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 ブログ 独 り 言 2010


2010.12.29
 胡蝶蘭の花芽

 私の職場では,贈り物として胡蝶蘭(ファレノプシス)の鉢をもらうことが多い。そこで,花の終わった鉢の管理を,枯らしてしまっても良いと言う条件で,私が負かされている。
 せっかくだから,再び花を咲かせたいと思っているのだが,素人の私では,なかなか難しい。まだ花を咲かせることには成功していない。
 事務室の中の比較的温度変化の少ない給湯室の前に並べて置いている。与えるのは水だけだが,葉は厚くしっかりと育っている。最も古い鉢は3年以上になるのだが,いっこうに花芽を付けてくれない。
 今年の夏,そのうちの1鉢を自宅に持ち帰った。夏の間は戸外に置き,水も天水に任せていた。直射日光に当てると葉が日焼けするので,ヒメシャラの根元の直射日光の当たりにくい場所に置いた。
 秋になり,気温が下がってきたので,鉢を部屋の中に取り込んだ。しばらくして見てみると,葉と葉の間に
「芽」のようなものが顔を出している。今までも何度か期待しては裏切られた「根」だと思ったが,何となく雰囲気が今までに見た「根」とは違っていた。
 「芽」は伸びてくるに従って「根」との違いがはっきりしてきた。
花芽であることはもはや間違い無いのだが,さて,このあとどうすればいいのか,ちょっと戸惑っている。せっかく出てきた花芽だから,なんとか咲かせてやりたい。
 加温した温室があればいいのは分かっているが,できれば室温で育てたい。肥料は?,水やりは?,支柱はいつ立てればいいのか・・・・など,ネットで情報を探したが,なかなか欲しい情報にたどり着かない。今日現在,花茎は約10cmになっている。



2010.12.01
 柿の木

 我が家の庭に1本の柿の木がある。今の家を建て替えたときに植えたのだから,今年で14年になる。狭い庭なので,あまり大きくならないように,適当に枝を切りつめているが,いつのまにか大きくなっている。
 甘柿の苗を植えたはずなのだが,なかなか甘くならない。甘くなるのを待っているうちに野鳥につつかれてしまう。どうやら甘くならないのは気候のせいらしく,
北関東では渋が抜けきらないことも多いらしい。
 この柿の木,一昨年に100個以上の実を付けさせてしまったことの影響で,昨年は実を全く付けなかった。今年は4個の実を付けたが,1個は間違ってその枝を切り落としてしまったため,成長したのは3個だった。そのうちの2個を日曜日に収穫した。残り1個は訪ねてくれる野鳥のために残しておいた。収穫した2個のうち1個は何とか食べられたが,1個は渋くて食べられなかった。来年は,早めに収穫し,皮をむいて干し柿にしようと思う。

 我が家の狭い庭には,柿の他にも,
サザンカ,キンモクセイ,シャラ,ヒメシャラ,ウメモドキ,カリン,スダチ,ハクモクレンなどが植えてある。
 住宅地で樹木を育てるのはなかなか大変だ。
毛虫の発生を抑えるための殺虫剤の散布は欠かせない。毎日見回って,少しでもその兆候があったら直ぐに薬剤を散布する。気づかずに毛虫が大発生し,隣の家に迷惑をかけてしまったこともあった。殺虫剤の散布は,周囲に迷惑をかけないように,早朝の辺りがまだ寝ている時間に行うことにしている。
 殺虫剤も,
環境ホルモンの問題もあり,あまり使わない方が良いのだが,近所に迷惑をかけないようにするためには仕方ない。回数を減らすようには努力している。



2010.11.12
 「いじめ」 2

 写真は,奥日光千手の森歩道(10/25)
  「いじめ」は,無くならないだろうが,その被害を少しでも少なく軽くするためにはどうしたらいいのだろうか。
 
いじめをさせないことがもっとも大切なことだが,このことは,非常に難しい。なぜいじめを行うのかは,本人にその自覚がない場合も含め,本人の心の問題とか,生活環境など複雑な場合が多い。
 いじめをさせないようにすることが難しいとしたら,どうしたら,被害者に,
自殺や心に深い傷を負わせないようにできるのだろうか。
 それには,いじめられている人に
手をさしのべ,救っていくことしかない。メンタル的なサポートをすることが大切だ。これには,学校は勿論だが,家族(特に親)の持つ力が大きい。

