妻が使っていたミレーのザックも引退して分解されていたので,これを使って作ることにした。
 せっかく作るのだから,他にないオリジナルの物を作りたかった。そこで,ザックに付いていた
ブランドのマークを生かして作ることにした。こうすれば,使命を終えたザックに第二の命を与えることができる。
 まず,形はポーチ型にすることにし,自宅にあった同じ様な形をしたポーチを分解し,構造を勉強した。組み立てる順序も分かった。

 大きさは,中に入れる物を考え,小さい物にした。(縦8cm×横14cm×厚さ4cm)ザックの背面に付いていたマークが側面の中央に来るように生地を裁った。
 縫い合わせはミシンを使ったが,一般用のミシンなので,曲がったところの縫い合わせがうまくできない。何度か失敗しながら,ミシンの押さえ板を,最も小さい「ファスナー用」に変えて縫うとうまくいくことが分かった。それでも,完成までには,縫ってはほどき,縫ってはほどきを何度も繰り返した。


 第二作目は,自分の物を作った。第一作目を参考にして,随分と手際よく作れるようになった。私の引退したザックは,雨蓋の背面にマークが付いており,その生地をそのまま使うことができなかったので,マークの部分だけを切り取り,正面の中央にアップリケした。手提げ用のグリップも付けた。




2006.09.11
 テント泊山行

 今週末,北八ヶ岳の白駒池でテント泊を計画している。天気予報が良くないので,あまり悪いようだったら中止にする。
 私が山歩きを始めたときの最初の山行は,
尾瀬テント泊山行だった。大学3年の6月,友人と二人で富士見下から入り,アヤメ平を通って山の鼻に2泊し,至仏山に登った。翌日はテントをたたんで担ぎ,見晴から燧ヶ岳に登った。その後は天候が荒れたため長蔵小屋の自炊小屋に逃げ込んだ。
 当時のテントは
「○号帆布」というゴワゴワした生地で作られ,とにかく重かった。特に,雨に濡れるとその重さは倍増し,背負う辛さは想像以上だった。私たちがテントを担いで行ったのは特別に理由があったわけではない。貧乏学生の我らにとっては,山小屋に泊まる贅沢など許されなかっただけのことだ。
 テントを買おうと思った理由の一つは,やはり,経済的な理由だ。今,山小屋の宿泊代は2食付きで8500円程度だ。二人で3泊もすればそのお金で2〜3人用のテントが購入できてしまう。
 もう一つの理由は,新しい素材が開発され,
軽量で快適なテントが市販されていることだ。私も,何度か強い雨を経験したが,頼りないほど薄いテント地でも,水の侵入は全くなかった。この程度の軽さならば,自分でも担ぐことができる。
 最も大きな理由というか,根底にあった思いは,
小屋泊の煩わしさから逃げたいと言うことだった。横になれないほどの混雑というものにはまだ遭遇してはいないが,混雑の中で周囲を気にしながら,食事をし,眠ると言うのが,私にとってはかなり苦痛だったのだ。
 昨年5月にテントを購入してから,今までに7回のテント泊を行っている。
昨年は,
 @ 6/25 尾瀬見晴
 A 8/ 9 北海道洞爺湖畔
 B 8/27 八ヶ岳赤岳鉱泉
今年になって,
 C 5/26 雲取山
 D 7/ 7 尾瀬見晴
 E 8/ 2 白馬岳
 F 8/25-27 南アルプス北沢峠
 @,A,Bはチコと二人だったが,C,D,Fはきくさんとの二人,Eは単独だった。
 Aの
洞爺湖畔は,北海道旅行で立ち寄ったオートキャンプ場で,キャンプ場からテントを借りて設営したが,それ以外は,すべて自分で担いでいった。
 テントの設営・撤収も,最初の内はもどかしかったが,ずいぶんとなれてきた。
 食事の準備も,だんだんと様子が分かってきた。テント場の環境で,食事の準備もずいぶんと違ってくる。稜線のテント場では,そこまで担ぎ上げることや,水が自由に使えないことなどを考えると,フリーズドライ食品が中心になる。一方,山麓のテント場では,水が豊富なところが多く,多少重くなっても生の食品を持って行くことができる。
 この週末に予定している白駒池のキャンプは,登山がメインではなく,自然の中でゆっくりとした時間を過ごすのが目的だ。そこで,何か美味しいものが作れないか考え中だ。




