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 ブログ 独 り 言 2012


2012.11.30
 通知票の事前確認


  アブラツツジの紅葉 <写真と記事は関係ありません>
 2012年11月5日,横浜市教委は,7月に通知した,通知票の保護者への事前確認を求める処置を撤回した。
 
通知票は「児童,生徒指導要録」とは異なり,法令によって作成が義務づけられたものではない。極端な場合,通知票は無くてもいい。しかし,多くの学校では,「通知票」や「通信箋」「あゆみ」等の名称で,「児童生徒の学校内での活動状況を保護者に知らせる手段」として活用している。
 一般的には,児童生徒の出席状況や遅刻早退の状況,各教科の学習状況や成績,その他の活動の状況や,行動の記録などが書かれる。しかし,保護者にとっても,子供にとっても一番気になるのが「各教科の成績」だ。親も子も,これによって一喜一憂する姿は昔とあまり変わっていない。ところが,この記録が,記入ミスなどで間違っていたのならば,それは穏やかではない。
 横浜市教委は,この
記入ミスに関する保護者の指摘が相次いだことから,通知票の,出席状況や成績の一部を,事前に保護者に知らせ,確認させることを,管下の各小中学校に通知した。
 私も,長年小中学校教育に関わってきたものだが,はっきり言って,
情けないの一言に尽きる。間違ったからごめんなさいで済むものと,済まないものがある。通知票などは,最大限の注意を払って,絶対に過ちを犯さないようにしなければならないものだ。市教委の話では,成績の集計にエクセルなどの表計算ソフトを使うようになって,入力ミスなどにより誤りが増えたという。これも,全くお粗末で話にならない。
 現場の教師にも,同情するところはある。今は,かつてと違い,
テストの点数だけで機械的に評定を割り当てればいいというのではない。児童生徒の,日常の受け答え,豆テストの結果,提出物の内容等を総合して,予め立てられた目標規準に照らして「評定を」しなければならない。学期末の多忙な時期にこれだけのことを行い,ミスの無いように転記するのは確かに大変なことだ。 ミスを無くすためには最も効果的なことは,複数の目で確認することだ。ところが,分かっていても,多忙な現場ではこれが難しい。教委や校長の権限で,午後の授業をカットするなどして,その時間を確保する工夫も必要だ。



2012.11.08 
 WBC不参加


 中禅寺湖北岸遊歩道 <写真と記事は関係ありません>
  テキサス・レンジャーズのダルビッシュ 有投手が,WBCに参加しないことを表明した。私はもともと,野球にはあまり興味が無いのだが,このことでは,ダルビッシュの決断を支持したい。
 日本には,
勤勉は徳であり,休養は悪であるというような風潮がある。自分のことを顧みずに,みんなのために身を粉にして働くことが美徳であり,英気を養うためや身体のメンテナンスのためであっても,休養は「サボリ」ととられるのだ。
 私のごく身近な会社では,数年前まで,職員に
「皆勤賞」を出していた。
 
休暇を1日も取らずに勤務した職員を,社長が記念品を贈って表彰するのだ。さすがに,今は表彰しなくなったが,「滅私奉公」が美徳である考え方は今でも残っている。
 ボーナス支給時に,休暇の取得状況を調査するのだが,これを
「勤怠状況」という。休暇を取るのは「怠」なのだ。
 まだまだ,こんな考えが根強く残っている日本という社会で,休養のためにWBC不参加を発表したダルビッシュは勇気があると思うし,私は,この行動を支持したいと思う。




2012.11.06
 勘違い人間


 北戦場ヶ原に完成したユニバーサル歩道。 <写真と記事は関係ありません>
 世の中には,自分が最も偉くて,何でもできると勘違いしている人がいることは分かっていたが,田中文科相の場合は,ちょっとひどすぎる。
 世の中には,自分の存在を誇示するために,他人の迷惑を顧みずに,話題になることを創り出す人がいるが,彼女はその典型だ。官僚と対決すると言って,それまでに作り上げてきたルールをひっくり返し,周囲に大きな損害を与えても知らん顔で,自分だけいい気になっている。
 私も,日本に大学は多すぎるとは思うし,現に経営難に陥っている大学も少なくはない。大学の認可基準自体を改善する必要はあると,私も思っている。しかし,今度の場合は,やり方がむちゃくちゃだ。
 大学開設の申請は,突然に申請書を提出するわけではない。
事前に書類を提出して文科省の審査を受け,不備な部分については改善の指示を受けるのだ。これで良いだろうという内諾を得て,最終書類を提出する。大学設置・学校法人審議会の審査を経て,文科相が決定する。
 大学設置審議会の段階までOKが出ていて,大臣のところで不認可となったのだ。たしかに,認可は大臣の権限だが,たとえ大臣であっても,個人の考えで行動できる範囲には限界があると思う。
 不認可になった秋田市は,行政不服審査法に基づく行政不服審査申し立ての検討を始めたと言うが,当然のことだと思う。
 大臣は「大学設置認可の在り方を抜本的に見直す」と言っているが,これには,私も賛成だ。しかし,ルールを変えるのであれば,これから申請するものからにするべきで,従来のやり方で認可の手続きが進んでいるものは,通過させるべきだ。スポーツの試合が始まってからルールを変えるようなもので,こんなことがまかり通ってはならない。
 田中文科相は,久々の檜舞台で,「何か」をしでかしたかったのだろうが,これはルール違反だ。