 いじめを先生に訴えたら,先生がその相手を指導したため,以前よりもっとひどいいじめを受けたと言う話は良くある。こうなると,被害者は,仕返しを恐れて教師や親に事実を話さなくなる。これは,指導者の
指導技術の問題でもあるのだが,「仕返し」をさせない有効な指導法はなかなか無い。
 「加害者」の子どもたちの中には,
したたかで,なかなか教師の言うことなど聞かないものも多い。もっとも,教師の言うことを素直に聞くくらいなら,いじめは初めからやらない。
 いじめの対応には事実の把握が重要だが,これがなかなか簡単ではない。こんな経験がある。中学生のある女子生徒が,あるグループからいじめられたと訴えてきた。そこで,そのグループを呼んで話を聞いてみると,はじめに嫌がらせをしたのは,最初にいじめられたと訴えてきた女子生徒だった。グループ間の対立で,お互いに嫌がらせをしていたのだったが,自分のしたことは棚に上げて,相手からされたことだけを訴えてきたのだった。
 いじめの対応には,事実の把握が欠かせない。しかし,
事実を100%把握できたら,そのいじめは解決したと言ってもいいくらい,事実の把握は困難だ。
 「教師と生徒の信頼関係があれば,生徒は何でも話してくれるはずだ。」とよく言われるが,全くその通りだと思う。しかし
現実はそんなに甘くはない。
 悪質ないじめをするグループは,口裏を合わせ,巧妙に嘘をつく。嘘だと分かっていても,
学校の教師には警察のような「尋問」する権限や,取り調べる権限はない。彼らはそのことも知っている。
 学校は事実を隠蔽していると言われるが,隠蔽しようにも,
なにが事実かを把握することさえ困難なことが多い。確認できていない曖昧なことを発表することは勿論できない。
 いじめの対応には,可能な限り事実関係の把握を進めながら,被害者には全力であなたを守ることを伝え,加害者には毅然とした態度で臨むことが基本だろう。恐喝や暴力などの犯罪行為には,警察の力を借りることを躊躇してはいけない。




2010.11.10  
 「いじめ」 1

 最近も,いじめに関する悲しい事件が発生した。事件が起きたことも悲しいことなのだが,最もやりきれなくさせるのが,学校や教育委員会の対応の不誠実さだ。学級担任の対応など,言いたいことはたくさんあるのだが,私は,事実について,マスコミが報道する範囲でしか知らないから,そしてこの報道が必ずしも公正ではないから,個々の事柄についての意見は差し控えることとする。
 
元教員という立場から,いじめについて日頃から考えていることを述べたいと思う。
○ いじめは無くならない
 いじめが悪いことだとはだれもがわかっている。しかし,一方では,弱い者をいじめるのは,自分が優越感に浸れるという快感も伴うものであることも事実である。
 「盗み」が悪いことだとはだれもがわかっている。しかし,自分の欲望を満たすための手軽な方法として「盗み」はこの世の中から無くなることはないだろう。同じく,「いじめ」も,事の大小はともかくとして,この世の中から無くなることはないだろう。
 もちろん,いじめは良いことではないのだから,無くなるよう,無くすよう努力しなければならないが,ゼロにすることは極めて難しい。

○ 「いじめ」て楽しむ
 もう30年ほど前になるだろうか。当時の人気お笑い2人組が,それまでタブーとされていた老人,病人,障害者をギャグに登場させ,大ヒットをさせた。また,ある番組では,運動の得意でない一般人に競走をさせ,その動作の滑稽さを笑う内容が人気を集めた。いずれも,弱者をいじめることで優越感に浸れる番組なのだが,この後,同様な番組が続出した。
 このような光景が毎日のようにTVの画面に登場するようになって,学級の中の
「笑い」が変わってきた。笑いが全て「嘲笑」になったのだ。
 まず一番始めに標的になったのは「教師」だった。センスのないダサイ教師がやり玉に挙がった。そうすると,教師の中にも勘違いする者がいて生徒に媚びたり「受けねらい」をするものが出てきた。そして次ぎに嘲笑の標的になったのが同級生だった。
 いじめにもいろいろなスタイルがある。言葉や態度でいじめ,精神的苦痛を伴わせるものと,暴力を伴い,身体的苦痛を伴わせるものなどがある。更に,いじめには,恐喝など悪質な刑法犯まである。

○ 学校だけが「特別な社会」ではない
 学校は本来,人間の持つ「価値」を高める場所である。児童・生徒・教師がお互いに良い面を出し合い,高め合っていく場所であるはずなのだが,社会の影響力が強烈さを増した現在,学校だけが例外でいることが許されなくなってきた。
 よく「学校ではいじめがあってはならない」といわれるが,
社会にいじめがある限り,学校でも,いじめは必ず発生する。学校という社会を,一般の社会から隔絶することができない限り,社会で起こることは,必ず学校でも発生する。これは,極めて単純な論理なのだが,「学校は特別な場所」という願いにも似た感情によって,「そうあって欲しい」が,「そうあるべきだ」と変化し,その言葉が学校関係者を呪縛している。
 自殺者を出した学校の校長が,いじめがあったことをなかなか認めなかったが,私は,なぜ認めないのか非常に不思議だった。
「学校はいじめの無いところだから,いじめがあったと認めるのは自分の無能を認めることになる」とでも思っていたのだろうか。
 人が3人集まれば,いじめは大なり小なり必ず発生する。問題は,学校でいじめが起こったと言うことではなく,学校がそのいじめに
どう対処したかということなのだが,そこの所が分かっていなかったようだ。
 いじめられたことが原因で,希望に満ちた将来を自分の手で閉じてしまうという行為は,これこそ
「絶対にあってはならない事」だ。しかし,いじめの根絶が難しいならば,残る手段はただ一つ。いじめから自分を守る方法を身に付けさせることだ。



