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 ブログ 独 り 言 2011


2011.11.11
 TPP

 TPPへの参加については,政府与党内でもかなり意見が分かれているようだ。それなのに,敢えて参加を決断すると言うことは,それなりに理由があるのだと思う。これは,純粋に経済的な影響を考えただけでも,かなり大きな問題で,それに政治的な利害関係も絡んでくると,もはや私の単純な頭脳では理解の限界を超えている。
 しかし,賛成・反対両立場の人の主張を聞いていて,納得したり,疑問を持ったりする部分もある。
 まず,
農業関係者の主張では,TPP参加で日本の農業は壊滅的なダメージを受けるという。そうだろうなとは思うが,日本の農業(特に米作り)は,このまま続けていったら,TPPに参加しなくても,いずれ近いうちに,行き詰まるだろうと言うことも予測できる。
 アメリカなどの米作りと日本の米作りが根本的に違うことは何処かと考えると,それは,競争の差だと思う。日本の米作りは,狭い農地で密度の濃い耕作をしなければならないという宿命はもちろんあるのだが,それ以上に政治的な理由で各種の保護・補助が行われ,競争の原則が後退していることだ。競争のない社会にいきなり競争原則を持ち込もうとすれば,反対するのは当たり前のことだ。現在の米作りは「農協」が中核となって進められているが,既に農協から離脱する農民も増えている。
 食品の安全性の問題も重要な問題だが,
国産だから安全で,輸入品は安全が保障されないと言う主張も,根拠は薄い。国産だから安全だという保障など,どこにもないのだ。
 日本の米作りに関しては,各種の補助金が支給されているが,製造業の中小企業に対する補助金と比較しても,社会的に公平なのか疑問がある。「食物の生産は工業製品の生産とは違う」という主張も,ある程度納得できるが,それにしても差が大きすぎる。
 米作りは機械化が進み,現在の米作りは昔ほど手間がかからなくなった。耕作面積は同じだから,当然時間が余る。そのため,別の仕事を持つ「兼業農家」が増えた。「米作りだけでは食べていけないから」というが,別の見方をすれば,労働時間が減れば,収入が減るのは当然なのだ。「米作りだけで食べていける専業農家」を増やすためには,会社組織にするなど,集約化が必要なのだ。
 このところのデフレ・円高で,中小の製造業は生きるか死ぬかの戦いを続けている。それを思うと,農業だけが手厚く守られているという現状は,やはり不公平だという気がする。
 経団連など,製造業を中心とした関係者は,TPPへの参加を支持している。輸出に関連した業界では,関税が撤廃されれば,輸出が増え,国全体の景気回復に繋がると主張している。そんなに単純ではないと思うが,景気がプラスに向かう方向で作用することは間違いないだろう。
 国全体を考えたとき,どうすべきかは,立場の違いを超えて考えるべきものなのだが,自分の利害を超えると言うことは,言うほどには簡単ではない。



2011.09.21
 正心誠意

 野田首相が,初の所信表明演説で,「正心誠意」という言葉を使った。不勉強な私としては,そんな言葉があることさえ知らなかった。「せいしんせいい」と言えば,疑いもなく「誠心誠意」と書いた。
 私が使っているパソコンの日本語変換でも,「せいしんせいい」と入力すれば「誠心誠意」と変換し,それ以外の候補は出てこない。「せいしん」と「せいい」に区切って変換させて,やっと「正心」「誠意」と変換してくれた。
 「正心誠意」と言う言葉は,一般に知られている「誠心誠意」をもじった言葉ではなく,幕末に幕臣として活躍した勝海舟が,政治の極意を語った言葉のなかにあるのだという。
 
勝海舟の『氷川清話』中に,「外交の極意は、正心誠意にあるのだ。」「ごまかしなどをやりかけると,かえって向こうから,こちらの弱点を見抜かれるものだ」と。
 外交の極意など,素人の私には分かりかねるが,野田首相は,「どじょう」といい,「正心誠意」といい,耳新しい表現で,聴衆の気をひくことには一応成功したようにみえる。
 しかしほんとうに大切なのは,演説で何を言うかではなく,首相としての権限で何をするか,何をしたかなのだ。
 耳新しい表現を使うのはいいが,もし,学校の漢字書き取り試験で,「せいしんせいい」を「誠心誠意」と書かずに「正心誠意」と書いたら,マルはもらえるのだろうか?