2012.11.01
 奥日光のクマ騒動


 10月19日に,奥日光の戦場ヶ原で,木道を歩いていたハイカーがツキノワグマに襲われ,怪我をするという事故が起きた。いろいろな情報を総合すると,実際の事故内容は
 1.事故の地点は,赤沼分岐から,戦場ヶ原方面に,木道を300m程進んだ地点。
 2.事故当時,被害者は一人で木道を歩いていた。
 3.事故の状況は,突然湯川にいた鴨が10羽程飛び立ち,被害者が,何事かと顔を向けると,対岸から湯川を横断してクマが走ってきた。被害者が驚いて転倒したところをのし掛かられ噛まれた。
 4 当時,被害者は,クマよけ鈴はつけていなかった。
と言うことだった。なお,このクマと思われる2頭の雄グマは,猟友会によって
駆除された。
 奥日光は,
クマの生息域であり,私も,奥日光を歩くときは,常にクマのことを気にかけながら歩いている。しかし,休日の日中など,多くのハイカーで賑わっているときには,クマに遭遇することはないと考え,クマ除け鈴は付けていない。このことはそれで良いと思っているが,問題は,天気の悪い平日などで,特に早朝や夕方などは,クマに遭遇する危険はかなり高くなる。
 私が山歩きをするのは主に休日なので,クマに遭遇したことは今までに数回しかない。しかし,奥日光山域ではクマに遭遇した経験はない。
 私は,早朝に人の少ない山道を歩くときなどには,
クマ鈴をストックに取り付け,意図的に鈴を鳴らしながら歩いている。もともと臆病な私なので,鈴を鳴らしていても,実はびくびくしながら歩いているのである。
 一般的に言えば,クマは人を怖がり,人の姿を確認すれば,逃げる行動を取ると言われている。人とクマとの距離には,
「安全距離」と言うものがあり,これを守ってさえいれば安全とされている。ところが,お互いの不注意で,この安全距離を越えて近づいてしまった場合などに,クマは自分を守るために人を襲うとされている。但し,子クマを連れた親クマなどの場合は,子クマを守るために,かなり離れたところからも人を襲うことがある。
 
ツキノワグマは比較的おとなしいクマなので,安全距離を犯さないように注意すれば,襲われる危険は殆ど無い。この,出会い頭の遭遇を回避するために,「クマ鈴」などの音の出るものは有効だとされている。クマは聴覚が優れているという。
 先の戦場ヶ原のクマでは,一般的な行動とは違う行動を取っている。一般的には,15m〜20m離れた対岸で人を見つけたクマは,人から遠ざかる行動をとると思われているのだが,このクマは,逆に,川を渡って人に近づいて来た。理由としては,近くに子クマがいたために子クマを守るために人を襲ったのか,あるいは,人慣れし,人を怖がらないようになったクマだったのかもしれない。
人を恐れないクマは,これからも人を襲うことが考えられるので,そんなこともあって駆除されたのだろうと考える。
 
ツキノワグマの仲間は,東アジアに広く分布している。日本にいるのは,「ニホンツキノワグマ」で,その数は徐々に減少しており,いずれは絶滅するだろうと思われている。現に,九州では絶滅が宣言された。いたずらに排除するのではなく,人との共存も考えていく必要があるだろう。ツキノワグマは,棲み分けさえできれば,人との共存が可能な動物なのだ。



2012.10.17
 長距離ドライブ


 明石海峡大橋(2012.10.05)

 私は,車を運転するのが好きだ。長距離運転もさほど苦にならない。昨年は,九州を車で回ってきたし,今年は四国に行った。九州では,帰路に一部分フェリーを使ったが,11日間で走行距離は3577km。今回の四国旅行では,8日間で走行距離が2676kmだった。
 私は,
運転中は殆ど飲み食いはしない。助手席にいる妻が気を遣って声をかけてくれるのだが,よほど喉が渇いているか,お腹がすいていない限り,断っている。それは,運転中には,運転に集中したいからだ。運転中に飲み食いしたりすると,気が散るだけでなく,結局疲れが増すのだ。その分,SA等で休んだときには,しっかりと飲み食いするようにしている。
 
一度だけ居眠り運転をしたことがある。2005年の北海道旅行のときだ。弟子屈から清里に向かって,釧路本線に並行して走る直線道路がある。眠さは感じていたのだが,なんとか我慢できると思っていた。ところが,一瞬,意識がとぎれた。ハッと気づくと,センターラインをまたいで走っている。これはまずいと思い,すぐに路肩に車を停めた。さいわい,対向車がいなかったから事故にならなかったが,極めて危険な状態だった。目をつむっていたのはほんの一瞬だったように思うが,眠っていたのだから,長さなど分かるはずがない。本当に眠い時間は数分から10分程度の間である。この時間を乗り切れば,あとは眠くならない。このときも,何とか我慢してこの時間を乗り切ろうとしたのだ。それからは,無理をせずに,眠くなったら車を停めて休むことにしている。
 運転中の疲労は,運転する車の性能・性質にも影響される。今回運転した車は,
「SUBARU LEGACY OUTBACK 2.5i EyeSight」 この車は,セダンスタイルを残したSUVで,重心の低さによって,抜群の安定性を生んでいる。特に高速走行でのレーンチェンジのスムースさは,以前に乗っていたSUV(TOYOTA HARRIER 2.4G)と比べてもその違いがはっきりと分かる。また,「EyeSight」による「全車速追従機能付きクルーズドコントロール」は,高速道路での運転をしやすくした。混雑していなければ,アクセルペダルから足を離した運転ができる。
 この車のおかげで,長距離ドライブの楽しさが増した。