2010.09.29 
 自転車

 何十年ぶりかで自分用の自転車を買った。
 今までは,息子が自宅を離れたときに置いていった,通学用に使っていた自転車を,手入れしながら乗っていた。
 タイヤは勿論,ハンドルやフロントフォークまで交換修理して乗っていたのだが,錆びがひどくなったので,ついに清掃センターに持ち込み,処分してもらった。
 もともと,自転車にはあまり乗っていなかったので,無くても不便ではないだろうと思っていたし,事実,あまり不便は感じていなかった。ただ,近所に出かけるのに,いちいち自動車を乗り出すのには大変だから,自転車があればいいなとは感じていた。
 今回,自転車を買おうとしたもう一つの理由がある。それは,車に積んでいって,
登山口までの林道歩きに使いたいと考えたのだ。だんだんと横着になってしまい,後ろめたさも感じるのだが,それは歳のせいだと自分に言い訳している。
 と言うわけで,
折りたたみ自転車で,オフロードも乗れるものを探した。高価なものを選べばきりがないのだが,ちょうど手頃な(安い)ものが見つかったので,さっそく注文した。大阪の業者で,ネットで注文して3日後に届いた。
 26インチのオフロード仕様で,折りたたむことができる。
中国製だが,変速機はシマノ製で,丁寧な作りだ。組み立てて置いてあるが,まだ乗ってはいない。



2010.09.12 
 タイヤ更新

 7月末の24ヶ月点検で,タイヤの偏摩耗が指摘された。全体的な摩耗も進んでおり,36ヶ月目の車検までにはタイヤを新しくする必要があると言われた。
 私の車は,
SUBARU LEGACY OUTBACK 2.5i 2008年7月末に新車を購入した。それ以来の走行距離は約28,000kmである。約26ヶ月のうち,冬用タイヤを履いていた期間が約9ヶ月あるから,夏用タイヤを履いていたのは実質17ヶ月である。
 それにしても
タイヤの減りが早すぎるような気がする。もちろん,タイヤの減りは走り方にも依るので一概には言えないが,以前の車より減りが早いような気がする。
 
LEGACY OUTBACK の新車に装着されているタイヤは,ヨコハマの GEOLANDAR G900 というオールシーズンタイヤ(M+S)だ。オールシーズンタイヤと言っても,スタッドレスタイヤの代理はできないから,冬用には別にスタッドレスタイヤを準備している。そんなことで,一般の夏用タイヤよりは多少柔らかいゴムが使われているため,減りが早いのかなと理解した。
 新しいタイヤを何にするかで,いろいろ考えた。走るのは殆どが舗装道路だから一般のタイヤでも良いのかなとも思ったのだが,多くはないが,山登りのため,
登山口までの未舗装道も走ることがある。やはり,この時に安心して走れると言うことは大切なことだと考え,SUV用のタイヤを選んだ。
 候補としては,
 ヨコハマの GEOLANDAR H/T-S
 ブリヂストン DUELER H/P SPORT
 ダンロップ GRANDTREK PT2
 の3種。価格の問題もあり,3者の中では,最も OFF ROAD 寄りと思われる
ヨコハマ GEOLANDAR H/T-S を選んだ。結果的には,新車に装着されていたタイヤに最も近いものとなった。深溝のブロックパターンで,見た目にも,水はけは良さそうだ。
 特売のタイヤと比較すると2倍以上の値段だが,タイヤはものによって驚くほどの性能差があることを,身をもって体験したことがあり,タイヤには金を掛けても惜しくはないと思っている。
 タイヤサイズは
215/55 R17。オートバックス宇都宮○店で,タイヤ1本24,600円15%引きで購入した。ネットで調べた価格とほぼ同じだった。その他に,組み替え料,新バルブ,廃タイヤ処理などの費用がかかった。