2011.08.06 
 国家補償

 ミヤマリンドウ(2011,08,05)立山室堂
 福島原発に関する損害について,その補償の大枠が決定したとニュースが伝えている。
 本人の落ち度に寄らず,不本意ながら被った損害については,その行為の
加害者が補償しなければならない。このことは,今の世の中では,社会のルールとして概ね共通理解が図られている。
 今回の原発事故に関しても同じ原則が当てはめられるが,この損害は,広域,多種,高額になっており,東電という一企業が負担できる範囲を超えていることは明らかである。
 原発の推進という事業は,国の方針によって推し進められてきた事業であり,国も東電と共同で責任を果たさなければならない。
 国などの行政が責任を問われることは今の世の中ではめずらしくはないが,国というのは言葉を変えれば国民であり,
国民一人ひとりが税金という形で補償に参加しなければならないことになる。
 しかし,
私たちは補償金を負担しなければならないほどの悪いことをしたのだろうか。理屈で分かってはいるが,なんとも納得できない気持ちもある。悪いことをしたと言えるのは,唯一そのような政治家を選んだことなのだ。自分が(直接ではなくても)選んだ政治家がやったことなのだから責任を負えと言うことなのだが,当の政治家はどのくらい責任を負っているのだろうか。
 注射器の不適切な使用によって肝炎に感染させられたことは,当事者にとっては我慢の限界を超えた許し難い行為であり,実施責任者の国に対して賠償を請求することは当然のことと理解できるし,もし自分が当事者だったら,同じ行為をするだろうと思う。しかし,当事者でない私にとっては,
税金を増やしてまで賠償をしなければならないだけの罪の意識はない。
 原発事故に関しても,風評被害というものが想像を超えて広がり,当事者にとっては極めて深刻な状態になっている。日光の旅館も,軒並み宿泊者減に悩んでいる。これは,原発事故による風評被害だろうとは想像できるが,それを証明することは難しい。なぜならば,原発事故が無くても,温泉街の客足は減少傾向であり,そのために営業を続けられなくなった旅館も少なくない。何処までが自然減でどこからが風評被害なのかの線引きは難しい。
 国は,打ち出の小槌を持っているわけではなく,国に対して賠償を請求すると言うことは
,国民一人ひとりに対して賠償を請求するということなのだと言うことを,賠償請求を訴えている人たちは,どのくらい分かっているのだろうか。「補償を勝ち取った」と喜んでTVに映し出される顔を見ると,ちょっと違和感を感じるのは私だけだろうか。



2011.07.01 
 節電!?

  ガンコウランの若い実(那須茶臼岳)
 世の中は,「節電!節電!」の大合唱だが,どうも,今一つ納得できないことがある。
 今回の節電の取り組みの最大の理由は,
ピーク時の需要を抑えて,需要過多による大規模停電を回避することにあるのであり,闇雲に節電せよと言っているのとは違うはずなのだが。マスコミの報道にはこの種のものがたくさんある。
 
この際,電力に頼りすぎていた生活を見直し,すこしでも脱電気にシフトしようという取り組みは,それはそれで理解できるのだが,それとこれははっきりと分けて考えるべきものだ。
 先日,近くの電気量販店に行ったのだが,
LED電球を買い求める人で混雑していた。LED電球が低消費電力なのは分かっているが,それは白熱電球と比較した場合のことであって,電球型の蛍光灯と比べたら,20%ほどの節電にしかならない。長寿命がもう一つの売りだが,これは直接には節電とは関係ない。
 そもそも,
一般家庭が照明を点けるのは周囲が暗いときで,一般的に言えば,電力消費のピークとは重ならない。それでも一般人がLED電球に殺到するのは,マスコミの影響なのだろう。マスコミが電機メーカーと結託して,あまり必要でない物を買わせようとしていると疑いたくもなる。
 「15%節電」を錦の御旗に,一般家庭でも「15%節電」をしなければならないような報道がなされているが,これはまったくの誤解だ。一般家庭でも「15%節電」を達成しなければ「罰金」が取られると誤解している人もいる。マスコミには,これらの誤解を解くよう働きかける義務があるはずだ。
 私も,「40W相当」というLED電球を1個購入してきたが,正直言って40Wの明るさはなかった。暗い割りにはまぶしく感じたが,これは周波数特性(光波長)の違いなのだろう。




2011.06.24 
 節電・節約


 ベニサラサドウダン (那須岳)
 現在の時刻は正午少し前。この事務室の気温は29℃。30℃を越えていないので,エアコンのスイッチは入れていない。
 この部屋は建物の北側にあり,日射が入らない分,室温は上がりにくく,我慢できないほどに暑くはない。
 窓を開けているが,バス通りに面しているため,うるさくて,電話の声が聞き取れないときもある。
 「省エネ」結構。「無駄を無くす」大いに結構。でも,
「無駄」か「無駄でない」かは,多分に主観的で,意見の食い違いもある。
 かつての「事業仕分け」でも,そこが問題だったが,また,同じことでいらだたしさを感じている。 この部屋も20本あった天井の蛍光灯を12本に減らしている。でも,天気が悪いとき以外は暗くは感じない。とすると,今までは何だったのだろう。単なる「無駄」だったのだろうか。多分そこには「無駄」のひと言では済まない何かがある。
 