2012.09.13
 日本維新の会の旗揚げ


 橋下大阪市長を代表者とする「日本維新の会」が旗揚げをした。マニュフェストとなる「維新八策」を詳細に読んだわけではないのだが,本当に期待できるのかどうか疑問を感じている。
 このブログでは政治的な主張はしないことにしているので,その方針に反しない範囲で意見を言いたいと思う。
 選挙に勝つためには,より多くの国民から指示を受ける必要がある。そのために,
大衆受けのする,できそうにないことを公約に掲げ,結果的に選挙に勝った政党もあった。しかし,いざ政権を取ってみると,予想していない問題に直面し,公約を果たせない状況になってしまった。
 大衆受けのする政策を掲げることは簡単だが,それをどのような筋道で実現するかを明らかにしない限り,政権公約とは言えない。
「方針を決めるのが政治家であり,具体的なタイムテーブルを作るのは官僚だ」ではあまりにも無責任すぎる。
 政治には,外交,防衛,経済,教育など,高度で複雑な内容がたくさんある。経済に関する内容などは,他の全ての内容に影響を持つ極めて複雑高度な内容なので,それを専門に学んだ「専門家」でないと分からないことがたくさんある。生半可な知識では正しい判断などできるわけがない。
 選挙に勝つためには,候補者の
「知名度」は重要だ。だから,有名スポーツ選手や,有名芸能人などに白羽の矢が立ち,「有名」ということだけ(ではないと信じたいが)で当選し,国会議員になる。そのような議員の中には,活躍している議員も居るが,むしろその方が少数派だ。
 また,「日本維新の会」のように
「立候補者の募集」をしている政党は多い。もちろんそれなりの識見を持った人もいるだろうが,多くの立候補者を揃えるためには,全てがそうだとは言えない。中には素人に近い人も含まれてしまうのが現状だ。
 政治のそれぞれの分野で,スペシャリストは絶対に必要である。しかし,全体を見据えて統括し調整する力が,政治家には欠かすことができない。やはり,「政治家」は教育し,育てていく必要がある。「議員になってから勉強」では遅すぎる。
 今まで,「素人大臣」でも何とかやってこられたのは,官僚がしっかりしていたからであり,官僚と政治家は持ちつ持たれつの関係だった。ところが,「官僚は,政治家の指示通りに動けばいい」と言うことになり,政治家の権限が強くなったとき,「素人政治家」が,はたしてその責任を全うできるのだろうか。はなはだ心配である。




2012.08.26
 EOS-50Dの破損


 ハワイ旅行からの帰途,肩にかけていたEOS-50Dを落としてしまい,モニター液晶のガラスにひびが入ってしまった。
 早速修理することにして,キャノンのホームページから修理の申し込みをした。すぐに返事メールが来て,修理できない場合には送り返すと言うことを了承した上で,送ってくれという。いずれにしても修理はしなければならないから,小さな段ボール箱を見つけ,プチプチシートで包み,8月2日,修理センターへ送った。
 一方,私の入っている
自動車保険には,「降りても特約」というものを付加している。これは,自動車で出かけたとき,出かけた先で起きた事故について補償をするというものだ。怪我などは勿論だが,持って行った身の回り品の破損なども補償するという。今回初めてだが,この手続きもすることにした。
 保険会社のホームページから
「事故報告」を送信したら,折り返し担当者から電話があり,事故の概要を訪ねられた上で,書類を送るから,必要事項を記入して送り返して欲しいという。支払い請求書の他に,破損の状態を示した写真を2〜3枚,修理の明細書と見積書,保証書のコピー等を送れと言う。見積はメールでやりとりしたので,正式なものが手元になかったため,修理完了後に支払った修理費の領収書を送ることにした。
 8月18日修理が完了して,修理代を代引きにした宅配便で送られてきた。修理代は
8,820円で,予想していた金額より安かった。
 8月22日,書類を整えて,保険会社に送付。24日には,修理代を振り込んだ旨の書類が届き,この件は終了した。なお,この特約には免責が5,000円あり,振り込まれた金額は3,320円だった。書類が大がかりだった割には,金額は僅かだが,貴重な経験をした。




2012.08.17
 オリンピック


 日立のCMで有名になったMoanalua Gardens にある。「この木何の木」の木

 今年の夏はことさらに暑さを感じる。年齢のせいもあるのだろうが,暑さに抵抗するだけで,体力と気力を消耗し,何かをしようとする意欲が湧かない。
 他にすることもないから,
オリンピックのTV放送は良く見た。寝不足と言っても,もともとあまりよく寝られる方ではないから,通常とあまり変わらない。
 オリンピックというと,
メダルの数が話題になるが,私は数そのものにはあまり興味がない,というか,数を云々しても意味がないと思うのだ。オリンピックの種目にはいろいろあるが,その競技を運営するのは,その競技団体だ。オリンピックの運営本部は,全体的な統括をするだけで,個々の競技の運営はその競技団体に任されている。体操競技で,審判に抗議をするには現金を供託するという話など,初めて知ったが,それがオリンピックの競技なのだ。したがって,競技に参加する選手の置かれた状況は千差万別だ。恵まれた環境の選手もいれば,その逆もいる。
 柔道は,男子に金メダルがないと言うことで,マスコミからの総攻撃を受けているが,
金メダルを目標にするならばそのような柔道をしなければならないだろう。私のような部外者が見ても,技を競ったかつての「柔道」は姿を消してしまった。力と体重で相手をねじ伏せる「JUDO」が世界の主流になっている。柔道着の襟と袖を持つ基本の組み手を嫌い,組まずに,レスリングのようなタックル擬きで技を仕掛ける柔道が世界では普通になっている。まあ,「国際化」とはこんなものなのだと,納得するしかない。他のスポーツでも,世界的に広まった種目が,もともとの形がどれほど残っているかを考えると,皆同じ様なものだと思われるからだ。
 柔道で,オリンピックや世界選手権で勝利し,日本が世界のリーダーでいるための方法には,二通りあると思う。一つは,徹底的に技を生かした戦いができるように,
ルールを改正すること。必ず組んでスタートすることなども良いかもしれない。でも,これは,力のJUDOを推し進めているロシアを始め,日本以外の国では大反対だろうから,実現の見込みはない。とすれば,残りの方法は,一本勝ちなど技の美しさなどにこだわらず,勝てる柔道に徹することだ。相撲やレスリングの技を取り入れ,ポイントを積み重ねて勝つJUDOに徹するしかないだろう。
 でも,私個人としては,勝てなくても良いから,技のキレや美しさ,一本勝ちにこだわった柔道を貫いてもらいたいという思いはある。