2010.09.07
 IHレンジ

 8月25日にIHレンジを入れてから2週間ほど経つ。なかなか思った通りにはならないことが多い。
◎ 「オールメタル対応」ということ
 レンジにある3口の熱源の内,1つは「オールメタル対応」と言うことになっている。当然,今まで使っていたアルミの鍋が使えるものと思っていたが,結果的に全てダメだった。
 使える鍋かどうかは,レンジが判断してくれるようになっており,アルミ鍋のいくつかは
「使用可」と判定されたのだが,実際には,最強の強火にしてもとろ火ほどの火力しかなく,使えなかった。
 土鍋が使えないことは納得していたのだが,最近は
IH対応の土鍋というものもある。陶器やセラミックの器の底に,金属(銀など)の箔を焼き付けたものや,塗りつけて焼いたものなどがあるが,その中に面白いものを見つけた。それは,鍋の中に発熱用のステンレスプレートを沈めておき,それを発熱させようというものだ。特に,底の厚さを薄く作ってあるようなのだが,市販されているのだから実用可能らしい。
 そこで,ひらめいた。アルミの鍋の中に,発熱用のステンレスプレートを沈めれば使えるのではないか。同じ様なことを考える人はたくさんいるらしく,そのための
「発熱用プレート」がネットで市販されていた。17cmと15cmの2枚組で税送料込み1785円。だめもとで早速注文した。
 2日後にメール便で届いた現物を,早速試してみた。結果は,×。使用説明書には,底が平でないものには使えないと書かれてあったのだが,これが意外とシビアで,僅かなふくらみでもノーだった。一般に,ガスレンジ用の鍋は,強度の問題なのか,鍋底が僅かに膨らんでいるものが多い。この程度の膨らみでもダメだった。
 試しに,その鍋の一つを,どうせ廃棄するのだからと,鍋の底を叩いて平らにしてみた。完全な平面にはほど遠いが,一応平面に近くなったので,試してみたら,以前よりずっと強い火力が得られた。やはり,
底の平面性が問題だったのだ。
 IHとは Induction Heating のことで
「誘導加熱」と訳する。「誘導」には「電磁誘導」「磁気誘導」「静電誘導」等があるが,IHに使われるのは「磁気誘導」。磁石が鉄などに引きつけられるのは,鉄が磁石の磁力の影響で「磁化」するために引きあうので,これが磁気誘導。IHレンジでは,強力な磁気を発生させ,それに鉄などの金属を近づけることで金属を磁化させることにより渦(うず)電流を発生させ,その電流が発生する熱を利用している。誘導される磁力の強さは,距離の2乗に反比例するから,レンジからの距離が大問題なのだ。
◎ 渦(うず)電流
 私は,子供の頃から電気を使ったものに強い興味があった。高校生の時にアマチュア無線を開局したが,それまでも,その後も,電気工作には興味があり,色々なものを作っては楽しんでいた。
 模型のモーターを動かすためには
低圧の直流が必要だったが,乾電池はすぐに消耗してしまうため,交流100Vを変圧して整流し,直流を得る方法を使っていた。もちろん,そのための「直流電源装置」と言うものも市販されてはいたが,高価でもあり,子供の小遣いの範囲で買えるものではなかった。そこで,自分で作って楽しんでいた。
 古くなった
ラジオを手に入れ,その「電源トランス」を改造して模型用の電源装置を作った。ラジオ用の電源トランスは,真空管用の6.3V整流管用の5.0V高圧用の200〜250Vが取り出せるようになっている。そこで,トランスを分解して高圧用の線をほどき,模型店で買ってきた1ミリくらいのエナメル線を使い,新しく3〜15V用の線を巻くのだ。
 トランスは
「鉄芯」にコイルを巻き付けた構造になっているが,実際には,巻枠に巻かれたコイルに,鉄芯をはめ込むようになっている。トランスの鉄芯は,鉄の塊ではなく,薄い鉄板を重ねて作られている。そのころは,組み立てやすいためにそんな構造になっているのだろうくらいにしか考えなかったのだが,その構造は,実は渦電流を防止するための構造だったのだ。
 鉄芯の材質は
珪素鋼板で,1枚ずつ表面を絶縁材で塗装していた。トランスの鉄芯に渦電流が流れると,そのエネルギーは熱になってしまい,トランスの変換効率が悪くなってしまう。そのため,トランスやモーターなど,交流で電磁石を使う器具では,いかに渦電流を抑えるかが,効率を上げるための重要な課題なのだ。
 そんな中,発想の転換が起こった。
渦電流を効果的に発生させることができれば,加熱器に使うことができる。これがIHヒーターだ。



2010.08.11  8/31記事追加 
 太陽光発電 

 太陽光発電については,以前から関心はあった。もともと電気工学(電子工学)に興味があり,子供の頃からアマチュア無線などをいじくりまわしてきた自分にとっては,世の中の先鞭を切りたいという欲求はあったのだが,採算の問題でなかなか踏み込めないでいた。
 最近,その種の関係業者から盛んに誘いの電話などがあったが,みんな断っていた。しかし,私と妻の高齢化に従い,
安全性の観点からも,ガスレンジからIHレンジへの切替は,避けて通れない問題と思っていた。
 先日,セールスマンの訪問を受け,話を聞いているうちに,そろそろ潮時かなと思い,契約することにした。我が家は
南向きの切妻屋根を持っており,太陽電池パネルの設置には都合が良いらしい。発電量3kwのパネルが乗せられるという。たくさんのパネルを乗せる方が,初期費用はかかるが,余剰電力の売電には有利なのだ。
 国や県,市の補助金も受けられ,売電の単価も上がったのが,決心を後押しした。一緒に,
IHレンジとエコキュートを契約したが,設置後一年間,月別の発電量などのデータを提供するという約束で,かなり割り引いた金額で契約できた。太陽電池パネルは25年の保障が付くと言うが,そのまえに私の寿命が尽きてしまうだろう。
 いずれにしても,多少ではあるが,
エコロジーに貢献できるという安心感はある。

8月31日追記
 8月25日,太陽電池パネルの設置と,エコキュート,IHレンジの取り付け工事を行った。10人ほどの人数で手分けして一斉に工事にかかった。酷暑の中,汗だくで作業している若者の姿に感謝しつつ工事を見守った。
 
太陽電池パネルは,効率の良い単結晶型のパネルを16枚乗せた。1枚当たり190wの発電能力があると言うから,全体で3Kwの発電能力がある。写真の屋根には4枚のパネルが乗っているが,更に,左の屋根に12枚乗せている。
 暗くなる時間までかかってようやく工事を終えた。早速,風呂に入ろうとしたが,まだお湯が溜まっておらず,浴槽に湯を張れない。しかたなくシャワーで我慢した。
 IHレンジは3口の内1つがオールメタル対応と言うことで,今まで使っていた器具の大部分はそのまま使うことができたが,アルミ製では効率が悪い。先日,IH対応というフライパンを大小2つ買ってきた。
 オールメタル対応といっても,陶磁器やガラスには対応していない。残念だが,この冬は土鍋を使った「鍋焼きうどん」が食べられない。おでんも土鍋で作ったものはひと味違うのだが,これも我慢しなければならない。
 