「明るさ」は豪華さの表現であり,繁栄の象徴だ。個人住宅でも,客間や居間には豪華な照明器具を取り付け,その高級感を競った。一流ホテルでは,エントランスに豪華なシャンデリアを飾りステイタスの象徴にした。
 これは,我々には,豪華さを求める基本的な欲求があるからであり,そのために我々は努力するし,これによって経済も成長してきたのだ。
これは「無駄」という簡単な言葉で否定できるものではない。
 かつて,「贅沢は敵」「欲しがりません・・・」と言う言葉で個人の生活を締め付けてきた時代があったが,その結末がどうなったかは言うまでもない。
 矛盾する部分もあるのだが,節約もほどほどがちょうど良いのだと思う。




2011.05.28 
 クジャクサボテン

 クジャクサボテンが咲いた。
 あまり手入れをしていないのだが,それがかえって良いのか,毎年きれいな花を咲かせてくれる。いつも思うのだが,それにしても不思議な咲き方をする花だ。
 日中に膨らんだつぼみが,
日没と同時に開き始め,真夜中に満開になる。そして,次の日,夜が明け,日が高くなる頃しぼんでしまう。
 植物にとって花とは
子孫を残すための生殖器官だ。多くの花が目立つ色をしているのも,強い香を放つのも,それによって昆虫をおびき寄せ,受粉の手伝いをさせるための手段なのだ。
 稲のように,自家受粉をするために昆虫の手助けが必要ない花では,目立つ必要がないから花びらもない。
 クジャクサボテンは,こんなに目立つ色彩をしているのだから,昆虫を呼び寄せようとしているはずなのだが,昆虫の活動が少ない夜にだけ花を開くというのはどう考えても矛盾だ。たぶん,何か理由があるのだろうが,私には分からない。謎があるというのは,また魅力の要素でもあるのだが。
 
【訂正】 クジャクサボテンは一晩ではしぼみませんでした。次の日も一日中咲いていて翌朝しぼんでいました。



2011.05.23 
 GARMIN OREGON 450TC




 GARMIN OREGON 450TC を2月中旬に購入して,ほぼ3ヵ月が過ぎた。まだ,使いこなすほどには使っていないが,感想を書くことにする。

 まず,精度について。
 結論としては,思ったより正確だったと感じた。下の図は,同じ道を往復したときの記録を比較したものである。左は,5月15日に奥白根山に登ったときの記録で,右は,4月17日に谷川岳に登ったときの記録である。奥白根の記録ではかなりずれているのが分かるが,谷川岳の記録では,殆どずれていない。これには,地形的な問題があると思う。奥白根では,
両側が狭まった谷底のルートであるのに対し,谷川岳では尾根の上のルートだ。電波の受信状態に差が出てもしかないだろう。GPSはその性質上,20〜30mの誤差がでることは想定しておかなければならない。


 画面は,これも見やすい方だろう。太陽の直射が当たるようなところでは,反射光で見ることが出来るので,不自由に感じたことはなかった。
 やはり,電池の消耗は早い。これでも随分と改善されてようだが,朝に新品の電池を入れてスタートしても,下山前に電池の残りが少ないというメッセージが出ることがある。予備電池は必須で,数日間の縦走などでは多めに用意した方が良い。



2011.05.19 
 滑落

 5月15日,かねてから行きたいと思っていた奥白根山に,冬道を通って行ってきた。その帰路,急傾斜の登山路で滑落してしまった。
 その詳細を報告する。
 滑落したのは,小さな尾根をトラバースして,傾斜が緩くなる二股までもう少しというところだった。地図の赤丸地点。

 急斜面の下り坂で,谷底のルートだった。滑ってもルートから外れる心配はない。雪面は,登山者のステップによってかなり凹凸ができていた。できるだけそのステップを利用して下っていたが,利用できないときはかかとを強く踏み込むことで新しいステップを作りながら下っていた。しかし,雪はかなり柔らかになっており,ステップも崩れがちだった。
 登りでは
ピッケルを使っていたのだが,下りでは,そのほうが安定すると思い,雪用のバスケットをつけたストックをダブルで使っていた。
 踏み出した右足に体重をかけたところで,その足が流れた。まず,しりもちをつき,そのまま足を下にして滑り出した。
冷静に!冷静に!と自分に言い聞かせ,両手に持ったままのストックでどうやって止めるかを考えた。その間にも,左の脇腹を雪面にこすりつけて,凹凸のある雪面を小さなバウンドを繰り返しながら,滑っていった。加速度が付くとますます止めるのが難しくなるので,早く滑落停止の行動をとらなければならないことは分かっていたのだが,どうして良いか分からない。ストックは,ストラップを手首に通していたので,失わずに手元にあったので,これを使って止めるしかなかった。ピッケルを用いた滑落停止は,訓練で何度かやっていたのだが,ストックでの滑落停止訓練は気休め程度しかやっていなかった。
 まず腹ばいになり,左手で右のストックのバスケットのすぐ上をにぎり,雪面に突き立てた。加速度が付いていてすぐには止まらなかったが,数回突き立てて何とか止めることができた。
 最悪のことも頭をかすめたが,何とか止めることができた。ゆっくりと立ち上がり,横に動いて安全な場所にザックを降ろした。幸いなことに大きな怪我はなかった。途端に両足がガタガタと震えだした。気持ちが悪くなるほど心臓が激しく打っている。しばらく何もできなかった。
 帰宅後,ガーミンの記録を調べた。