2012.07.20
 中学生と尾瀬



 23日から2泊3日で,中学生をガイドして尾瀬に行く
 大半の生徒が尾瀬は初めてだし,まして,山小屋に泊まることは,かなりの
カルチャーショックになることは確実だ。
 尾瀬の山小屋は,他の地区の山小屋に比較すれば,まだ良い方なのだが,石けんやシャンプーがつかえない生活は,生徒たちにとっておそらく初体験だろう。当然,不平不満が出ることは間違いないが,単に「我慢」を強いるのではなく,なぜその様にしなければならないのかを理解させることで,人間生活と,自然との関わりについて考えさせたいと思っている。
 先日,1時間かけて,事前指導を行った。尾瀬の成り立ちや,自然環境について話をし,尾瀬の自然を守るために活動した平野長蔵やその孫の平野長靖についてもふれた。山歩きのマナーや,山小屋の生活について話をする中で,トイレの問題,生活排水の問題をも紹介した。
 不自由な山小屋の生活を体験することで,我々の快適な日常生活が,実は,環境に対しては大きな負荷をかけているのだということに気づいてもらいたいのだ。




2012.07.11
 88-73


  今度買った車も,ナンバーを「88−73」にした。
 「88−73」の意味を知る人はあまり居ないだろうが,私にとっては特別の思いのこもったナンバーなのだ。
 
アマチュア無線で交信を終了するとき,通信の終了符号として送信するのが,88であり73なのだ。相手が男性の場合は73を,女性の場合は88を送る。電信の場合は,88は「−−−・・ −−−・・」73は「−−・・・ ・・・−−」となり,電話の場合は「セブンティースリー」とか「エイティエイト」となる。
 アマチュア無線を楽しむ人の数は,携帯電話とインターネットの普及とともに減少し,現在では最盛期の3分の1以下になっていると言うが,私が無線に興味を持ち始めた頃は,最先端の科学技術を自分で操作できるという,まさに
「趣味の王様 King of Hobby」だった。私の無線への興味に影響を与えたのは3歳上の兄の存在と,電気関係の会社に勤めていた従兄弟の存在だった。
 1957年にソ連が打ち上げた人工衛星
スプートニクから発射された電波を,その従兄弟の家で,アマチュア無線用の受信機で受け,ピー,ピー,ピーと0.3秒ごとに点滅する音を聞いて感激したのは,私が中学2年生のときだった。
 私が初めて
アマチュア無線技師の試験を受けたのは,高校2年生になる春休みだった。試験会場は,東京の「中野無線」。兄と二人で受験したが,この時は二人とも不合格。当時は,アマチュア無線技師の試験は4月と10月の年2回でいずれも平日に実施された。
 2回目の挑戦はその年の10月。4月の試験は春休みということで問題はなかったのだが,10月の試験は,授業のある日。高校の担任に話をして許可をもらって受験した。この時の会場は鎌田の
「日本工学院」。二人とも合格して,「電話級アマチュア無線技師」の免許証をもらった。試験は,「電波法」「無線工学」の2科目。いずれも,問題がプリントされた紙と,「郵政省」と書かれた罫紙が数枚配られた。回答は全て記述式で,その罫紙に書くのだった。それまでは学校の入試を含め,殆どの試験が○×式だったので新鮮だったとともに,ある種の優越感を感じたものだった。
 アマチュア無線局を開局するためには,
無線機が必要だったが,我が家にはそんな余裕はなかった。そこで,兄と二人で夏休みのアルバイトをしてお金を貯めることにした。兄は,大学の林学科に在籍し,測量の技術を持っていたので,山奥で測量の仕事をすることにした。私はポール持ちなど,測量の助手を務めた。鬼怒川上流の門森沢にあった崩れかけた見張り小屋に25日間寝泊まりして,支流の横断面・縦断面の測量をした。実は,この経験が,今の私の山好きの原点になっている。
 アルバイトで稼いだお金でも,既製の無線機を買うには足りなかったし,最初から
無線機は自作しようと考えていたから,さっそく無線機の製作に取りかかった。兄はいろいろな雑誌から情報を集め,配線図を書き,部品を集めた。私は,兄のすることを黙って見守るだけだったが,このときの経験が,後で自分が器械を作るときに非常に役に立った。
 そのころの雑誌
「CQHamradio」「無線と実験」には,ときどき「88−73」と言うプレートをつけた自動車が紹介されていた。「モービルハム」というものだと知った。当時,自家用車などには縁がなく,将来に自家用車が持てるようになるとも思っていなかったから,「88−73」は単なる憧れとして眺めていた。
 日本の経済成長のおかげで,自分も車を持てるようになり,無線機も取り付けた。あまり運用はしていないが,局免許だけは更新しており,電波を出せる状態にはなっている。前回,車を買い換えるに当たって,思い切って88−73のナンバーを付けることにした。こそばゆい感じがしないでもないが,やはり嬉しかった。
 今回買い換えた,生涯最後の車になる予定の車にも「88−73」を付けた。



