戻る

 ブログ 独 り 言 2015


2015.11.19
 燕山荘

  写真は,燕岳山頂から見た燕山荘。
 燕山荘は,燕岳の山頂直下にある。燕山荘は「えんざんそう」といい,「つばくろさんそう」とは言わない。燕山荘に泊まると,オーナーの赤沼さんの話で,まず最初に念を押される。
 私が最初に
燕山荘に泊まったのは,2004年7月だった。台風が近づいており,良い天気ではなかったが,山小屋は快適だった。毎年,北アルプスの山小屋を対象にした人気投票でベスト1を維持しているという。
 2010年からは,毎年
小屋締めのこの時期に燕山荘を訪れている。2010年と2013年は,体調不良で,途中で引き返したが,それ以外は,燕山荘に宿泊し,燕岳の山頂まで行っている。
 燕山荘の何がそれほどに私を惹きつけるのか良くは分からないが,オーナーの赤沼さんの人柄が代表するように,スタッフの対応がすばらしいのだ。
 昨年,小屋締めの
営業最終日に燕山荘に泊まった。宿泊客は,前日までは多かったようだが,当日は僅か7人だけだった。受付の時に,オーナーのホルン演奏が聴けるかと訪ねたら,今日は小屋締めの作業が立て込んでいて,予定されていないという。そこで,ぜひにも聞きたいとお願いすると,担当者は,オーナーに話しておきますという。小屋締めの作業は大変だから,諦めていたのだが,私たち7人のために,オーナーがホルン演奏とお話をしてくれた。その後も,いろいろとお話をして頂き,楽しい時間を過ごすことができた。
 翌日は,前夜から降り続いた雪の中を,
今期最後の客としてスタッフの見送りを受けて,山荘をあとにした。
 今年は,22日に有明荘に前泊し,23日に燕山荘まで登る予定だ。天気予報はあまり良くないが,可能ならば登ろうと思っている。




2015.11.18
 志津乗越


 11月16日女峰山に行ってきた。その時,通行止めを無視し,志津乗越まで車を入れてしまった。先行車に続いてしまったという言い訳もあるのだが,規制を無視してしまったことに変わりはない。
 言い訳は通用しないと言うことも分かっているのだが,もし良かったら,私の
「言い訳」を聞いて欲しい。
 
写真は2001年7月14日の志津乗越の様子である。たくさんの車が,路肩の空き地に駐車している。当時は,ここから,男体山の裏登山道から男体山に登ったり,女峰山に登ったり,大真名子山に登ったりと,登山の基地となっていた。
 ところが,
2012年になって突然に,土地を管理する二荒山神社が,路肩に大きな石を並べて駐車できないようにしてしてしまった。理由は,自然環境の保護を掲げている。このことは,事前に,登山道を管理する栃木県にも,環境省にも連絡はなかったという。
 なぜ,突然に二荒山神社がこのような行動を取ったのかは,いまだに分からない。一説には,裏登山道から男体山に登る登山者からは登山料が取れないから,裏から登る人を減らして,表登山道から登らせようとしているのではないかともいわれた。
 
自然環境保護には異論はないが,錦の御旗を掲げればすべて通るというものではない。ちなみに,ここは,保護が最優先される「特別保護区」ではなく,自然保護を考慮しつつ,活用を目指す地域なのだ。
 
志津乗越は,利用者が増えたので,栃木県も簡易トイレを設置しようと考えていたとも言われてる。現在は,以前認められていた,送迎の車が志津乗越まで来るのも規制している。
 このような例は他の地区にもあるが,一般的には,もう少し
登山者のことを考慮した規制であることが多い。有無を言わさずに「錦の御旗に従え」と言うのには,感情的に素直に従えない部分がある。
 何を言っても,自分の行為を正当化することはできないが,何となく,黙っていられなくなってこの文を書いた。