電磁調理器は,確かに「夢の加熱調理器」かも知れないが,我慢しなければならないこともあることを,改めて知らされた。
 太陽光発電が実際に稼働するのは,電力会社との契約の関係があり,約1ヶ月後くらいになる。毎日良い天気なので,「もったいない」と屋根を見上げている。




2010.07.27 
 避難小屋考

 写真は,奥白根山五色沼避難小屋
 6月29日に利尻山に登ったとき,登りの途中で,下ってくる年配の男性とすれ違った。話を聞くと,自慢げに,昨夜は「避難小屋」に泊まったという。最近,よく経験することだが,これって少しおかしいのではないだろうか。

 「避難小屋」とは,元来,天候急変や不慮の事故など,予定していない状況になったとき
緊急避難するために設けられているものである。そこを,「無人の山小屋」のように,最初からプランに組み込んで使うのは本来のやり方ではない。
 もちろん,「避難小屋」にも色々なものがあり,営業山小屋に準じた設備の小屋もあるが,少なくとも利尻山の場合,奨められたやり方ではない。
 
利尻山は,日帰りする山であり,それだけの技術と体力を持った人間のみが登れる山なのだと理解するべきだろう。日帰りで計画していても,天候急変や怪我などで日帰りが無理になることがある。こんな場合に使用するのが避難小屋である。
 避難小屋を
無人山小屋として計画的に利用する登山者が増えた場合,大きな問題となるのはトイレの問題である。基本的に,避難小屋にはトイレの設置がない。従って,宿泊者は近くの草むらなどで用を足すことになるのだが,利用者が少ない内は問題にならない糞尿の問題も,利用者が増えると,大きな問題になる。
 
利尻山の場合は,登山者は携帯トイレの持参が義務づけられているが,1泊となるとその回数も増え,全部を携帯トイレで済ますにはかなりの数持参しなければならない。近くの草むらで用を足すことにもなりかねない。

 日光男体山の
志津登山口にある「志津小屋」でも,奥白根山「五色沼避難小屋」でも,小屋周辺には,人糞とティッシュが散在し,目を背けたくなる状況である。
 「志津小屋」は
日光二荒山神社が設置したもので,古くは「志津行屋」と言われた修行のための小屋だった。今は一般に開放されており,直ぐ近く(志津乗越)まで車が入るので利用者は多いが,トイレの設置はない。
 「五色沼避難小屋」は,夏場の利用者は多くはないが,冬期に奥白根山に登る場合,登山口からの日帰りは難しく,避難小屋に泊ることで計画する場合が多い。
 自然界には糞尿を分解する微生物や細菌類もおり,登山者が少ない場合にはこれらの働きで分解されるが,登山者が多くなり,糞尿の量が微生物等の分解能力の限界を超えれば,もはや浄化作用は機能しなくなる。
 利用者の多い避難小屋にトイレを設置すれば良いのだが,トイレは設置しただけではだめで,溜まった糞尿の処理など,通常の維持管理に多くの費用がかかる。問題は簡単ではない。
 一口に「避難小屋」と言っても,飯豊山などの山小屋のように,営業小屋に近いものから,あくまで緊急避難を想定した小さなものまで多様である。問題は,無人の中程度の大きさの避難小屋である。
 中高年の登山ブームの影響で登山者は増加しているが,それは
日本百名山など著明な山に集中している。ここにも一極集中の傾向が見られ,人気の山は大混雑である。従って,そんな山にある「避難小屋」には,先に入って場所を確保しないと泊まれないと言われるところもある。こうなったらもはや「避難小屋」ではない。
 利用者が多いのであれば,行政の責任も大きくなるのだから,トイレを設置し維持管理すべきである。かかる費用を全てまかなえるとは思えないが,利用者から利用料を取ることもいいだろう。飯豊山などの山小屋のようなシステムが理想的だと思うのだが。
 利尻山の場合,確かに,途中の避難小屋に1泊することで計画すれば,日帰りよりもずっと楽に頂上に立てるだろう。しかし,楽することを考えたらきりがない。「快適登山」も重要なことには違いないが,それよりも,登山者の安全,「安全登山」が優先されなければならない。避難小屋は登山者の安全を確保するための緊急避難用の施設なのだから。