2006.06.23
 ミツモチ山の児童遭難事故

 矢板市のミツモチ山で、野外学習中の東京の小学6年生が行方不明になり,21時間後に救出された。
 どのような状況で行方不明になったのか,新聞報道の範囲でしか知ることができないが,無事に救出されて良かった。雨に濡れていたというが,雨に濡れて長時間低温にさらされれば,今の時期でも「凍死」の危険さえある。
 付近は,
県立高原少年自然の家に宿泊した小学生などがハイキングに行くところで,コースを歩いている限り,危険は少ない場所だ。そこで気になるのは,児童がどのような経過で「行方不明」になったのかだ。
 学校が児童を引率して学校外の活動に出る場合,最も重要なのは,
児童の掌握である。引率教師にとって,児童の安全を確保することは,絶対条件であり,そのための重大な責任を負っている。出発時や到着時に人数確認をするだけでなく,行動中においても常に児童全体を視界の中に捉えておかなければならない。そのためには,学級を少人数のグループに分け,それぞれに指導者が付くという方法が,ハイキングや登山での常識となっている。このようなことがきちんと行われていたのだろうか。
 救出後に 校長が
「自分の居場所を知らせたいと、声を出したのだと思う。頑張ったねと言ってあげたい」と,ピント外れなことを言っているが,ほんとうに責任を感じているのか疑問だ。さらに「今回の件を真摯に受け止め反省し、改善すべき点は改善したい」とも言っているが,「改善すべき点は改善したい」とは,あまりにも他人事,無責任な発言だ。問題があったからこのような事件が発生したのだと言うことが全然分かっていない。
 小学生の登下校の安全管理ばかり問題になっているが,これについては学校だけで責任の負える問題ではない。しかし,学校の教育活動の中の安全は100%学校の責任だ。もし仮に100%の責任を負えないのならば,そのような活動はするべきではない。
 「学校の安全管理」が少しおかしな方向に来ているような気がするのだが。




2006.06.22
 FIFAワールドカップ

 世の中はワールドカップで大騒ぎである。が,商業主義に乗せられ,マスコミに踊らされているだけと言う気がしないでもない。
 いよいよ明日早朝ブラジルとの試合がある。
 マスコミは一様に
「勝てる可能性はゼロではない」→「勝てるかも知れない」→「頑張れば勝てる」→「勝つかも知れない」→「勝てる」・・・・とエスカレートしている。
 可能性を煽って放送の視聴率を上げ,出版物の売り上げを上げるのが目的だから,それはそれで仕方のないことなのだが,なんともむなしい。
 私は,自分では選手としての経験はないが,少年のサーカーを指導した経験もあり,ささやかながら
公認審判の資格も持っている。そこで,冷静に日本チームの実力を判断すると,今までの結果は,「実力相応の結果」だと思っている。勝負事はやってみなければ分からないし,実力以上の結果を出すことだってないとは言えないから,「勝てる」可能性はゼロではなかったのだが,やはり,なるようにしかならなかった。
 
FIFAランキングというのがあるが,私はあれはあまり信用していない。TVで見る選手達の動きが全てを物語っている。
 日本チームのメンバーにはそれぞれ個性があり,一様に言うことは適切ではないかも知れないが,対戦相手チームと比較して気がついたことは。
 
ボールコントロールがまだまだだ。特にトラップに差が出ている。これは,腰の安定性が悪いのかも知れない,特に,疲れてきた後半で悪くなる。
 
身体能力に差がある。体格差があるのは否めないが,ジャンプ力,走るスピードにも差がある。「早いパス回しで組織的に戦う」のが日本チームの身上と言われているが,いままでそれが十分に発揮されていない。
 
精神力にも差があると感じた。プレーに対する迫力は,残念ながら相手チームの選手に対して感じることの方が多かった。汚い反則や危険な反則は殆どなく,「紳士のプレー」だったが,そんなことで勝てるほど,ワールドカップは甘くはない。
 楽しいことのない日常で,ささやかな夢を見,憂さ晴らしの大騒ぎをするのも良いとは思うのだが,その裏で,大金を儲けている輩がいると思うと,腹が立ってならない。
 と言いながら,明日は早起きしてTVにかじりつくつもりだ。




2006.05.25
 皆勤賞?

