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ブログ 独 り 言 2019


2019.11.12
 サザンカ

 我が家には赤白2本のサザンカがあるが,この2本は咲く時期がかなりずれている。まずが咲いて,しばらくしてからが咲く。 白が咲くのは,例年10月初旬で,赤が咲き出すのは11月下旬だ。
 白のサザンカは,咲いているときはきれいだが,咲き終わった花びらが茶色になって枝先に残っているのはなんともみすぼらしい。 特に,霜に当たると,殆どの花が霜焼けを起こして茶色になってしまう。今年はまだ霜が来ていないので,きれいなままだ。この時期が最もきれいだ。




2019.11.06
 スタッドレスタイヤ更新

 愛車「アウトバック」のタイヤを冬タイヤに替えた。今までのタイヤは,新車購入の2年目の冬に購入したもので,この冬で7冬目だった。まだ溝は十分に残っていたのだが,新雪やシャーベット状の雪道で不安になったので,潮時と判断し,替えた。一般的にスタッドレスタイヤは,溝が残っていても,ゴムが劣化し硬くなるために,氷上の性能が悪くなる。一般的には3〜4年が限度と言われている。今まで使っていたタイヤは,ブリジストン製,他のメーカーのものよりかなり高価だがゴムが硬化しにくい。7年目でもまだ十分に柔らかだ。
 そんなことで,今回も
ブリジストン製BLIZZAK DM-V3 にした。ネットで買って,指定のスタンドで組み替えた。正規の店より安く買うことができた。命を預けるものなので,安ければ良いというものでもないが,納得できる価格で入れ替えることができた。




2019.10.28
 チェスカ弘前

 平成元年に,全国の国立附属学校の教員でチームを組んで,海外研修に出かけたことを契機に,その同窓会を続けてきた。「チェスカの会」と称して,30年間,毎年1会,全国の会員持ち回りで幹事を務め,幹事の地元で開催してきた。ところが,最近は,会員もそれぞれ高齢になり,遠方への旅行が難しくなってきた。平成時代の始まりとともにスタートしたこの会も,平成最後の年をもって終了することになり,昨年,最後の会を,箱根で開催した。
 ところが,毎年欠かさず参加していた
弘前の会員が,体調不良で箱根の会には参加できなかった。そこで,チェスカの会は終了したが,有志で弘前に行くことになった。
 車で走れない距離では無いので,
車で行くことにした。初日は,早めに着いて弘前城公園でも見ようとしたのだ,東北道下りが,二本松と福島西の間で事故のために通行止めになり,二本松ICで下ろされた。降りるまでに1時間半,更に下道も渋滞で福島西まで1時間かかった。
 宇都宮を発ったのが6時15分で,弘前の宿に着いたのが16時10分。なんと
10時間も掛かった。走行距離は572km,運転時間は8時間42分だった。
 2日目は,弘前の
りんご公園でリンゴ狩りをした後,みんなと別れて,弘前城公園を見てから,花巻の志戸平温泉まで戻った。走行距離211km,運転時間3時間51分
 3日目は,
宮沢賢治記念館を見て帰宅しようと思ったのだが,臨時休館日とかで見られず,宮沢賢治童話村を見て帰って来た。走行距離415km,運転時間4時間54分
 写真は,リンゴ公園から見た
岩木山