 索引の1876から1884までの間で区間速度が10km/h〜20km/hになっている。普通の歩行では区間速度が1km/h未満なので,ここが滑落していた区間と見られる。1875と1876の間に滑り始め,1884と1885の間に停止したことが分かる。
 区間の長さを合計すると,滑っていた区間は68mだった。高度では38m,滑っていた時間は16秒だった。記録を見るまでは,漠然と,滑落した距離は50〜60m,時間は10秒前後と思っていたのだが,実際には,もう少し深刻な状態だったことが分かった。

 滑落の直接の原因は,不注意な足の運びと言うことになるが,その前提として
「疲労」がある。足の筋肉が疲労し,踏ん張れなくなっていたこと,バランス感覚が衰えていたことなどがあげられる。疲労については,自分でも気がついており,避難小屋へ下るのを止めたのも,それが理由の一つだった。滑落の停止行動については,実地に行ったのは初めてだが,訓練として何度かやっていたので,比較的冷静に対応できた。訓練も無意味ではなかったと改めて思う。



2011.04.26
 「サマータイム」

 またまた,「サマータイム」が話題に上がってきた。今度は,「節電」を打ち出してきており,以前よりは説得力が上がった。
 サマータイムについては,このブログでも,2007年5月22日と2008年5月25日に取り上げて意見を述べているが,私は一貫して
反対である。 
 
枝野官房長官は記者会見で、夏場の電力不足に対応するため企業ごとに導入の動きが出ている,いわゆる「サマータイム」について、国全体として制度を導入するには相当な費用が必要になるなどとして。否定的な考えを示した。また,節電啓発を担当する蓮舫行政刷新担当大臣は「期間限定で時間をずらして戻す手間ひまや,新たなインフラが必要なことを考えると,国としてサマータイムを導入するより,各企業がフレックス制の勤務を導入するほうが結果として節電につながると思う」と述べ,ともに,国全体としての導入には否定的な見方をしている。私は,極めて妥当な考えだと思う。
 サマータイムでは,早い時間から就労することで,明るい時間に勤務を終えられるから,照明などの電力使用量を抑えられると言うが,実際に試算したのだろうか。私の予想では殆ど差はないと思う。また,
「仕事が終わった後,日没までの時間が増え,アフターファイブを充実して使えるようになり,経済の活性化に繋がる。」ともいうが,優雅にアフターファイブを楽しむことのできる人は,はたしてどれくらいいるのだろうか。現実は,勤務時間が終わっても帰宅できず,サービス残業を強いられている人がたくさんいる。
 各種の科学観測データには,観測日時の記録が欠かせない。当然,その記録は,標準時(世界または各国)であり,サマータイムではない。例えば,「地震が△時△分に発生」という情報は,どの時点でサマータームに修正されて発表されるのか。混乱は起こる。
 多少の混乱は起こっても,それを上回るメリットがあればいいのだが,私にはそのメリットが見つからない。




2011.04.25
 節電?

  世の中は,「節電!,節電!」の大合唱だが,少しピント外れの感じを持つのは私だけか。
 今回の「節電」は,ピーク需要の抑制がねらいで,電力に余裕のあるときには節電する必要はないはずだ。もちろん,無駄を省くための節電はいつでも重要なことで,それには異論はない。しかし,節電のために,色々な活動が萎縮してしまうのは,決して良いことではない。
 今回の節電は,総量規制ではなく,
ピーク時の電力を抑制すること,つまり電力量(キロワットアワー)を下げるのはなく,ピーク時の電力(キロワット)を下げることなのだ。
 どの時間帯に余裕があるのかは,東電のホームページ を見れば分かる。
 今の季節は,夜の8時過ぎから朝8時頃までは余裕がある。我が家は,深夜電力を使い,ヒートポンプで湯を沸かしているが,節電,節電という大合唱を聞くと,電気を使うこと自体に後ろめたさを感じてしまうのだが,ほんとうはそんなことは全く必要無いことなのだ。