2012.07.10
 いじめ裁判


 自殺した子の両親が訴えていた裁判で,いじめが自殺の原因であるとは言えないとして,両親の訴えを退けた。殆どのマスコミは両親のサイドに立った報道を続けている。そのことに関する感想も含めて,思うところを書いてみたい。
 いじめに関した裁判は,その事実を証明することが難しく,
「疑わしきは罰せず」の原則に従えば,被害者側の納得できない判決になることが少なくない。マスコミは,学校や行政の対応を批判することも多く,特に,学校側の「隠蔽体質」を批判することが多い。
 あるTVの報道番組で,コメンテイターが
「学校で起こったいじめなどの問題で,警察の捜査や,裁判というのはなじまない。本来ならば,学校が独自に解決すべき問題で,学校にその力がないから,警察や裁判になるのだ。」と言っていた。もっともだと思う面もあるが,現実を無視した本質論をいくら述べても,問題の解決にはならない。
 いじめにもいろいろあるが,
暴力や恐喝などの行為を含む場合は,まだ調べやすいし,実証もしやすい。問題なのは,言葉などによる精神的ないじめだ。大人の世界でも,暴力や恐喝などの犯罪は取り締まれるが,職場におけるセクハラやパワハラなどの精神的ないじめは無くすることは難しい。
 学校内で問題が起きたとき,教師には
捜査する権限や,取り調べする権限は与えられていない。生徒から話を聞いたり,アンケート調査をすることぐらいしかできない。話の内容やアンケート結果を解釈するときには教師としての専門性が活かせるが,ここに表れてくるのは事実のほんの一部でしかない。やはり,捜査のプロである警察の力は事実の解明には絶対に必要なことだ。
 以前は,校内で起こった事件に警察の力を借りるのは
教育者として恥だという考えが支配的だったが,それぞれの専門性を生かして連携して事実の解明に当たることの方がはるかに重要なことである。
 教師と児童生徒との心の繋がりは,授業の成立する最も重要な要因であると同時に,児童生徒の精神的な成長を教師がサポートする際にも欠くことのできない要因である。しかし,近年,
この心の繋がりが希薄になってきている。これは,学校や教師に問題がある場合も無いとは言えないが,主な原因は,人間関係の希薄化が,社会全体の傾向として進んでいることだ。
 いつものことだが,TVなどマスコミの態度には腹が立つことが多い。視聴率を気にするあまりなのか,
大衆受けをねらう報道が多く,理由もなく行政や警察,学校を批判し,建設的なコメントなど全くない。「嫌ならば見なければいいだろう」と言われるが,そんな単純な問題ではない。政治家の批判も同じで,記者会見のときなど,礼儀も知らずに詰め寄る若い記者の姿を見ると,これが日本のトップジャーナリストなのかと情けなくなる。
 願わくば,
マスコミ関係者には,もう少し勉強して欲しい。学校といえども,大都市と田舎では全く違うし,同じ地域にある学校でも,学校によって驚くほどに違うこともある。簡単に「学校では・・」とか「日本の学校では・・」とか言って欲しくない。



2012.06.23 
 新車購入


 60歳定年退職後に再就職した今の仕事も今年で9年目になる。少しは身体が動くうちに自由な時間が欲しいと思い,10年を区切りとして退職しようと考えた。
 退職すれば,僅かだが勤め先からの給料もなくなり,
100%年金生活になる。そうなると,高額な支出はできなくなるから,退職を機に,車を買い替えようと考えた。僅かだが退職金も出るので,購入の足しにもなるはずだった。ところが,突然に退職金が支給されることになった。
 今年度から,再雇用者は
非正規職員となり退職金が出なくなる。私たちは,この3月で退職したものと見なされ,退職金が精算された。折から,エコカー購入時に出る「エコカー補助金」の予算が7月中には底を突きそうだという予想が発表された。補助金の10万円は大きい。そこで,時期を早め,購入することにした。
 私の年齢から考えても,車を運転できるのはあと10年程度だろう。ということは,今度買う車が,
生涯最後の車になる。やりくりを続けてきた妻には申し訳ないが,少しだけ贅沢をさせてもらうことにした。
 車選びの第一条件は,
4WDであること。私は冬の奥日光が大好きで,凍結したいろは坂を登る機会は今後も少なからずあるから,これは,はずせない条件だ。
 燃費は良いに越したことはない。
HVも長期間で考えると,魅力的だ。ただ,4WDのHVはまだ僅かしか販売されていない。
 長距離のドライブが好きで車中泊も楽しみにしている。妻と私の二人が,ゆっくりと寝られる場所がとれるかも条件になる。
 ということで,色々考えたが,結局,トヨタの
エスティマHVと,スバルのアウトバックの2つに絞って比較検討した。
 
エスティマHVは値段は高いが,HVと言うことと,室内空間の広さが魅力だ。ところが,実際に販売店に行って実車を見たところ,どうもしっくり来なかった。3列シートで室内は広いのだが,作りのコンセプトが,私の求めているものと違っているのだ。7〜8人乗りで快適に移動するための工夫はたくさんなされているが,「車中泊」となると,意外と使いにくいのだ。快適に車中泊をするためには,かなりの改造が必要になってくる。
 
アウトバックは,現在,4年前に購入した,モデルチェンジ前の車を乗っており,動力性能,走行性能には120%満足している。後席を倒せば,小柄の私には十分過ぎる長さと,二人で寝るには十分な幅の寝室が現れる。ただ,寝室の天井が低く,頭がつかえることが不満だった。モデルチェンジされたアウトバックは,全高が6cm高くなり,室内高も4cm高くなった。実際に座ってみたところ,十分とは言えないが,かなり改善されていた。 ドアも,旧モデルではサッシュレスのフルオープンタイプだったが,新モデルでは,オーソドックスなサッシュ式に変更になっていた。車中泊では,ドアガラスに,目隠しをしたり,防虫ネットを張ったりするが,この時にサッシュレスではそれがうまく取り付かないのだ。
 ということで,
OUTBACK 2.5i EyeSight を購入することにした。 EyeSightは特に必要とは思わなかったが,今回Ver2となって使い良くなったと言うことなので,入れることにした。

 6月23日,新車が届いた。以前の車より一回り大きくなったのだが,濃い色のためか,大きくは感じない。
早速,オリジナルの安っぽいスピーカーを,少しはましなものに交換。デッドニングも済ませて,準備OK。