2010.05.25
 サッカー日韓戦

 ミヤマウグイスカグラ(2010.5.22戦場ヶ原)
 ワールドカップに参戦するサッカー日本代表の壮行試合となる日韓戦が,24日埼玉スタジアムで行われた。
 
サッカーに興味のある一人として,自宅のTVにかじりついた。結果もさることながら,その試合内容に残念さをかみしめた。試合後,韓国の 朴智星(パク・チソン)の言っていた「10年前の日本代表の方が強かった」に同感だった。
 最も目立ったことは,
ボールへの寄りが遅いことだ。そのため,当然味方のボールになるはずのルーズボールが相手のボールになってしまうことが多かった。その他にも,トラップが大きいこと,攻守の切替が遅いこと,パスが繋がらないこと,等々。韓国チームに比べてあまりにも見劣りがした。
 トラップの技術や,ドリブルの技術などは,短時間ではどうにもならないから,それをカバーするポジションを考えるべきだ。この試合では,選手がカバーしあう場面や,連携して動く場面があまり見られなかった。
 最もショックだったのは,試合後の
岡田監督のコメントだった。電話でJリーグ会長に進退を伺ったということを発表したのだが,そういう事実があったとしても,監督としては,あそこでは言って欲しくなかった。
 国であれ会社であれスポーツチームであれ,
集団の指導者としてやるべきことは2つしかない。第1は,その集団の目標を明確にし,その筋道を示すこと。第2は,メンバーの役割分担を明確にし,モチベーションを高めること。
 小生も,過去にいくつかの集団の先導を任されたときがあった。上記2点は,その時の経験を踏まえてたどり着いた結論である。といっても,そう簡単には達成できるものではないが,そうなるように努力してきた。努力することで,メンバーとの人間関係も築けてこられたような気がする。
 今は日本全体に元気がない。せめてサッカーぐらい・・・・と言うのも叶わないのか。




2010.03.29 
 イタドリ=スカンポ ?

 イタドリは日本では普通に見られるタデ科の多年生植物だ。このイタドリが英国で異常繁殖し侵略的な外来植物として問題化しているという。英国環境・食糧・農村省では,日本産のイタドリを駆除するため、日本産昆虫のイタドリマダラキジラミ(キジラミ科)を,雑草防除に外国産昆虫を利用する英国初の例として野外に放すこととしたという。
 このニュースの中でちょっと気になったことがある。
 『
イタドリは大きくなる多年生草本で、中空の茎を折り取る際に、ポコンと音がし、食べると酸っぱいので「すかんぽ」とか「かっぽん」などと呼ばれたりもする。』
 あれっ,「
スカンポ」って,「イタドリ」の別名なの?知らなかった。イタドリの新芽を食用にすると言うことは聞いていたが,私たちはそれをスカンポというとは言わなかった。私が子供の頃スカンポと言っていたのはイタドリではなく,スイバだった。ちなみに,イタドリタデ科イタドリ属スイバは,同じタデ科だがギシギシ属
 こんな歌も記憶に残っている。・・・・・・
 ♪「土手のスカンポジャワサラサ 昼はホタルがねんねする。 僕ら小学1年生 今朝も通ってまた戻る。・・・・・・・・」
 この歌は,
北原白秋が作詞し,山田耕作が曲を作った『酸模(すかんぽ)の咲く頃』と言う歌
 土手のすかんぼ ジャワ更紗  昼は螢が ねんねする
 僕ら小学尋常科  今朝も通って またもどる
 すかんぽ すかんぽ 川のふち  夏が来た来た ドレミファソ

 で,なぜ「土手のすかんぼ」が「ジャワ更紗」なのか。ずっと不思議に思っていたことなので,ネットで調べてみた。
 
ジャワ更紗とは。ジャワ(インドネシア)で作られているろうけつ染めの布で,シルクの薄い生地に染め抜いたものは独特の輝きがある。スカンポの秋の穂の輝きが,そのジャワ更紗の輝きを連想させると言う。
 植物の別名(地方名・・方言)は色々あって面白い。生活に密着した植物ほど多くの呼び名がある。確かに,
イタドリスカンポという地方も有るらしいのだが,けっしてそれが標準ではないと思う。
 情報伝達が高速になった現在,誤った情報が急速に伝搬し,いつしかそれが標準になってしまうことも起きているから,注意しなければならないと思っている




2010.03.08  
 映画「ザ・コーヴ」

 和歌山県太地町のイルカ漁を題材にした米映画「ザ・コーヴ」がアカデミー賞の長編ドキュメンタリー賞を受賞した。まだ観ていないので,内容の詳細については分からないが,新聞報道によれば,かなり意図的な編集がなされたようだ。
 
「沈まぬ太陽」についても同じ様な憤りを感じたのだが,やはり「それはずるい」「フェアーではない」と感じた。創作しておきながら,実際の出来事を模して事実のような印象を与えることは,映画の常套手段ではあるが,それはやはりずるいやり方だ。彼らは,フィクションと言いながらも,事実に模して描くことで,現実味を与え,観客が事実であるかのように錯覚することをねらっている。
 
ザ・コーヴの場合,ドキュメンタリーと銘打ってあるから,画像に細工などはしていないはずだし,映し出される映像は「事実」には違いない。しかし,「捕鯨反対」「イルカ漁反対」という意図で編集されれば,それはかなり偏った意味づけも可能になる。今回「隠し撮り」も問題になっているが,報道写真や,ドキュメンタリーの撮影者には,そもそも「隠し撮り」という意識は無い。彼らに言わせれば,立ち入り禁止場所に入り込んでも,誓約を破っても,それは「事実」の撮影のためなら許されるのだ。隠していることを明らかにするためには,それくらいは問題ではない。隠していることが悪なのだと彼らは言う。
 