2015.10.29
 燕岳登山口有明荘


 最初にお断りしておくが、これは有明荘を非難する記事ではない。担当者の対応についての記事である。
 ここ数年、燕山荘の小屋締めの時期に燕岳に登っている。今年も、その時期が近づいてきたが、今年も登ろうと思っている。
 昨年も、前日の夜を、登山口に近い有明荘に泊まった。温泉も良く、料理もおいしく、楽しい夜をすごした。ところが、翌日に宿を発つとき、
誤って、宿に備え付けのバスタオルを持ってきてしまった。無事に登山を終え、自宅に戻って荷物を解いて、そのことに気がついた。
 早速、宿にそのことを電話しようとしたのだが、有明荘はすでに前日で営業を終了し、電話はつながらない。調べて、
親会社の事務所に電話した。
 間違えて持ってきてしまったのは私だから、なんと言われようと仕方ないのだが、この対応に
いささか腹が立った。はじめから犯罪者扱いの口調で、業者からのレンタル品なので、大至急送り返してくれないと困るという。
 いわれたとおり、長野県の事務所の場所に
宅急便で送った。いくらほどの価格のタオルなのかは知らないが、送料に千数百円を支払った。まあ、それはそれでいいのだが、受け取ったという連絡はいまだにない。少なくとも、宅急便で品物を受け取ったら、その旨電話等で連絡することは一般の常識なのだと思うのだが、その必要もないほどの人間だと思われてしまったのかと思うと、悲しくなる。



2015.10.27
 「山レコ」

 先日の奥白根山登山で,弥陀が池で出会った登山者が,こんな話をしていた。
 「”山レコ”では,奥白根山頂から,前白根,五色山を廻って弥陀が池まで50分と書いてあったのに,2時間もかかってしまった。云々」
 
”山レコ”にどのように書かれていたのかは分からないが,2時間で一周したのならば決して遅くはない。標準タイムより早いくらいだ。
 
”山レコ”は山行記録を気軽にアップできるサイトで,かなり人気のあるサイトである。私もかつてはかなり見ていたサイトなのだが,最近はあまり見ていない。それが全てではないのだが,最近では”山行自慢サイト”になってしまったような気がするのだ。自慢する主なものは”スピード登山”だ。山の楽しみ方はいろいろだから,スピード登山を楽しむこともあって良いと思っているのだが,自慢しあうということになると,変な方向にエスカレートしてしまう恐れがある。現に,普通の人では不可能に近いことを実行したとして載せているものがあるのだが,真偽の程を疑いたいものもある。
 
山行計画を立てる場合,昭文社の登山地図や色々なデータを参考にすることが必要なのだが,手っ取り早くネットで検索すると極めて特殊な”山レコ”のデータが目に飛び込んでくる。もしかして,これがスピード登山のデータだったとすると,危険なことにもなりかねない。
 前述の登山者は,疲労はあったが,大きな問題はなく下山していったが,下山後の予定は狂ってしまったようである。
 本当に山が好きな人は,決して自慢したりはしない。
2009年雲の平を歩いたとき,たくさんの登山者に出会った。声を掛けて聴いてみると,それぞれ凄い経歴を持っている人なのだが,自分から自慢する人は一人もいなかった。
 近くの里山の
古賀志山に登ると,山頂でフラフラしていたおじさんが,訪ねもしないのに,近くの山の説明を始める。私にはそれらは既に承知なのだが,黙って聞いていると,話はエスカレートしてなかなか終わらない。そしてその話のいくつかは間違っているのだ。 
 何かを知ると,自慢したくなる気持ちは分かるが,真の喜びはその奥にあるのだが,なかなか分からない人が多い。




2015.10.25
 奥白根山

 奥白根山は,私の最も好きな山の一つだ。特に地理的に近いこともあって,残雪期から秋まで良く登っている。記録を取り始めた1999年から前回まで14回登っているが,この全てが菅沼登山口からの往復だった。
 今回,初めて
丸沼登山口からロープウエイを利用して登山することにした。
 