2012.06.19
 クリンソウ狂想曲



 奥日光千手ヶ浜のクリンソウを目当てに来る観光客で,休日の奥日光は大混雑だ。足に自信のある人は,菖蒲が浜から遊歩道を通って千手ヶ浜まで行くが,クリンソウ観光客の多くは,赤沼駐車場から千手ヶ浜までを,低公害バスで往復する。そのため,低公害バスは満員で,最高2時間待ちと言うこともあるという。それほどまでに人気のあるクリンソウとはどんなものなのか。
 もともと,
千手ヶ浜にクリンソウの群落はなかった。クリンソウは,日本の湿潤な山間地に自生するが,千手ヶ浜にもともと自生していたかどうかははっきりしない。無かったという記録はないが,あったという記録もない。少なくとも群生はしていなかった
 千手ヶ浜でオートキャンプ場を開設していた
I氏は,市道通行制限に伴う廃業の条件として,その跡地を借り受けることになった。I氏は,夏期だけ千手ヶ浜に住みクリンソウを植えて育てた。数年かけて,栽培面積を増やし,シカの食害から守って群生地を広めていった。人工的な色彩が濃く,群生地というよりは花壇と言った方が良いかもしれない。
 最近,花壇からこぼれた種子が,ハイカーの身体で運ばれ,ハイキング道まで広がっている。となると,
在来植物との競合が発生し,在来種の駆逐にも繋がりかねない。環境省でも注意して見守っているという。
 
クリンソウは日本に自生するサクラソウの仲間では最も大きく,花も豪華で見栄えがする。そのため,花壇にも植えられ,園芸品種として品種改良も行われている。私も,八ヶ岳で見たクリンソウには感激したし,本沢温泉で食べたクリンソウの葉のテンプラは美味しかった。もし,クリンソウが奥日光で植生を乱す悪者になってしまったら悲しいことだ。そうならないためにも,管理をきちんとしなければならない。
 クリンソウが
奥日光の観光資源として重要な位置を占めていることは事実で,奥日光の旅館のパンフレットには必ずと言っていいほど千手ヶ浜のクリンソウが紹介されている。でも,この時期は,戦場ヶ原も一面のワタスゲ満開のズミで,一年中で最も華やかな時期を迎える。赤沼駐車場が満杯になるほどの人が来ているのに,戦場ヶ原に足を向ける人は意外なほど少ない。残念なことだ。これも,風評に流されやすい日本人の特性なのか。



2012.06.11
 CWX


 私がCWXを初めて履いたのは2004年の夏だった。私はそれまで,「機能性タイツ」なるものをあまり信用していなかった。
 2004年の6月に,ちぃにぃさんと一緒に女峰山に登ったとき,ちぃにぃさんが,CWXを履いており,「人によって相性はあるだろうが,私には合っている」といって紹介してくれた。
 それまでの山歩きでは,長時間の山歩きで,膝や腰が痛くなることがあった。ある程度は仕方ないことなのかと諦めていたのだが,それが改善されるのならば嬉しいことだった。半信半疑だったが,私にすればかなり高価なものを購入することにした。
 初めて履いた山行は,その年7月末の
燕-常念だった。3日間で22km超,累積標高±2600mを歩いたが,膝や腰の痛みは出なかった。履き心地も特に違和感はなく,それ以来,きつい山歩きには必ず着用するようになった。
 冬季や残雪期には冬用のズボンを履いており,CWXは履かなかったのだが,社山に登った帰路や,尾瀬沼の帰路などに膝や腰の痛みが出るようになった。これも,CWXを履くことで解消した。
 2010年,6年も履いていると,さすがに伸びが目立ってきたので,買い換えることにした。CWXも進化しており,継ぎ目のない
エボリューションモデルを購入した。
 今年の5月20日,奥日光の
大岳に登った下山時,ブッシュに引っかけて,CWXを破いてしまった。ブッシュを歩くのに,タイツを履いた足をむき出しにして歩いたこと自体が間違いだったのだが,今まで破れたことがなかったので,過信していた。事実,CWXは驚くほど頑丈だ。ブッシュを歩いて,タイツの中の足にひっかき傷を作り,血が出てきても,CWXは破れなかった。この時も,シャクナゲの枝に引っかかったのだが,強引に引っぱってしまい,さすがにパチッと音がして,裂けてしまった。

 修理をしてもらおうと,ワコールのお客様センターにメールを出す(5月20日)と,直ぐに返事が来た。(5月21日)「破れの状態を見てみないと修理可能かどうか分からないが,修理可能ならば無償で修理します。送料着払いで送って下さい。」早速(5月22日)送料着払いで送った。5月23日,「修理できるので修理します。少し時間を下さい。」と返事が来た。そして,6月8日,修理が完了して送られてきた。

 丁寧に修理されており,できあがりにも十分満足。何よりも,無償修理というのは,自社の製品に対してよほどの自信がない限りできないことで,さすがワコールだ。お客様センターで担当された向井さんの対応もすばらしく,ワコール製品がますます好きになった。



2012.03.13
 学校の役割


 学習塾などの受験産業の台頭に伴い,学校への批判が高まっているが,「そうじゃないだろう」と思いながら,何をどう反論したらいいのか分からないでいた。
 ネットの中に,以下のような論文を見つけ,私のもやもやがいっぺんに解消したので転載する。(原文のまま)

YOMIURI ONLINE;教育×WASEDA ONLINE 公教育と私教育を区別して論じよ!