 私の知っているある「会社」で,皆勤者の表彰があった。1年間,1日も休暇を取らずに働いた従業員に記念品を贈って表彰すると言うものだ。経営者にしてみれば,「休暇を1日も取らず,会社のためによく働いてくれた」お礼の気持ちなのかも知れないが,これって,少しおかしくないだろうか。
 世の中には,一見まともそうに見えて,その実,正反対の意味を持つことがたくさんある。皆勤者を表彰することは,結果として
「休暇など取らずに,一生懸命に働け!」というプレッシャーであり,「滅私奉公」を強いていることに他ならない。仮に,経営者が純粋にお礼の気持ちで始めたことでも,実は正反対の働きを生み出しているのだ。
 従業員を本当に大切に考えているのならば,皆勤者を表彰するより,
自由に休暇を取れるような体制作りをする方が大切なのだ。
 こんなことも分からない前時代的な経営者が,まだこの国にはたくさん残っている。




2006.05.16
 五月晴れ(サツキバレ)

 TVの天気予報番組を見ていると,梅雨に入る前の爽やかに晴れた青空を「サツキバレ」と言っていた。
 アレッ,そうなの?
 確か
「梅雨の合間のサツキバレ」と言って,梅雨空の合間に見せる青空のことを言っているのだと思っていたのだが,最近変わったのだろうか。
 早速,調べてみた。
 結論として,最近は,
両方の意味で使われているようだ。古くは,旧暦五月頃の,「梅雨の合間のサツキバレ」だったが,梅雨入り前の移動性高気圧に覆われた晴天を,他に適当な言葉もなく,新暦の「五月」が合っているというとこで,使う人が多くなったことが原因らしい。参考
 言葉も使ううちにだんだんと変化していくものだとは思うが,何となく抵抗があるのは事実だ。




2006.05.09
 菖蒲湯

 先日,あるラジオ番組を聞いていたら,「菖蒲湯」が話題になっていた。ところが,驚いたことに,そのキャスターは,「菖蒲湯」とは,「花菖蒲」を風呂に入れることだと思いこんでおり,そのことを何度も繰り返していた。あまりにも自信たっぷりに言うので,間違いに気づいたときの,恥ずかしさを想像すると,同情心さえ抱いてしまった。
 
「菖蒲湯」に入れるのは「ショウブ」サトイモ科の植物である。「ハナショウブ」アヤメ科の植物であり,全く違う植物だ。
 左が「
ショウブ」で,右が「ハナショウブ
 ショウブは茎や葉の切り口からかなり強い香がする。爽やかな香りで,風呂に入れてその香を楽しむのが「菖蒲湯」だ。一方,ハナショウブはほとんど香がしない。
 この誤解は,かなり広まっており,身近にも,「菖蒲湯」を楽しんだという人がいたので,どこでショウブを手に入れたのか訊ねると,花屋さんでかってきた花菖蒲だったと言うこともあった。
 それにしても,ラジオやテレビのキャスターなるもの,もっと勉強して欲しい。それが仕事なのだから。




2006.04.11 
 雪山の遭難事故


 4月9日,谷川岳に行ってきた。
 ロープウエイを使い,天神尾根の往復だったが,吹雪と新雪の深さに,
熊穴沢避難小屋の手前で引き返してきた。
 当日は40〜50人ほどが天神尾根に入っていたが,
多くのハイカーが,戻ってくる我々とすれ違ってどんどん登っていった。中には,装備から見て初心者と思われる人や,空身のスノーボーダーもおり,どこまで行くつもりだったのか分からないが,無事に下山できたのかちょっと心配だった。
 
白馬乗鞍,五竜遠見,笠ヶ岳等々,遭難のニュースが相次いで入って来ている。この時期になると,雪山の事故は滑落によるものは少なく,雪崩からみの事故が増えてくる。
 週末に天気が荒れると,必ずと言っていいほど遭難事故が発生する。これは,冬に限らず,夏山でも同じなのだが,やはり,冬山は悲劇的な結果になることが多く,登山愛好者の一人として心が痛む。
 週末にしか山に入れない人は多く,
「せっかく来たのだから」といって無理を承知で計画を押し通してしまう。その心情は分からないことはないが,やはり,勇気ある撤退が必要なのだと思う。無理をして強行しても,実際には99% あるいは99.9%は無事に帰ることができる。そして,無理を押して登ったことが「武勇伝」となったり自慢話になったりするのだから,この問題は難しい。
 