菅沼登山口は標高1770m,一方,ロープウエイの山頂駅は標高約1990m。標高差で約220mほどある。ロープウエイは標高差500mほど登るのだが,山麓駅の標高が約1400mと,菅沼より300mほど低いので,あまり大きな高度差にはならない。
 今は無くなったが,ロープウエイが開始された頃,ロープウエイの山麓駅には「白根山
表登山口」と書かれた看板が立った。日光と群馬側のどちらが表口なのか疑問に思った。我々栃木県の住民としては,当然のごとく,日光が表口だと思っていたのだが,色々調べると,必ずしもそうではないようだ。不動尊,賽の磧,六地蔵,血の池地獄,大日如来,など,信仰に由来する史跡は全て群馬県側にある。表裏はいずれにしても,古くから信仰対象の山として登られていたのは群馬県側のようだ。
 そんな意味もあって,ぜひ一度丸沼から登ってみたいと考えていた。
 好天に恵まれて楽しい登山が出来た。




2015.10.18
 
晩秋の尾瀬

  秋の尾瀬の魅力に憑かれ,ここ10年で7回ほど通っている。
 今年も天気予報を調べ,
10月13日(火)14日(水)で行ってきた。
 池塘に写った青空と,
ヒツジグサの紅葉とのコントラストがとてもきれいだった。



2015.10.11
 奥白根山を諦めて社山に


 10月8日(木) 台風が東の太平洋上にあったが,天気予報は良かったので,奥白根山に登ろうと,5時40分に宇都宮の自宅を発って,金精峠を越えて登山口に向かった。自宅を発った頃から上空は雲に覆われ,青空は見えなかった。いろは坂を登った頃からいよいよ雨が降ってきた。
 
戦場ヶ原では,虹が見えた。戦場ヶ原にはよく来るのだが,虹を見たのは初めてだ。


 更に登って湯の湖まで来ると,今度は湯の湖この上に虹が架かって見えた。
 奥白根山は,いつも菅沼登山口から登るのだが,今日は丸沼からロープウエイを使って登ってみようと考えていた。この時期,ロープウエイの始発は8時と言うことなので,ロープウエイ駅まで行って,登山の準備をし,運転開始を待つことにした。
 
ロープウエイ駅の駐車場には7時少し過ぎに着いたのだが,雨と風がかなり強い。台風の影響があると言うことで,風が強いことは覚悟してきたのだが,雨は予想外だった。
 ロープウエイの始発までには時間があるので,車の中で様子を見ることにした。風が強いので,雲の動きは速い。雲の動きに伴って,雨は降ったり止んだりを繰り返している。
 なかなか,
天気が回復する兆しが見えない。この状態ならば,山頂はもっと天気が悪いだろう。そこで,今日の奥白根登山は中止して,戻ることにした。来るときに,社山が山頂まで見えたことを思い出し,歌が浜の駐車場まで戻って,そときの状態で社山に登ろうと考えた。

 歌が浜駐車場に着いたときは,天気はずいぶん回復していた。

 相変わらず,風は強く,雲の動きは速いが,大きく崩れ九気配はない。
 今日は,
社山に登ることにした
 実は,一昨日,妻と一緒に社山を目指したのだが,妻の体調が思わしくなく,
ロボット雨量計のピークで引き返したのだ。

 単独行なので,ややペースを速め,頂上を目指した。山腹の紅葉がきれいだった

 歌が浜から,約5時間で往復できた。




2015.09.29
 草紅葉


 草紅葉を見に小田代原に行ってきた。今日は,赤沼駐車場に車を置き,路線バスで湯元まで行き,歩いて戻る一本道コースを歩いた。
 
小田代原は草紅葉が様々なグラデーションを見せていた。
 妻が「あの赤い色は何かな?」と言った言葉を聞きつけて,通りかかった人が,「あれは
エゾヌカボ」と教えてくれた。
 私は,
ホザキシモツケかなと思っていたので,少し疑問に思い,帰宅してから調べてみた。
 