2019.10.14
 台風襲来

 大型台風19号が,13日夜,栃木県と茨城県の県境近くを通過した。我が家は結果的に被害は無かったのだが,正直怖かった。我が家のある場所は,崖からも遠く,河川からも離れているので,強風による被害以外はあまり心配しなくても良いのだが,今まで経験した台風のなかで,最も恐怖を感じた。その恐怖の原因は,繰り返し放送された台風情報だった。
 「
今までに経験したことの無い・・・」とか「速やかに命を守る行動を・・・」とかが,繰り返し繰り返し放送されたが,それは徐々に,聞いているだけで恐怖になった。
 確かに,TV放送などを
信じず,被害に遭う人が多いのは事実だ。だからそう言う人たちの目を覚まさせるために,多少の脅しは必要なのかもしれない。
 しかし
,だからといって,長時間にわたって繰り返し繰り返し聞かされると,精神的に滅入ってしまう
 まず,宇都宮市に「
避難準備」がでた。姿川周辺と田川周辺,そして鬼怒川周辺の地域で,私の住む西川田地区は含まれて居なかった。そのうち,これらの地域が「避難勧告」になり「避難指示」になった。20時20分「避難指示」区域に「宇都宮全域」という文字が追加された。どうすべきなのか考えた。指示通りに避難するのが正しいのだろうが,本当にそれがベストなのだろうか。いろいろ考えて,私は避難しないことにした。
 台風の予想進路は,栃木県と茨城県の県境を通る。宇都宮市は,台風の西側になるので,東側よりも風は弱い。
 台風は,午前0時くらいに最も近づく予報だが,23時頃には雨も風も弱くなり,再び強くなることは無かった。
 実際に大きな被害が出,死傷者も出ているので,こんなことを言うのは不謹慎なのかもしれないが,ただ,
危険だ!危険だ!と煽れば良いというような,マスコミのあり方に疑問を感じたのでこの記事を書くことにした。
 気象庁の最大風速の発表も過大で,責任逃れを感じてしまうのだ。もし少なめに発表して,それを越える風が吹き,被害が出たら責任を追及される。だから,
絶対に越えない大きい数字を言っているのではないか。雨量についても,300mmとか発表しているが,それには「最大で」という但し書きが付く。


2019.10.01
 いろは坂一方通行

 第二いろは坂の,明智平と二荒交差点までの間が,10月1日から,中宮祠方向の一方通行になった。観光客の流れにも影響を与える大きな変更だ。混雑時だけで無く,通年の変更だ。変更の理由は,交通渋滞の緩和だが,それはある程度納得できる。第二いろは坂の紅葉時の混雑は確かにものすごい。昨年も,日光駅〜中禅寺温泉間が,最大で4時間以上かかった。主な原因は,交通の集中なのだが,特に,2車線で登って来て,明智平から先が1車線になるためにそこがネックになって大渋滞が起こる。
 昨年,10月27日から1週間,社会実験として一方通行を実施して,その結果を得て今回の変更になったのではあるが,心配なところもある。今までは,中宮祠や湯元温泉に宿泊した観光客が,明智平に行き,ロープウエイからの展望を楽しんでから帰ることもできたのだが,今後は,それが難しくなる。全くできないわけでは無いが,そのためにはいろは坂を一周しなければならない。
 それで無くても,湯元温泉への宿泊客が減少しているところに,マイナスな要素になることは間違いない。
 紅葉期などの混雑期に限って一方通行にすることはできなかったのだろうか。確かに煩雑であり,その切り替えがスムーズに行くかどうか難しいところだが,そのほうがより合理的だと思うのだ。




2019.09.25
 社山

 7月末の尾瀬キャンプのガイド以来,山歩きから遠ざかっていた。いささか夏の暑さに負けてしまい,体力気力が減退してしまっていた。さすがに,秋分の日を過ぎるとその暑さも勢いを失い,山歩きをしてみようという気になった。
 どこに登ろうかと考えたのだが,体力脚力に自信が無く,いつでも引き返すことができる
社山に登ることにした。天気予報も,この3日間は高気圧に覆われ,全国的に良い天気になると告げていた。
 宇都宮の自宅を6時に発ち,日光道路を日光に向かった。まだ上空は厚い雲に覆われていたが,西の方の空には雲の切れ間が確認できた。これから良い天気になるのだろう。




2019.09.19
 小田代原

 酷暑から解放され,気力も戻って来たので,戦場ヶ原を歩いて見ることにした。コースは,いつものように赤沼駐車場から,戦場ヶ原を通り,小田代原に向かうコースをとった。 昨年も,同じ9月19日に同じコースを歩いている。
 今夜は霧降に宿が取れたので,チェックインの時間を考え,ゆっくりと自宅を出た。
 