2011.04.21
 集団登校

 鹿沼市で集団登校していた児童の列にクレーン車が突っ込み6人が死亡するという痛ましい事故が起きた。
 集団登校には便利なところもあるのだが,ひとたび事故が起きると,被害が大きくなってしまう。集団登校の方法や集団登校そのものを検討する必要があるだろう。
 何年か前にも同様な事故があり,
集団登校をやめた地区もあったが,いつのまにかまた復活していた。鹿沼市での事故の後にも,他県で同様の事故が発生している。
 集団登校では,上級生が新入生などの小さい子の面倒を見てくれるから,低学年の児童を持つ保護者にとってはたいへん有り難い方法なのだ。
 私は,学校への登下校は基本的に
保護者の責任で行うものだと思っている。一人で通うことが難しい低学年の児童は,保護者が送り迎えするべきなのだ。もしそうでなければ,アメリカの学校で良く見られるような,スクールバスが各個人宅を廻って児童を送り迎えするような方式を導入するべきだと思う。
 昔も,自然発生的に,あるいは近所の親たちが声を掛け合って,近所同士で誘い合って学校へ行くことは行われていた。現在の集団登校が,昔と大きく異なるところは,それが
学校の監督・指導で行われていることだ。
 1960年に「学校安全会」ができ,学校管理下の事故が補償されることになったのだが,併せて,通学途上の事故も補償の対象とするために,
「通学途上も学校管理下である」と解釈されるようになったのだ。学校は,登下校途上の児童の行動にまで責任を持たなければならなくなった。
 しかし,どう考えても,登下校途上が学校管理下であるという解釈には無理がある。学校は,登下校途中の児童の行動について,指導はできるが,管理することは物理的に不可能だ。




2011.04.13 
 マスコミの記者

 ある記者が総理大臣本人に対して「あなたが与野党協議の最大の障害になっている。総理の存在自体が国民にとっての不安材料になっている。」と言ったと報道されているが,一国の総理大臣に対して,あまりにも失礼だ。
 私も,今の総理大臣は好きではないが,少なくとも
選挙によって国民に選ばれた政治家として,認めてはいる。これを否定したら,選挙を否定することになり,ひいては国民の意思を否定することになるからだ。
 マスコミの記者が,居丈高に,偉そうに質問している姿を時々目にするが,マスコミの記者達は,
自分だけが社会正義を代表しているような錯覚を持ってしまうのだろうか。
 国を代表する政治家に対しては,少なくとも,選挙によって選ばれた国会議員として,また国会議員に選ばれた総理大臣として,個人的な好き嫌いは別として,敬意を払わなければいけないと思う。
 昔,小さな子供の夢を聞くと,「総理大臣」という言葉が返ってきたものだが,今それは皆無だ。
優秀な若者が政治家を目指さなくなったからか,選挙があっても投票したい候補者がいないことが多い。政治を目指す若者が少なくなった原因も,マスコミにいじめられる政治家の姿を見せつけられているからかも知れない。
 私は,今度の震災を通して,日本国民が前よりも一層大好きになった。だから,国民が選んだ国会議員も大切にしたいと思う。願わくば,政治家が,自分や自分の政党の保身だけでなく,国民本位の施策を実施して欲しいと祈っている。




2011.04.10  
 「ひとつになろう日本」

 「ひとつになろう日本」 最近,TVで良く聞くフレーズだが,ちょっと感想を。
 多分にへそ曲がりだと,自分でも思うのだが,やはり違和感はぬぐえない。
 大震災の復興にあたって,日本国民全体が
心を一つにして頑張ろうと言う意味なのだろうが,もし,「同じ心を持とう」という意味ならば,それは違う。
 もともと人の考え方や価値観は同じではなく,
「一つの心」など,あり得ない。それぞれの人が,それぞれの価値観や考え方で,復興に努力しようというのならば,大賛成である。
 メジャーリーグのある選手が1億円寄付したとか,情報企業の偉い人が100億円寄付したとかというニュースが伝えられているが,なかなか真似のできる金額ではなく,凄いことだと思っている。しかし,決して金額の大きさがその人の気持ちの量を表しているものではない。その人が,
たまたま寄付をできる環境にいて,寄付することに意義を感じたから寄付したのであって,どんなに強い気持ちがあったからと言っても私には何億円という寄付はできない。もちろん,寄付できる環境にあっても寄付しない人がいるが,だからといって,そのことだけでその人に支援の気持ちがないとは判断できない。
 人はいろいろな考えを持つものであり,反社会的なものは問題外として,どんな考えを持ってもそれは肯定されるべきだと思う。
みんなが同じ考え方をする社会(多分に日本はそうだ)は,想定外の事態が発生するともろいのだ。想定外の事態が発生したとき,人とは違う発想をする人の考えが役に立つことが多い。
 今回の福島原発の事故でも「想定外」と言う言葉を何度も聞いたが,想定外の事態に上手く対応できなかったのは,標準的尺度で言う,いわゆる「優秀な人材」で周囲を固めており,桁外れの考え方をする人がそこにいなかったのではないかとも思う。
 以上,へそ曲がりな日本人からの発言。