日光自然博物館発行「日光の花325」に,「小田代原の草もみじ」という項目があり,種類と色が書かれている。それに依れば,
 ヤマアワ→白,
 ノガリヤス→うす紫,
 ヤマヌカボ→うす紫,
 エゾヌカボ→ピンク,
 ホザキシモツケ→深紅。
 やはり,あの濃い赤色は
ホザキシモツケで正解のようだ。だが,写真を見ると,ピンクの草も確かに確認できる。どうやら,名前を教えてくれた人は,このピンクの植物の名前を教えてくれたらしい。



2015.09.27
 熊除けの鐘

 今年の夏,ツキノワグマの目撃が増えている奥日光戦場ヶ原に,熊除けの鐘が設置された。
 現在,自然研究路の木道沿いの2個所に設置されている。固定式のものではなく,柱ごと移動できる構造をしている。
 この鐘は,
ツキノワグマとの出会い頭の事故を防ぐために設置されたものなのだが,チョット心配なこともある。
 戦場ヶ原は,小学生の団体ハイキングが多いのだが,先日も,すれ違った小学生の団体が,入れ替わり立ち替わり鐘を鳴らしていた。引率の教師が指示したのかどうかは分からないが,うるさく感じるほどだった。
 一般的に,鐘の音のような金属製の音は自然界には存在しない音なので,これを聞いた
ツキノワグマは,そこに不自然さを感じて警戒し,そこから遠ざかる行動をする。しかし,繰り返し鐘の音を聞いていると,慣れっこになってしまい,遠ざからなくなってしまうのだ。
 現に,戦場ヶ原に現れ
ツキノワグマは人間を恐れなくなってきている。一昨年も,木道から100mほどしか離れていない木の上で,食餌行動を続けていたことが目撃されている。
 いくら,慣れっこになっていても,人間の方が安全距離を破って近づきすぎれば,襲ってくる。
 そのような意味で,
鳴らす必要がないときには馴らさないようにすることも大切なことなのだ。張り紙にはそのような注意が書かれているのだが読む人は少ない。

 この写真は,尾瀬山ノ鼻の自然研究園に設置されているもので,数年前に設置されたもの。


 この2枚の写真は,10年ほど前に尾瀬で撮影したもので,かつてはこんなものも使われていた。
 プロパンガスボンベの
バルブキャップ

 空き缶





2015.09.26
 
「終活」

 このところ,雨の日が多かったこともあり,身の回りの片付けをしている。
 本棚に,無造作に並べたファイルや印刷物を,大量に捨てた。机の引き出しの中も整理した。まだまだ,片付けたいところはたくさんあるのだが,少し飽きてきた。
 片付けること自体は,過去の色々なことを思い出させてくれる楽しい時間でもあり,決して苦痛ではなかったのだが,ふと
「終活」と言う言葉が頭を過ぎった。 意識していたことではないのだが,そうなのかも知れない。
 「終活」と言う言葉を含め,私は「○活」と言う言葉が好きではない。「○活」の第一号は「就活」だ。この言葉は,一部の学生が「就職活動」を縮めて言っていたのをマスコミが取り上げ広まったものだ。
 もともと新聞は,文字数を減らすために言葉を縮めて表現することはよく行っていたが,何でもかんでも短縮すればいいと言うものではない。最近ではTVも,話題を作るためなのか,新しい
「○活」と言う言葉を創り出しているが,なんとも,安易すぎる。
 ついでに言うと,もう一つ嫌いな言葉がある。それは
「○○してもらっていいですか」という言葉だ。断定的な言い方を敬遠する日本独特の表現なのだが,なぜ「○○してください。」「○○してちょうだい。」と言えないのだろうか。この言い方は,依頼しておきながら,実行するかどうかの決定は依頼された方にあり,実行した結果について,依頼した方に責任はないという言い方なのだ。
 国立競技場建設の問題では,多くの税金が無駄に使われたが,結局だれも責任を取らないという,責任を取りたがらない,日本文化を象徴するような言い方なのだ。