安彦 忠彦/早稲田大学教育・総合科学学術院教授

 第二次世界大戦後の日本では、戦後日本を復興させるために、国民も政府も、憲法と旧教育基本法による新しい日本の国づくりに邁進した。その間は「教育」に対して、社会的に高い価値を置く空気があった。しかし、平成に入って、とくに小泉元首相による義務教育費国庫負担法の改正に始まる教育改革以後、「教育」は単に一般の社会問題の一つとして、あたかも政治や経済と同じように「公私」の区別なく論じられ、「学校教育」は一面的な評価を受けることとなった。実は「教育」には「公私」があるのであり、そのことの重要性に気づいている人は少ない。
 あらためて、「教育」について常識的なことから明確にしておこう。筆者は一昨年、『「教育」の常識・非常識−公教育と私教育をめぐって−』(学文社)を刊行して、最近の教育論議がいかに非常識なものかを論じた。まず「教育」には、先進国と同様、現在の日本では「公教育」と「私教育」の二つがあることを明確に認識する必要がある。「私教育」とは大人が自分や関係する子弟に対して自由に行っているもので、家庭教育・地域社会の教育・企業内教育・塾や予備校などの教育がそれである。「私教育」には吉田松陰の松下村塾のような、時代を越える教育を行える面もある。これらは、人間のどんな社会にも見られる、日常的で非公式のinformal教育である。しかし、近代になって、その一部を国や地方自治体などの公権力が切り取り、国家的な見地から、政治的・経済的・社会的な要請をもとにして、意図的・計画的・組織的な教育を行うようになる。これが「公教育formal education」である。その典型が公立の学校教育であるが、私立学校も、日本では、専門学校などの各種学校は別として、基本的に公立学校に準じている。
 ところで、かつて小泉元首相は、公立学校と予備校・進学塾とを同等・同種のものとして横に並べ、保護者をユーザーと見なしてどちらを選ぶかと問い、予備校や進学塾の教育の方がよいと言わんばかりに、公立学校とその教師をバッシングした。いわゆる「新自由主義」政策として「市場原理による競争」を必要なものとし、「ユーザーの声に従うべきサービス」として「教育」をとらえる見方を政治的に宣伝した。そんな流れの中で、2006年に「高校の未履修問題」が起きたとき、本来の必修教科を教えず、代わりに受験のための教科を秘密裏に教える学校が明るみに出て問題となり、文部科学省は、問題を起こした学校の責任者や教育委員会関係者を呼んでヒアリングをしたことがある。その時、当該の教育委員会・学校関係者の中に、「保護者が求めていたことをやったまでで、どこが悪いのか」と反問する者がいた。まさにユーザーの言うことを聞いただけで、自分たちは悪くないというわけである。しかし、そこで筆者は、「それではあなた方は、保護者が子どもたちに『泥棒の仕方を教えてくれ』と求めてきたら教えるのですか?」と尋ねたら、答えに窮していた。つまり、「公教育」は「私的な」ユーザー主義で行うことはできないということである。
 とくに「公教育」については、@国民として最低限の共通教養を子どもに身に付けさせること、A個々の家庭や保護者の経済的・社会的条件に左右されることなく、子どもの能力を最大限に伸長させるために平等な機会を与えること、この二つがその目的として期待されている。そのために「公教育」においては、保護者や予備校などが行う「私教育」のように、自由勝手な教育を行うことはできない。「公教育」学校はみな、日本の場合、教育基本法、学校教育法、同施行規則、学習指導要領等の法令等によってその活動を制限されている。
 ところが、今や、予備校や進学塾などの「教育産業」が標榜してきた、「私教育」的要請の一つである「大学・高校への進学保障」を、「公教育」学校という「教育機関」にまで求める動きが拡大し、現在では教育委員会までも、高校に対して、予備校と同様な大学進学の目標や実績を保護者に提示させて、あたかもそれが本来の高校の使命であるかのように振る舞わせる傾向にある。高校は、上記@Aの目的の下に、「自立への準備」と「個性の伸長」を保障する教育を行うことが求められているのに、ただ「大学への進学準備教育」を優先的に行うことを強いられている。その結果、大学入試には強いけれども、自立への準備も個性の伸長も経験していない、未熟な若者が年々増えてきている。
 早稲田大学の最近の学生を見ていて思うことは、これからの社会には、自立を意識していないため社会的信用が得られず、また自分の能力や個性に自信はないが、生き抜くために表裏のある言動をする小賢しい若者が増えていく気がする。今の日本は、「教育の公私の区別」をつけ、両者のあるべき相互関係を築き直すべき、重大な岐路に立っていると言えよう。


安彦 忠彦(あびこ・ただひこ)/早稲田大学教育・総合科学学術院教授
【略歴】
東京大学教育学部卒業。同大学院を経て、大阪大学、愛知教育大学、名古屋大学に勤務。その間、名古屋大学附属中・高校長、同大学院教育発達科学研究科長兼教育学部長を歴任。カリキュラム学・教育課程論(主に中等)を中心に、教育方法、教育評価を専門とする。第3〜6期中央教育審議会委員。日本カリキュラム学会代表理事、日本教育方法学会理事、日本教育技術学会理事などを歴任。名古屋大学名誉教授。博士(教育学)。



2012.02.29
 エルピーダメモリ


  経営再建中の半導体大手,エルピーダメモリは27日,東京地裁に会社更生法の適用を申請した。昨年末時点の負債総額は約4800億円という。
 コンピュータのメモリーは,
日本のお家芸といわれるくらいの得意分野だったのだが,徐々に,台湾,韓国などのアジア各国の追い上げを受けて,経営は厳しくなってきた。
 そこで,この状態を打破するために,国内大手の
NECと日立製作所のDRAM事業部門が統合し,2000年に設立したのが,エルピーダメモリだ。しかし,DRAM価格の下落と歴史的な円高の影響で,ついに倒産に至った。
 私がコンピュータと出会った1968年頃は,内部メモリーは
コアメモリーだった。微小なドーナツ型のトロイダルコアを磁化させ,その磁化の向きでON・OFFを記憶させるのもで,1個のコアに1ビットを記憶させた。記憶を保持する電力が要らないという利点はあったのだが,当然,小型化には限界があり,後に開発された半導体メモリーに取って代わられた。最初に私が出会った4億円もするという大型コンピュータは,メインメモリはたしか131キロバイトだったと記憶している。
  1981年に発売され,大人気だったNECの
PC8001はメインメモリーは64キロバイト。他にビデオメモリーが48キロバイト。同年に発売され私も飛びついて購入したPC6001はメモリーが16キロバイト。現在市販されているパソコンのメモリーは,メガバイトを通り越してギガバイトの単位になっている。
 1983年に職場に
OKI-if800 model50が入り,ワープロとして文書作成に用いた。それまで16ピンが主だった漢字プリンターが24ピンになり,明朝体のきれいな漢字が使え,喜んだ。漢字フォントは第一水準のみROMで提供され,第二水準はオプションで用意されていた。大きなボード1枚にたくさんのICが装着され,容量は1メガバイトだった。
 当時,漢字フォントを記憶させるための大容量ROMの開発が急がれ,
そのために日本の半導体メモリー技術が進歩したと言われた。
 現在,DRAMの大容量化と小型化は極限に近くまで進み,数ギガバイトのメモリーが,スマートフォンなどの体内に組み込まれている。昔を知るものにとっては感慨もひとしおだ。