「捕鯨反対」という主張は,欧米の文化人の中にはかなり以前からあった。「多様な食文化を理解する」という立場の人もいるが,割合からするとどちらが多いのだろう。
 「イルカへの虐待を告発する」という彼らの主張には,根底に西欧人の東洋人蔑視の感情があるように思えてならない。「日本人は,イルカを殺して食べる野蛮人だ。だからこれを止めさせなければならない。」と。だからアカデミー賞もこの映画に賞を与えたのだろうと考えてしまった。
 民族や人種の差別意識は我々の中にも存在する。TVの番組などで,アフリカの原住民が,芋虫のようなものやゴキブリのようなものを食べている姿を見ることがある。そのとき,なぜあんなものを食べるのかと思うが,この感情には,無意識の中に
「自分はあんなものは食べない」という原住民に対する優越意識が含まれている。イルカを殺している日本人を見て,西欧人の中には,同じ感情を持つ人も少なくないのだろう。
 「ザ・コーヴ」は国内では5〜6月に公開が予定されている。新聞記事によれば,配給元の「アンプラグド」(東京都)は,地元からの抗議を受けて,「肖像権の侵害にならないよう地元の一般住民の顔にはぼかしを入れる」と言う。隠し撮りした画像を公開する場合,肖像権の侵害や名誉毀損が成立する可能性が高い。配給会社はそんなことまで考え,対応策をとっているのだと思うと,ますます許せない。やっていることにやましい気持ちがないのなら,無修正でオリジナルを公開すればいい。そしてその結果を責任を持って受け入れればいい。それだけの度胸がないのならば,公開などしなければいい。
 話題になればなるほど観客が増え,興行収入の増大に繋がるのだと考えると,こんなことを書くこと自体が,彼らの思うつぼなのかも知れない。




2010.03.02  
 バンクーバーオリンピック

 バンクーバー冬季オリンピック大会が終わり,選手団も3月2日に帰国した。
 オリンピックが開催される度に,何個のメダルが獲得できたかが話題になるが,今回は,トリノ大会の1個(金)を上回る
5個(銀3,銅2)だった。この数を,多いと見るか少ないと見るかは意見の分かれるところだ。
 取り立てて愛国心の強い私ではないが,多くの日本人がそうであったように,日本選手の出場する種目では,TVにかじりつき,日本選手を応援した。良い結果が出ると,単純に嬉しくなったし,僅かな差で敗れると,悔しさでいっぱいになった。
 オリンピックを
「国威発揚」の道具として,国家を挙げて選手を養成している国は,過去にもあったし,現在もたくさんある。このことは,決して悪いことではないし,競技レベルの向上という視点からすれば,むしろ好ましいことである。次回冬季オリンピックの開催国で,巨額の育成費を投入して強化を図ってきたロシアは,良い結果が得られなかった責任を選手育成の責任者に求め,大統領が辞任を要求したと伝えられている。
 オリンピックで取ったメダルの数が少ないからと言って,そのことで日本という国の価値が下がるわけでもないし,たくさんメダルを取ったからといって価値が上がるわけでもない,メダルの数の多少は大騒ぎする問題ではない。
 
橋本聖子団長が,帰国後の記者会見で「韓国は46選手で14個のメダルを取った。国家を挙げて競技の強化に取り組んでいて、彼らを見ていると安定感があった。メダリストへの報奨金だけでなく、年金、兵役免除などが士気を上げている一つの要因でもあるのだろう。国を代表する思いも強いと思った。体格の変わらない韓国、中国勢の驚異的な伸びの中で見えてきたものがある。それを研究して選手に伝えたい」と発言したと伝えられている。
 橋本団長は,韓国と同列とまでは言わないが,育成費の援助など,もう少し国の後押しが欲しいと訴えた。お金を出せば全て解決するような単純な問題ではないが,金メダルクラスの選手育成には金がかかるのも事実だ。金メダルを取るためにどれくらいの金をつぎ込むかは,他の事業とのバランスの問題であり,結果として現在の金額が現在の日本の状況なのだと理解している。少なくとも,現在の日本は「国威発揚」を目標とし掲げ,大金をつぎ込むような国ではないのだ。
 私個人的には,今回の成績でも十分に楽しむことができたし,選手も目標を持って頑張っていたから,これで良いのかなと思う。
無理に他国と競う必要はない
(写真は,我が家の庭で咲いたクリスマスローズ。昨年の夏には暑さのためにとろけそうになりましたが,寒さ到来とともに元気に葉を伸ばし始め,立派な花を付けました。)




2010.02.23  
 時と場に応じた服装

 冬季オリンピックで,競技以外で話題になっているのが,あるスノーボード選手の服装と,それに関する出来事だ。マスコミの格好の餌食となり,賛否両論書き立てられた。
 「服装なんて何でも良い。よい成績を収めればそれで良い」と言う意見から,「日本選手団としての統一した行動が取れないのは日本代表として失格」と言うものまでいろいろ。
 