2015.09.18
 日光パークボランティア


 9月16日 日光パークボランティアの活動で,戦場ヶ原に行ってきた。朝のうち,下界は曇天だったが,いろは坂の上は日も射す良い天気で,静かな高原の初秋を楽しむことができた。
 今日のメインは
特定種の開花調査だったが,調査をしながらのゴミ拾いも大切な活動だ。

 戦場ヶ原はススキが咲いていた。その他,ノガリヤス,ソダシバ,アブラガヤも穂を出していた。

 メギの実はラグビーボール型

 ズミの実は全体的には少なかったが,青木橋の袂の木だけはたくさんの実を付けていた。

 ツルコケモモの実も赤くなった。小さな草丈には似合わない大きな実だ。

 帰路,いろは坂を下ると下界は厚い雲の下だった。



2015.09.14
 ソーラーパネルの交換


 今日,屋根に乗っているソーラーパネルの,一部取り替え工事をした。このソーラーパネルは2010年に設置したもので,設置5年後の定期点検で異状が発見された。
 パネルは,
サンテック製で1枚190Wのものを16枚設置しており,合計で3040Wになる。もう少し乗せたかったのだが,屋根の大きさの関係でこれ以上は無理だった。
 
16枚のパネルは,4枚毎にまとめて4系統でコントローラに繋がっているのだが,そのうちの2系統の電圧が許容範囲を超えて高くなっていることが分かった。
 直ぐには原因が分からず,メーカーから担当者が来て検査した結果,異状を示した2系統8枚のパネルを交換することになった。
 発電性能は,設置後3年間は,年間の平均で
320KWh/月程度だったが,最近は平均で300KWh/月程度に下がってきていた。
 パネルは,低照度での発電効率が良い単結晶型で,25年間のメーカー補償が付いている。これで発電性能が向上すればいいのだが。




2015.09.08
 柿の実

 庭のが色づいてきた。
 この木は正直に1年おきに
豊作・不作を繰り返す。一昨年は豊作で100個以上実を付けたが,昨年は不作の年で10個ほどしか付けなかった。今年はまだよく分からないが50個程度付けているようだ。
 庭が狭いので,大木にはしたくない。そこで,毎年,枝をたくさん切り詰めている。
 柿は虐めると実をたくさん付けると言うから,そのためなのかも知れないが,数が多い分実は小粒だ。
 摘果すれば良いのだが,手が届かないので諦めている。
園芸用の大きな三脚を買ったのだが,根元に三脚を立てるためのスペースが殆ど無く,活用できない。
 この木は,近くのホームセンターで
「甘柿(品種名は忘れた)」の苗を買ったのだが,なかなか渋が抜けない。園芸の本によると,甘柿の渋が抜けないことは,北関東以北ではよくあることだそうだ。渋が抜けるためにはある程度の温度が必要ということで,北関東以北では,夏過ぎに急に気温が下がってしまうことが多く,そのために渋が抜けないのだそうだ。もちろん品種差個体差はあり,すっきりと渋の抜ける木もある。私の植えた木は,たまたま渋の抜けにくい木だったようだ。
 数日前,シアトルに居る
6歳の孫から「干し柿できた?」とスカイプで聞かれた。実は一昨年,柿の実がたくさん採れたときに干し柿を作っておき,帰省した孫達に食べさせてみた。すると美味しいと言って喜んで食べ,残りも持って帰った。その味を覚えていたのだ。昨年も干し柿を催促されたのだが,昨年は干し柿を作るほどには採れず,がまんしてもらった。今年はなんとか出来そうだが,シアトルに送るとなると送料が・・・・。来年夏に帰国するまで冷凍にでもして取っておくことにする。