冒険心は,いつになっても持ち続けたいと思っているが,冒険と無謀は違うものだと思う。万全の対策を取った上で自分の限界に挑むのが冒険であり,何の対策も取らず,「何とかなる」と言うことで危険を冒すのは無謀以外の何ものでもない。
 私は生来「臆病者」であり,山歩きに関してもこれは変わらない。いずれにしても,私の価値観を他人に押しつける気はないし,私はこれからも「臆病」な私でいようと思っている。




2006.04.06
 中岐沢

 奥鬼怒から尾瀬に抜ける中岐沢コースについての質問があったので,知っていることを書きます。
 このコースを歩いたのは1964年と1965年に合計3回歩いた。
 1964年6月に
長蔵小屋から奥鬼怒へ,同じ年の10月に奥鬼怒から大清水へ,そして1965年10月に奥鬼怒から長蔵小屋へ歩いた。その後は,私は歩いたことがないので,現在通れるかどうかは分からない。
 当時は,踏み跡もしっかりとしており,初心者でも十分に歩ける道だった。
 
鬼怒沼を北端まで歩いていき,物見山から鬼怒沼山へ通じる道に出て,その道から北の斜面を下る踏み跡(当時はあった)がこのコースの入口だ。クマザサの中の急斜面を下ると,沢に出る。あとは沢沿いに下っていくが,歩くのが困難な岩場や急斜面はなく,普通に歩けた。6月でも10月でも,水量は少なく,靴を濡らすようなことはなかった。
 
東岐沢を下って中岐沢に合流するところで,林道に出,あとは林道歩きとなる。
 当時は,
奥鬼怒林道はできておらず,朽ちた「中岐沢林道」が通じていた。奥鬼怒林道は,この中岐沢林道に沿って作られた。
 かつて,旅行作家として有名な
戸塚文子が,「最も紅葉の美しいところは中岐沢だ」と雑誌に書いたことがあるが,この紅葉は,天下一品だ。
 1996年の10月に7人のグループで
奥鬼怒から大清水まで歩いた。東岐沢の中程で昼食を食べたのだが,このとき,箸を作るために使ったを,そこに置き忘れてしまった。しばらく歩いて気づいたのだが,リーダーが,勝手に戻ることはできない。仕方なしに諦めて先に進んだ。
 
1年後の10月,私は単独で同じコースを歩いた。を置き忘れた場所は分かっている。真っ直ぐにそこへ行ってみると,真っ赤にさびてはいたが,鉈は,置き忘れたそのままにそこにあった
 こんな文を書いていると,また,あそこに行きたくなった。



2006.03.02
 オリンピック

 オリンピック冬季大会が終わった。(楽観的な)予想に反して,メダルの数は1個だった。この「惨敗」を受けて,スポーツ族議員などが「スポーツ振興策」を声高に唱え出すのだろう。
 もともと,オリンピックに参加するのは
「ナショナルチーム」ではない。サッカーのワールドカップのように,国として最強メンバーを集めた「国代表」ではない。それぞれの競技団体が,最も強いメンバーを選ぶことには変わりはないのだが,参加資格はあくまで個人であり,国対抗の競技会ではない。これは,オリンピック憲章にもはっきりと明示してある。
「オリンピック憲章 
 第I章 オリンピック・ムーブメント
 9 オリンピック競技大会
 1- オリンピック競技大会は、個人種目もしくは団体種目での競技者間の競争であり、国家間の競争ではない。オリンピック競技大会は、このような目的のために個々のNOCによって指名され、IOCがその参加を認めた選手たちが一堂に会し、当該IFの技術的指導のもとに競技をおこなう大会である。」