ドレスコードと言うものがある。もともとヨーロッパの貴族社会の習慣で,パーティーなど人が集まるとき,相手に不快感を与えないため,服装を指定しているものがドレスコードだ。
 相手に不快感を与えないために,
時と場に応じた服装をするというのは,現代社会でも非常に重要なものだ。だから,社会人の素養・教養の一つとして,身に付けていなければならない。
 よく
「身なりで人を判断してはいけない」と言われるが,この言葉も誤解され,身勝手な服装についての擁護のために使われていることが多い。この言葉の真意は「貧しい身なりをしているからと言って,その人をさげすんではいけない」という意味なのだ。今の社会では,貧しい身なりなど殆ど見当たらないから,別の意味に使われてしまっているのだろう。
 
その人の考え方や主張を判断するのに,その人がどのような服装をしているかを見ることは,極めて有効な手段なのだ。その人がそのような服装・身なりをしているのには,それなりの考え・主張があるのだから,身なりでその人を判断することは,かなりの確度で正しい方法なのだ。
 今度の出来事に対して,ある外国人のコメンテーターが
「日本では,時と場に応じた服装をすることの大切さを,家庭でも学校でも教えていないのではないか」と言っていたが,全く同感だ。服装だけではない「社会人として必要なマナー」について教えられないで大人になってしまった人があまりにも多すぎるような気がする。



2010.02.02
 自己責任

 1月30日,私たちは凍結した刈込湖の湖面を歩いてきた。十分に安全を確認した上で「自己責任」で歩いてきた。
 私は,自己責任という言葉があまり好きではない。なぜならば,この言葉が,ルールを無視した我が儘な振る舞いを正当化するために使われることがよくあるからである。
 もともと,特に断らなくても,山歩きや登山は全て「自己責任」の世界なのだ。登山中の事故は,第三者が故意に起こした場合を除き,その責任は全て自分にあるのだ。
 世の中では,様々な場面で管理責任が云々されている昨今,登山道の管理についてもその責任が問われるケースが出てきているという。数年前に,
奥入瀬の遊歩道(だったと記憶している)で,枯れた木の枝が頭上に落ちてきて怪我をした事故について,裁判所は,遊歩道を管理している地元自治体の管理責任を認め賠償の支払いを命じた。
 この事例は,
「遊歩道」という,一般人が歩く場所についての基準であり,それなりの装備を持ち,準備を整えて歩く「登山道」とは同列ではない。しかし,崩壊が進んでいるなど危険があり,事故が予見されたにもかかわらず放置していた場合などでは,事故が起これば,登山道を管理している自治体の管理責任が問われることは十分に考えられる。このために事故が予見される場合には,登山道を管理している自治体は「通行止」という処置をしている。この通行止めを無視して侵入する登山者は,しばしば「自己責任で通行した。」と言い訳をする。
 彼らは,「自己責任」だから,何が起こっても自分で対応すると言うが,ひとたび事故が起これば,地元自治体を始め,多くの人に迷惑を掛けることになる。全てを自分一人で処理することなど絶対に不可能なのだ。
 浅間山は,噴火の危険度に応じて立ち入り禁止区域が決められている。しかし,それを無視して火口壁まで登る人は少なくない。そしてその人達が異口同音に言うことは「自己責任」だ。火山活動は前触れ無しに突然に起こる。その危険性は素人には分からないから,専門家の判断を信用する他はない。専門家が危険だというのだから,私たちは従うべきなのだ。
 確かに,自治体は慎重になり過ぎ,単なる責任逃れのために通行止めにしているのではないかと思われる場合も無いわけではない。
 最近,
奥日光で「積雪により冬季通行止め」という表示が増えた。狸窪から阿世潟に向かう道や,菖蒲が浜から千手ヶ浜に向かう道など,積雪時に私たちが普通に歩いていたコースにも表示された。装備がなければ難しいコースだが,装備さえ整っていれば決して危険なコースではない。積雪があるというだけで通行止めになるのだとしたら,雪山などどこにも行けなくなる。もし,一般観光客などが迷い込まないための通行止めであるのならば,文言を工夫するべきだ。自分として安全を確認して通行するにしても,「通行止」に逆らうのは,後ろめたさが伴う。そればかりでなく,このような通行止めが増えることで,本当に危険な場合の通行止めも軽く見られることになりかねない。



2010.01.19 
 生牡蠣

 仙台に住む兄から生牡蠣が届いた。早速,夕食で頂いたが,しっかりとした身の食感と甘みのあるおいしさに思わず晩酌もはかどってしまった。
 
海無し県の栃木県に生まれ,殆どどこにも行かずに成長した私にとっては,新鮮な海の幸は憧れの味覚だ。
 宇都宮でも殻付きの生牡蠣を食べることはできるが,その味は本場のものとは比較もできないくらいに別物だ。かつて,宇都宮でホヤを食べたが,その臭みに閉口し,二度と食べようとは思わなかったが,仙台の兄の家で出されたホヤは全く別物だった。独特の甘みに磯の香りが溶け込み,また食べたいと思うようになった。
 兄は,いわゆる
転勤族で,全国を転勤して廻った。色々な土地で暮らしてみて,最後に選んで居を構えたのが仙台だった。気候風土や人情など,仙台を選んだ理由は色々あったのだろうが,その味覚も大きな要素だったと聞いたことがある。
 いつも世話になるばかりで,何もお返しが出来ないが,兄と義姉さんの心遣いに感謝しながら,また今年もおいしい牡蠣を頂いた。