赤沼駐車場に着いたのは9時50分。小学生の団体を載せてきたのか,到着を待っているのか大型バスがたくさん止まっていた。乗用車の駐車スペースには余裕があった。



2019.07.31〜8.02
 裏磐梯・蔵王

 第1日目は,鬼怒川温泉から上三依を通って会津若松から桧原湖に抜けた。時間が早かったので,桧原湖を一周した。桧原湖は何度か訪れては居たのだが,一周するのは初めてだった。
 宿の「休暇村裏磐梯」も何度も訪れている。私の気に入っている宿の一つだ。
 第2日目は,蔵王エコーラインを通って蔵王山のお釜まで登り,帰路は吾妻スカイラインを通って帰る。
 第3日目は,磐越道から那珂湊に回り,美味しい寿司を食べて帰宅する計画だ。




2019.07.23
 中学生尾瀬キャンプ

 この中学校の尾瀬キャンプは今年度で7回目 になる。2012年に第1回が実施され,翌2013年に第2回が実施された。 この2回は1年生で実施されたが, 他の学校行事との関係で2年生で実施することになり,2015年度からは2年生で実施している。 最初の2回は 御池から入り,見晴 山ノ鼻に宿泊し, 鳩待峠に抜けた。このコースは,バランスの良いコースなのだが,とにかく, 登山口までの距離が遠く,時間がかかりすぎた。そこで,2015年度からは, 大清水から入り, 尾瀬沼見晴 に宿泊し,鳩待峠 に抜けている。
 ところが,学校の行事調整のために,昨年度まで2泊 で実施されてきた尾瀬キャンプが,今年は1泊 で実施することになった。 先生方と,実施コースについて検討した結果,概ね昨年度までのコースで,三条ノ滝を除き実施することにした。
 大清水から入り,第1日に 見晴まで行き,翌日は 鳩待峠 に抜けて帰ることにした。当然,第一日の距離が長くなり,学校出発を早めなければならなかった。三平峠 までは良い天気だったのだが,峠を越えると空模様は一変し,黒い雲に覆われた。 三平下でついに雨が降ってきた。三平下で,全員に 雨カッパを着させた。
 雨はかなり強く降った。雨の中,長蔵小屋 に着いた。ここで昼食を食べることになっていたのだが,急な 停電 で,ご飯が炊けていないという。とにかく何か食べさせて欲しいとお願いして,カレーライス用のカレーはできていたので, カレーうどんにして出してもらうことにした。尾瀬沼地区は 商用電源 が来ている。普段は便利なのだが,停電になると多くの機能が停止してしまう。なんとか昼食を済ませ,沼尻 に向けて出発した。雨は殆ど上がったが,何時降ってくるか分からないので,カッパのズボンだけ履いてスタートしたのだが,結局雨が降り出し,沼尻では,カッパの上も着させた。
 沼尻を出ると,雨はだんだんと強くなった。
も鳴り出した。雷はまだ離れているので,危険を感じるほどでは無い。雨はさらに強くなり, 夕立 のような雨が連続するようになった。登山道には泥水が流れ,容赦なく靴の中まで入ってきた。雨が強いので,休憩を取らず, 弥四郎小屋 まで歩いた。1時間55分かかったが,全員が無事弥四郎小屋に着いた。
 翌日は良い天気だった。  竜宮小屋の前のベンチで休憩。日差しが強く暑い。




2019.07.03
 キャンプ下見

 宇都宮市内にあるこの私立中学校では,毎年8月に2年生が 尾瀬キャンプ を実施している。私がかつてその学校に勤務していたこともあって,毎年そのガイドを頼まれている。今回はその 下見のために,中学校の先生二人と 尾瀬に行ってきた。天気予報は良くはなかったのだが,当日の 雨への対応訓練にもなるので出かけることにした。
 初日は,宇都宮を4:30に出発し,戸倉から大清水までタクシー,大清水から一ノでまでシャトルバスに乗った。一の瀬着は7:40。計画より早く着いた。三平峠から長蔵小屋について,当日の昼食の打合せをして,私たちも昼食を食べ,沼尻に向かった。今日は沼尻から見晴までも雨には降られなかった。

 翌日,夜半過ぎから雨が降り始め,雨の勢いは徐々に強くなり,周囲が明るくなり頃には,外に出るのがためらわれるほどに強くなった。「天気と暮らす」というサイトで, 尾瀬の天気予報 を確認すると,雨は徐々に弱まり,昼頃には上がるという。そこで,出発時刻を少し遅らせることにした。