2015.07.26
 HPのアクセス数33万


 「熟年夫婦の山日記」のアクセス数が,7月24日33万回を越えた。32万アクセスを越えたのが2014年12月28日だから,208日で1万回を加えたことになる。多くの皆様にご覧頂き,たいへんありがとうございました。
 最近は,自由な時間は増えたのだが,書くべき内容が無く,特に,
夫婦での山行が減っており,看板に偽りありという状態になってしまっている。まあ,これも自然の流れと言うことで,成り行きに任せたいと思っている。もともと無理をしないのが私のモットーでもあり,どうかその辺りはご勘弁下さいますよう。



2015.06.18
 手作り餃子

 今日は餃子を作った。私の数少ないレパートリーの一つだ。もちろん,皮も手作りだ。
 皮を作る小麦粉は
中力粉だが,私は,うどん用の粉を使っている。簡単で確実だ。

 今日は32個作るので,小麦粉を320g計る。水はその半分の160g。水の中に塩をひとつまみ加えて良く溶かす。塩は入れすぎると,皮が塩辛くなってしまうので要注意。
 ボールの中の小麦粉に,水を少しずつ加えながら,箸4本を持ってすばやくかき混ぜる。


 力を入れて良くこねる。ここが大切。

 良くこねたら,小さく丸め,ラップで包み,冷蔵庫で寝かす。私は,朝に粉をこねて,夕方まで寝かせますが,もっと短時間でも大丈夫。

 冷蔵庫から取り出し,もう一度こねてから,棒状に伸ばす。

 まず4等分する。

 次ぎに,1個を更に8等分。これで,全部で32個になる。

 取り粉を打ちながら,麺棒で伸ばし,円形にする。

 餡の準備 私が入れるのは,挽肉(粗挽きが美味しい) ニラ(半束)キャベツのみ。食感を残したいので,キャベツは生のままみじん切りにする。

 味付けは,ニンニクとショウガをすり下ろし,醤油を少し多めに加える。化学調味料も加え,よく混ぜる。こねると言うより混ぜる感覚で。最後にごま油を加え,包みやすいように4等分して準備完了。

 32個できた。

 ホットプレートを使って焼きます。これが簡単で失敗しない方法です。プレートが温まったら,油をほんの少し引いて,餃子を隣どうしがくっつかないように並べる。

 蓋をして焼き,底に薄く焦げ目が付いたら,湯を100ccほど加え,蒸し焼きにする。私は,最後に油などは加えません。

 できあがりです。

 我が家の餃子は,餡にしっかりと味を付けるタイプなので,私は,何も付けずに食べます。二人で32個完食しました。



2015.05.30 
 息子家族の渡米


 6月1日,長男家族が,米国シアトルに向けて旅立つ。会社が,ロースクールへの留学を認めてくれたために家族で約1年間シアトルに滞在する
 
長男は45歳,この歳でなおスキルアップを目指している息子に,親ではあるが敬意を持っている。留学が簡単なことではないことは,私でも知っている。全て英語の講義を聴き,英語でレポートを書き,単位がもらえなければ卒業できない。
 単身留学もできたのだが,息子は,
子どもたちにアメリカ生活を体験させたいと,敢えて家族での転居を決意した。
 嫁も,そのサポートのために,今まで勤めてきた仕事を退職した。嫁は,長年その仕事に従事し,それなりのスキルも持っていたし,周囲の期待もあったようだ。それを,家族と一緒に渡米するために,一切を切り捨てるのにはかなりの抵抗もあったろうと思う。夫と一緒に渡米しようと決めた嫁も素晴らしいと思う。
 米国は,日本ほどには治安も良くはないから,まずは三人の孫娘達の安全を願っている。息子達も,その辺りは十分にわきまえてはいることと思うが,ぜひ気をつけてもらいたい。そして,来年夏に元気に帰ってきて欲しい。私たちも,それまで,余計な心配をさせないように,十分気を付けなければならない。