2012.02.27
 シンビジウム


 我が家の茶の間でシンビジウムが咲いた。
 シンビジウムは
洋蘭の中でも比較的育てやすい花で,素人でも花を咲かせることができる。
 本格的には,夏の陽射しを調節するための遮光ネットや,加温のできる温室が必要だが,そんなものが無くても,花を咲かせることはできる。
 花は家の中で楽しみ,花が終わった後,株分けをして,戸外に出す。
 夏の陽射しは強すぎるので,寒冷紗をかける必要があるのだが,その代用として,夏の間だけ,庭の柿の木の下に置くことで陽射しを弱めた。
 霜が降りる頃までそのままにしておき,家の中に取り込む。この時に,花芽が確認できない株は,残念ながら花は咲かない。
 鉢は窓際に置き,水やりだけ忘れないようにしておけば,花茎は成長して花を咲かせる。
 肥料は,戸外に置いておくときだけ,油かすのペレットを数個,水苔の植に置いておく。家の中に取り込んだら,肥料はやらない。
 我が家でも,最盛期には10鉢以上を育てていたが,今は大半を処分してしまい,今年花を咲かせたのはこの鉢だけだ。




2012.02.24
 小中学生留年


 大阪市の橋下市長,独特の価値観で,自分の気に入らないことをバッタバッタ切り倒している。ある意味で痛快でもあるのだが,最近,ちょっといい気になっているのではないか。
 橋下市長は,22日の市教育委員との意見交換会で
 
「年齢で一律に進級するのはおかしい。分からない授業を聞く苦痛から解放してあげるのが子供のためだ」
と主張。留年や一定レベルに達しない教科の授業だけを下の学年と一緒に受ける方法などを提案した。しかし,教育委員からは
「劣等感を与える」「同じ学年と一緒にいるメリットも議論すべきだ」など懐疑的な声が相次いだ。そのため,代わって,一定地域ごとに,空き校舎などを利用して習熟度の低い児童生徒を集め,数週間程度集中的に補習を受けさせる特別学校の制度化を提案した。
 一見,もっともな意見だが,何をもって
「学力」と捕らえるのかを含め,児童心理や子供の発達心理などを無視した,極めて偏った意見と言わざるを得ない。
 こういった意見は,往々にして
「頭の良い人」の考える理論で,「できない子の心理」など全く分かっていない。
 一般に,リーダーとなる人は,子供の頃から頭が良く,
「できる子」の道を歩いてきた人が多い。しかし,このことが問題なのではなく,「できる子」の理論で,全てを推し量ろうとすることが問題なのだ。
 自分の意見に絶対的な自信を持ち,対立する意見に耳を貸そうとしないことが「力」であり,それを強引に進めることが「改革」だと誤解しているのではないか。
 授業で,分からない子をそのままにせずに,分かるように指導することが大切なので,そのための時間や方法を確保する体制を作ることが行政の仕事だと思う。




2012.01.19
 東大秋入学


 東大が5年後からの秋入学を目指して検討している(一部報道では決定した)という。国際化のためというが,ほんとうに学生のためを考えているのだろうか。留学や帰国に伴う就学がスムーズに行くためと言うが,ほんとうにそうなるのか。一斉に9月入学となれば,4月入学3月卒業というシステムの高校や他の大学との間で問題が起こるのは明らかだ。
 東大では,
入試は従来通りに行い,9月に入学させるという。その間は,短期留学などで国際性を身に付ける良いチャンスとなると言っているが,学生の実態を知らない雲の上の人の議論としか思えない。留学できるだけの経済基盤のある学生はどのくらいいるのだろう。
 一部の
”文化人”と称する日本人は,欧米の物まねをするのが好きだ。欧米に従うのが国際化だと勘違いをしている人がたくさんいる。形をまねるだけでは,国際化ではない。その精神を理解し取り入れるのが真の国際化なのだ。
 一斉に9月入学にすることは,決して国際化ではない。聞いたところに依ると,欧米の大学では,入学退学が日本の大学より格段に自由で,年度途中での入学退学卒業が珍しくないという。
フレキシブルが国際化の方向であり,一斉9月入学は,国際化には逆行するとさえ言える。
 何事でも,従来のシステムを変更するときには混乱が生じるが,
その混乱が我慢できるかどうかは,新しいシステムが,我々にもたらす恩恵の大きさに依る。一部の人が恩恵を受けるために多数の人が不自由を我慢させられるのでは,納得できない。
 新しい時代の大学は,どのような形が良いのだろうか。私なりに考えてみた。まず,基本的には春入学にするが,その他にも年数回,入試を行い,入学者を受け入れればいい。大学側は,複数回の入試など仕事が増えて大変だろうが,これが入試改善のきっかけにもなるのではないか。年度途中の入退学をしやすくするため,大学の講義も,だらだらと年間を通じて行うのではなく,4分の1年くらいで区切りをつけ,単位を認めるようにする。
 それにしても,一部有名大学を目指した受験競争は激化の一途を辿っている。現実に,有名大学とそうでない大学との教育の内容の差がどの程度のものなのかは分からないが,卒業生を見ても,重要なのは学生個人であって,大学にそれほどの差は無い。
 受験競争は,受験産業に煽り立てられているような気がしてならない。受験産業にしてみれば,受験競争が激化すればするほど商売が繁盛するわけで,煽るのは当然の行動。
 受験生も,学校も冷静になって,もう一度考えてみる必要があるのではないか。