2011.04.03
 東日本大震災 3 情報公開

 特に,原発事故に関しては,現在の状況がどうなっているのか分からず,不安が倍増している。
 マスコミや「有識者」は,情報公開を叫んでいるが,意図的に隠している情報があるのか無いのか私には分からない。もし隠している情報があるのならば,然るべき方法で速やかに公開するべきだと思う。
 東電は民間企業であり,会社を守るための行動に出たとしても,それは仕方ないこと。それを制御できるのは国(政府)だ。しかし,その政府がどう動いているのかが分からないから,余計に不安になりイライラする。
 しかし,情報公開とはそんなに簡単なものではない。公開する立場からすれば,
確認できていない情報は公開できない。マスコミは未確認の情報も含めて全て公開せよと要求し,公開しなければ情報隠しと騒ぎ立てる。
 原子力事故に関しては,
生のデータを全て発表することが必ずしも適切だとは思わない。生のデータを解釈するには,相応の専門的能力が必要だが,我々一般国民は,それだけの能力を持っていない。多分「専門家」と称する人たちが多様な解釈をして説明をすることになるのだろうが,もし,ある意図を持って解釈されたら,これこそ危険きわまりないことにまる。



2011.03.22
 東日本大震災 2

 その1を書いてから,なかなか2が書けない。
 多分に混乱している。冷静にならなければと思うのだが,表面の冷静さと違い,心の中はかなり
混乱している。混乱していると言うより,迷っていると言った方がいいかもしれない。
 自分は,この現状をどう捕らえ,どう理解し,どう動けばいいのか,答えが見つからない。自分なりに意見はあるのだが,単なる我欲なのかもしれない。
 マスコミやネットで流れてくる情報を,
自分の持っている知識を総動員して解釈するのだが,その結果に自信が持てない。分からないことが多すぎる。
 原発は怖い。その怖さを十分に知っていたはずなのだが,結果的に災害により事故が起きてしまった。
結果責任として,東電には大きな責任がある。これは誰もが認めることなのだが,原子炉の稼働に関しては,当然国の指導監督がある。東電はそれに基づいて運営してきたのだから最終的な責任は,そのような東電の運営を認めてきた国にある。
 その国を動かしてきたのは,
我々国民が選挙で選んだ政治家なのだから,我々国民全体に責任があるということになる。つまり,原子炉事故に関する補償には我々も間接的にお金を出さなければならないと言うことなのだ。これは,納得したくないが,納得しなければならない。
 計画停電が実施されて,改めて,我々の生活が電力に頼っていたことが分かった。これは仕方ないことなので,今更変えることなどできない。新しい発電所等が稼働を開始し,電力不足を解消できる時まで,どのようにして乗り越えるかが大きな問題だ。計画停電は,
「やらなければ不測の大型停電が起こる」という脅し文句で,反対意見を封じ込め有無を言わさず強引にスタートした。
 でも,この方法がベストなのだろうか。一企業の東電としては,これが限界なのだろうが,
実害が多すぎる。個人の家庭生活ならば,不便を我慢するという範囲で済むのだろうけど,商売や仕事をしている人の場合,我慢だけでは済まない。このまま続けば経営が破綻することは目に見えている。でも,計画停電による損害は,どこも補償してくれない。
 やはり,電力の大消費者である
大企業について,稼働時間を減らしたり稼働時間をシフトしたりしなければダメだと思う。そのためには,権限を持っている国が法律や政令を作らなければならないが,今こそその時期だと思う。工場や会社の活動の拠点を関西に移すことも有効だろう。
 プロ野球について,セリーグ関係者と文科省の間でやりとりがあるが,ますます野球が嫌いになった。スポーツとしての野球は嫌いではないが,
野球関係者と称する人類の鼻持ちならない態度には以前から嫌気が差していた。「野球は特別」という特権意識のようなものは,プロ野球のみならず,高校野球から,少年野球,学童野球にまで及んでいる。私は,大相撲を「国技」と言うのにも全く納得していないが,「野球は特別」とも思っていない。「プロ野球の開催によって食べている人たちがたくさんいるのだから」という主張もあるが,そんなことは当たり前のことで,それを言いだしたら,前述した個人商店や町工場の損害だって考えなければならないだろう。
 まあ,ナイターを見て,ひいきチームが勝って喜ぶ人も多いだろうが,どちらが勝っても関係ないと思う人も,けっこうたくさんいるのだ。




2011.03.13
 東日本大震災 1

 そのとき私は,宇都宮市にある,5階建ての鉄筋コンクリート建物の1階部分の事務室で事務をとっていた。その揺れ方がいつもと違うのに気づいた。
 私は大学で
地球物理を専攻し,地震についても学習した。地震については多少の知識もあり,それなりの判断ができるのだが,この地震だけはちょっと様子が違っていた。
 