 ユニホームに
日の丸を付け,金メダルを取れば国歌が演奏されることから,「日本代表」と錯覚し,大きなプレッシャーに押しつぶされてしまう例も少なくない。これは,マスコミに大きな責任があるのだが,我々も誤解しないようにしなければならない。
 オリンピックを
「国威発揚」の道具として,国家を挙げて選手を養成している国は,過去にもあったし,現在もある。
 オリンピックでメダルが1個しか取れなくとも,そのことで日本という国の価値が下がるわけでもないし,たくさんメダルを取ったからといって価値が上がるわけでもない,メダルの数の多少は大騒ぎする問題ではない。
 それよりも,見過ごしにできない問題がある。それは,
子どもたちの体力の低下である。これは,ある意味で「学力低下」より深刻な問題なのだが,「学力低下」には目くじらを立てるマスコミも,「体力低下」に関しては殆ど取り上げていない。
 オリンピック選手を育てることと,子どもたちの体力向上とは異質の問題であり,別々の対策が必要なのだが,このことは,後日,項を改めて書くことにする。




2006.02.24
 雲龍渓谷

 雲竜瀑にはずっと憧れていた。
 昔から,この時期になると,
地元警察山岳救助訓練の一環として氷壁登りを行い,その様子が必ず新聞に載っていた。
 
雲竜渓谷というものがあり,雲竜瀑というものがあることは知っていたし,厳寒期には雲竜瀑が氷結し氷瀑になるということも知っていた。
 しかし,そこはスペシャリストの世界であり,とても自分など近づける場所ではないと諦めていた。
 山登りを再開し,冬でも多少は出かけるようになると,もしかして
自分でも行けるかも知れないと思うようになった。
 そして,一昨年の2月,初めて
雲龍渓谷に足を踏み入れた。それは正に「氷の殿堂」であり,一度で雲龍渓谷に魅せられてしまった。
 昨年も計画したのだが,直前に足を怪我してしまい行けなかったので,今年は是非にでもと思い,計画を立てた。
 最近は,雲龍渓谷も知名度が上がり,
休日には氷瀑見物のハイカーで混雑するようになった。ゲート前の駐車スペースも,朝暗いうちに満杯になってしまう。そこで今年は,平日に計画をした。
 霧雨→みぞれ→雪→雨と変化する天気で,条件は良くなかったが,雲龍瀑まで行くことができた。今年は雪が少なく,流れを渡るところで苦労したが,渓谷の氷の発達はほぼ例年並みということで,
「氷の殿堂」を堪能してきた。
 雲龍渓谷は,昔から
アイスクライマーたちのフィールドだったが,最近,ハイカーが増えたことで,トラブルも起こっているようだ。一昨年私が行ったときにも,頭上から氷のかけらが降ってきて,危うく当たりそうになった。クライマーにはクライマーの言い分があるのだろうが,やはり,危険なことは謹んでもらいたい。どこの世界でも同じことだが,マナーのいいグループとそうでないグループがあるようだ。
 繊細な彫刻を思わせるように,きれいな流線模様が作られている氷柱は,アイスブルーに輝き,いつまで観ていても飽きないほどの美しさだ。ところが,アイスクライマーたちは,その氷柱に
惜しげもなくバイルを打ち込み,アイゼンをけり込んでいる。氷柱は,彼らにとっては美しさの対象ではなく,単なる「物」でしかないのだろうか。
 見物客の私としては,美しい物は傷を付けずに美しいままでとっておきたいのだが,これもまた,「見物客」としてのエゴなのだろうか。




2006.02.24
 安達太良山遭難事故

 少し前になるが,2月11日,安達太良山にスキーツアーで登ったグループが遭難し,12日に救出されるという事故が発生した。
 
安達太良山は,スキー場からロープウエイを使って往復すれば比較的簡単にピークハントができるが,それは,あくまで気象条件の良いときの場合である。山頂付近は地形が似ており,冬山ではもちろん,夏山でもガスなどで視界が遮られれば下山路を失い,遭難に繋がる危険な山である。
 私も,10月に登ったとき,山頂付近で強風と深いガスに囲まれ,目も開けていられない状態になったことがある。危険な山だと言うことを身をもって体験した。
 報道によれば,今回の事故では,登山届けも出て居らず,地図やコンパスも持っていなかったという。
 スキーを履いていても,ゲレンデから飛び出せば,それはれっきとした
「冬山登山」なのだと言うことの認識が無かったようだ。この程度の認識だとすれば,たとえ地図やコンパスを持っていても,その使い方すらできなかったに違いない。(その後の報道によると,コンパスは持っていたが,使い方が分からなかったらしい。)
 私も,最近,雪のある山に登り始めたが,臆病なほどに慎重に準備し,雪や天候の状況を判断し,安全登山を心がけている。山岳連盟が開催する雪崩に関する講習会や雪山訓練にも参加し,知識と技能の向上を図っている。
 しかし,このような事故が報道されると,ひとまとめに「雪山は危険」と言われてしまう。こんな無謀スキーヤーと同じに扱われるのははなはだ迷惑なことである。