宇都宮市は地下に大谷石の大きな岩盤があり,地震については特異な揺れ方をする場所なのだ。宇都宮市で感じる地震の大半は,茨城県南西部の地下80km付近を震源とする地震で,初期微動8秒程度で震度2〜3のものが多い。
 しかし今回の地震は少し違っていた。
初期微動と言われる,「ガタガタ」という揺れは全くなかった。大型の船に乗っているような,ゆらゆらとした揺れから始まった。直感的に「これは大きくなる!」と感じた,私は自分に言うとともに近くにいた同僚にそう告げた。揺れはだんだんと強くなったが,なかなか強さのピークを感じさせない。しばらく揺れている内に,私は地震の揺れで初めて「恐怖」を感じた。
 災害の起こるような地震では,概ね震源が近くにあり,揺れを感じると同時に災害を被る場合が多く,揺れを認識できるような地震では,概ね震源から離れており,大きな災害は起こらないのだ。
 しかし,この地震では,揺れを感じながら
際限なく大きくなるような恐怖を感じた。揺れは徐々にピークを迎え,強弱を繰り返しながらだんだんと弱くなってきた。
 余震と言えないような強い揺れが何度か繰り返したが,どの場合も,
どれが初期微動でどれが主要動かの区別ができないような揺れで,そう言う意味でも,今まで体験したことのない揺れだった。
 
 揺れが一段落した時点で,自宅の妻の安否を確認しようと電話を掛けたが,
繋がらなかった。固定電話は回線がすぐに切断されてしまい,携帯電話では「回線が混み合っています・・・・」というメッセージが繰り返されるだけだった。この時は,携帯のメールには気がつかなかった。
 ツイッターに
「自宅に連絡できず,家族の無事が確認できない」と書き込んだら,横浜に住んでいる息子から,携帯のメールで,無事を確認した旨の書き込みがあった。ツイッターのおかげで安心できた。ツイッターは凄い。
 自宅は地震直後から停電しており,固定電話は光電話なので使えなかった。
勤務場所では停電はしていなかった。
 5時に勤務を終え帰宅したが,宇都宮市内は
ところどころ停電しており,停電している地区では交通信号機が動いておらず,交通が渋滞していた。車の燃料が残り少なく,2日前から給油ランプが点灯している。今日の帰宅途中で給油する予定だったが,ガソリンスタンドは停電のため閉店で注油できなかった。
 自宅は停電中。弱り目には祟り目。
携帯電話のバッテリーが残り少なく,赤マークになっている。カーバッテリーからアダプターを使って充電することもできるのだが,燃料が残り少なく,長時間エンジンをかけておくことはできない。
 そこで,
乾電池4個を使い,6Vを作り,直接充電を試みた。これが大成功で,2時間ほどでフル充電になった。
 停電は夜中の1時過ぎに復旧した。




2011.03.09
 今年の奥日光の雪


 戦場ヶ原三本松のライブ画像(2011/3/10) 昨夜も5cmほど積雪があった。
 今年の奥日光は,
例年になく雪が多い。昨年の同時期と比べても10cm以上も多い積雪量だ。 
 
日光パークボランティアでは,ハイカーやスキーヤーが戦場ヶ原や小田代原に入り込むのを防ぐために,ポールを立てたりロープを張ったりしている。例年この時期になると雪解けが進み,登山道が明確になってくるので,ポールやロープを撤去しているのだが,今年は雪の量が多く,まだ撤去しない方が良いだろうと言うことになった。
 戦場ヶ原や小田代原では,
植物保護のために人間の立ち入りを禁止している。積雪期にも立ち入り禁止は継続しており,そのための活動を,日光パークボランティアが行っている。
 小田代原では,積雪量が増えると,湿原の周囲に設置した杭やロープが雪に埋もれて見えなくなるため,ルートを外れて湿原に入り込む人が出てくるため,ポールを立てたり,ロープを張ったりして湿原に入り込まないようにしている。一方,
意図的に湿原に入る人も後を絶たず,その対応にも苦慮している。
 積雪量が多い時期ならば,雪の下の植物に与えるダメージは少ないのだが,数十センチ程度の積雪では,深刻なダメージを受けてしまう。この辺りをPRしなければならないのだが,なかなか難しい。




2011.02.28
 大学は,受験生に謝るべき。

 入試を厳正に実施するのは,受験生に対する大学の責任だ。  大学入試の不正がニュースになっているが,携帯電話を使った不正の噂は昨年ころから聞いていた。携帯電話がこれだけ普及した現在,これを使った不正は十分に考えられることだった。これに対して,大学側はどんな対策をとったのだろうか。ある大学の関係者が「まさか,これほど巧妙にやられるとは思わなかった」と言っていたが,まさに,認識が甘かったと言わざるを得ない。
 
カンニング(不正)するのは悪いに決まっているが,古今東西,試験にカンニングはつきもの。管理者と受験生のバトルは昔から延々と続いていた。
 絶対に不正をさせないように監督し,
厳正な試験を実施するのが大学の責任であり,今までは概ねそれができていたからこそ,試験への信頼感があったのだ。
 今回の事件で,この信頼感が揺らいでいる。
合格を目指し,真剣に勉強している受験生のために,大学は,試験管理の仕方を根本から見直し,絶対に不正ができないような入学試験を実施しなければならない。
 犯人捜しは警察に任せ,まずは,自分たちの責任を明確にし,
試験が厳正に実施できなかったことを,受験者に謝罪するべきだ。
 それにしても,自分たちの無能を棚に上げて,偉そうに記者会見をしている大学関係者の姿を見ると,腹が立つ。




2011.02.15
 父と息子

 長男がブログを開設したことを,ツイッターで知った。早速読んでみた。
 中学時代以降,何を考えていたのかなど,正直言って,
初めて分かったこともたくさんあった。
 親子と言っても,普段から
全て分かり合っているわけではない。全て分かりたいと思うのは親の考えで,子にしてみれば,煩わしいと思うのだろう。
 
私の父は,私が就職した年の冬に,胃がんを患い,死んだ。67歳だった。67歳というのは,私の今の年齢だ。私は父の枕元に座り,涙が流れて止まらなかった。母や兄弟達が,「そんなに思い詰めないで」と慰めてくれたが,決して思い詰めていたわけではなかった。私は悔しかったのだ。父とは,それまでろくに話をしたことなど無かった。成人して,大人としての話もしたかったのだが,そんな機会は全くなかった。こんな状態で父と別れなければならなかったことが悔しくて仕方なかったのだ。
 でも,父と息子の関係など,こんなものなのかも知れない。それもまあ良いだろう。
親など,子が必要とするときにだけ手をさしのべれば良いので,それ以上の干渉は迷惑なのだと自分に言い聞かせている。
 長男夫婦は共働きで3人の子供を育てている。手伝ってやりたいと思うときもあるのだが,遠く離れて生活しているので,それは無理な話だ。嫁も,子育てに悩んでいるときもあるようだが,声をかけるとかえって気を遣わせることにもなるので,黙って見守るだけにしている。
 私たちにはもう一人息子がいる。これは,まだ一人ものだ。はやく家庭を持ってもらいたいと思っているのだが,これこそ,本人次第のことで,親が力んでも仕方ないことなのだ。
 写真は,我が家の窓から見た雪景色(2月12日)



2011.01.11
 エコキュート

 写真は工事中のエコキュート(手前がヒートポンプ,後方が貯湯タンク)
 昨年8月に,太陽光発電の設置と同時に,エコキュートを設置した。それまでガス給湯器を使っていたのだが,設置して14年を過ぎ,定期点検で「何時壊れても不思議ではない状態」と診断されたのを契機に,オール電化にすることにした。レンジもIHレンジに交換し,我が家からガスボンベが姿を消した。
 
エコキュートは,深夜電力を使ってヒートポンプを動かし,お湯を沸かして大きな魔法瓶のようなものに貯めておくものだ。貯めたお湯を使ったり,そのお湯で水道水を加熱して使ったりする。湯を沸かしたり,使ったりするときに,水の熱膨張などを調整するために,タンクの水をオーバーフローさせ,それを排水すると説明を受けた。
 風呂に入っているときなど,
排水する音がかなり元気よく聞こえたが,そんなものかと気にも留めずにいた。ところが,偶然にオーバーフロー水を排水するパイプの継ぎ目から勢いよく水が噴き出しているのを見てしまった。これはどうしても「正常な状態」ではないと判断し,担当の営業マンに連絡して,業者に点検してもらった。
 業者は,オーバーフロー水は思ったより多いと言うことを強調していたが,排水ホースの受け口のパイプを少し延長し,あふれにくくする工事をして,このまま様子を見てと言って帰った。パイプの継ぎ目からあふれ出る水の量は殆ど変化がなかった。風呂を炊きあげた後も4〜6分くらいの間,水があふれ出る。高温差し湯をした後もほぼ同じ状態だ。あふれた水の量を計るため,洗面器でその水を受けてみたが,直ぐに満杯になりあふれ出した。
 工事担当者からメーカーに連絡が行き,
メーカーの担当者がやってきた。彼は,まず,タンクの水位を測るフロートスイッチの故障ではないかと判断し,部品を取り寄せ交換した。しかし変化は無かった。つぎに電磁バルブを取り寄せ交換した。ぴたりと止まった。
 これは,
製品の初期不良だったのだが,なかなかそれに気づかなかった。気づいても,「時々,オーバーフロ水が排出されます。」と取扱説明書に書かれているので,どこまでが正常な状態なのかを判断することができなかった。
 故障によって,水道代がよけいにかかってしまったと言ったら,後日,メーカーの担当者が,商品券を持って挨拶に来た。時間はかかったが,何とか改善されたのでこれで良しとしよう。