2006.01.30
 里山の日溜まりハイク

 29日,益子町の雨巻山(「あめまきやま」または「あままきやま」と読む)に行ってきた。
 実は,2月4日に,元の職場の仲間たちとハイキングに行く計画を立てていたので,その下見のために行ってきたのである。
 
雨巻山は4年ほど前に一度歩いているが,最近,駐車場も整備され,様子が変わったというので,登山道を確認するとともに,トイレの有無などを調べるのが目的だった。
 低山の里山なので,下見など必要ないとも思えるが,私はグループをガイドする場合,可能な限り
下見を実行している。たとえ低山であっても,10人以上を連れて行くリーダーともなれば,その責任上,下見をするのが当然であると思っている。
 
大川戸の登山口には立派な駐車場ができていた。4年前に行ったときには,道路脇の草ぼうぼうのスペースに5〜6台しか停めることができなかったのだが,砂利敷きで30〜40台は十分に停められる立派な駐車場ができていた。登山者用に3台の簡易トイレが設置されていた。清掃が行き届ききれいなトイレだった。
 駐車場を出発するときには数台の車しか停まっていなかったが,駐車場に戻ったときには,ほぼ満杯で,駐車場の外にまであふれていた。やはり,人気の山だった。山頂では幾組かの団体にも出会った。
 日当たりのいい尾根道は,ポカポカと暖かく,正に
「日溜まりハイキング」だったが,日陰の道は,先日降った雪が凍結しており,とても滑りやすかった。軽アイゼンを付ければ安全に歩けたのだが,どの程度滑るのかを確認する意味もあって,何も付けずに歩いた。なんとか歩き通せたが,かなり慎重に,足を着く場所を選んで歩かなければならず,通常の何倍も疲れた。
 ということで,2月4日に予定しているハイキングは,目的地を変更することにした。




2006.01.24
 ホリエモン

 ライブドアの堀江貴文社長が逮捕された。
 「やっぱり」と言うのが私の感想。
 でも,この「やっぱり」,「やっぱり悪いことをしていたのか」とはチョット違う。
 ホリエモンのやっていたことを詳しく知っているわけでは無いし,専門的な知識があるわけではないので,あくまで,私の「感じ」たことである。
 「やっぱり潰されたか」「やっぱり」である。
 日本の(日本ばかりではないらしいが)経済界は極めて閉鎖的で仲間意識が強く,急成長して頭角を現すと,一斉に潰しにかかる。自分たちが長い時間を掛けて築いてきた「体系」を守るため,その体系のために得てきた利益を守るため,よそ者の参入を簡単には許さない。
 ホリエモンが球団の買収に名乗りを上げたとき,オーナー会の中心的なメンバーが,「どこの馬の骨とも分からん者がやりたいと言ったからといって,そんな簡単なものじゃない」と,暗に,オーナーは特別なんだと臭わせていた。
 法律には,違法と合法に間にグレーゾーンが存在する。「脱税」で摘発された経営者は,よく「解釈の違い」と釈明しているが,これは,単なる言い訳の場合もあるが,そうとばかり言えない場合も実際にある。
 株の取引に関しても,合法と違法の間にグレーゾーンが存在するようだ。後発の企業が伸びていくためには,このグレーゾーンが勝負所なのだと思う。「時間外取引」も違法ではなかったはずなのだが,既存の経営者は,それはフェアーなやり方ではないと,批判している。
 想像の域を出ないが,あれだけ急成長を遂げたのは,単なるアイデアや努力だけではなかったのだろう。違法と合法の境目で,かなり際どいことをやってきたのだろうと思う。
 TVの報道によれば,ホリエモンは「違法なことをやっているつもりはない」といっていたが,単なる言い訳なのか,あるいは本当にそう思っているのか,もう少し時間が経てば分かるのだろうか。