 歩き出すと同時くらいに雨は上がり,その後は降らなかった。


2019.06.17-18
 八ヶ岳 

 この時期の八ヶ岳 は,高山植物が一斉に花を咲かせ,申し分の無い花の山 になる。昨年もこの時期に登り,素晴らしい山行を体験できたので,今年もぜひ行こうと考え, 天気予報を確認しながら,その時を待った。
 はじめは,6月13日,14日で計画していたのだが,直前に天気予報が悪く変わったので,4日ほど後ろにずらし, 17日-18日で実行した。宿泊予定の 硫黄岳山荘には,宿泊の予約を入れた。
 17日には,自宅を3:45に発って。赤岳山荘駐車場着には7:00に着いた。駐車場出発7:30,赤岳鉱泉着9:47,硫黄岳頂上着12:50。
 硫黄岳山荘到着は13:30
 翌日は,山荘発6:30で,横岳奥の院着9:30。一昨年ほど見晴らしは良くない。


 その後,三叉峰を経て地蔵分岐へ。いつもここで弱気の虫が騒ぎ出す。もう疲れたから,赤岳は諦めて,ここから降ろう。でももしここで諦めてしまったら,生涯委赤岳には登れなくなってしまいそうだ。
 展望山荘まで行って,休憩所に入り,ホットコーヒーを飲んだ。風が強く,身体が冷えていたので,とても美味しかった。まだ迷っていた。風も強いし,ガスも出てきた。もし戻るならばここが最後だ。
 結局,諦める勇気も無いままに,頂上を目指した。
 赤岳頂上着10:40。昼食を食べて,下山開始11:05。行者小屋12:50,赤岳鉱泉13:35,赤岳山荘着は15:30だった。
 美濃戸まで車で下り,八ヶ岳山荘で入浴して夕食を食べ,その夜は駐車場内の車で車中泊をし,翌日早朝に帰宅した。


2019.06.13
 戦場ヶ原

 今日は,単独で,八ヶ岳 を計画していたのだが,二日目の天気予報が良くない。そこで,八ヶ岳の計画を4日ほど後にずらした。 ところが,今日は朝からとても良い天気になった。家でゴロゴロしているのは勿体ないので, 戦場ヶ原のワタスゲでも見ようと,戦場ヶ原に出かけた。
 ただ,この時期は,千手ヶ浜のクリンソウ狂想 の真っ最中。平日でも,朝早くから赤沼駐車場 は満車になってしまう。そこで,三本松駐車場 に車を置き,赤沼から自然研究路を歩き,北戦場ヶ原から逆川に出て三本松に戻る 周回コースを歩くことにした。
 北戦場ヶ原の木道が広くなっているところで,木道に腰を下ろし,昼食にした。珍しく,小f学生の団体が1団だけ通り過ぎていった。光徳牧場まで歩き,そこで」バスに乗るらしい。




2019.06.04
 那須岳縦走

 最初の計画では,明日5日が好天という予報だったので,燧ヶ岳 に登ろうと考えていた。ところが,天気予報が変わり,4日に好天になり,5日は崩れるという。 そこで,燧ヶ岳は止めにして,もう少し近くの山を考えた。
 那須三本槍岳では,頂上手前に ミネザクラ の木があり,ちょうど今頃咲いているはずだと言うことで,三本槍岳に登ることにした。 イワカガミも咲いているだろうし,うまくいけば, アズマシャクナゲの花にも会えるかもしれない。
 天候と体調が良ければ,三本槍岳から, 朝日岳茶臼岳 と縦走したいと考えた。
 雲は多めだが,降られることも無く三本槍岳に着いた。途中,
シャクナゲがきれいだった。

 帰路,朝日岳に寄った。時々ガスに巻かれたが,雨は降ってこないようなので,茶臼岳にも登ることにした。

 茶臼岳には,ロープウエイ経由できた人がたくさん居て,賑やかだった。



2019.05.20
 東大日光植物園
 霧降温泉で,妻の兄弟会を行った翌日,珍しいハンカチノキが花をつけているというニュースがあったので,東大植物園に行ってみた。
 東大日光植物園は,旧田母沢御用邸に隣接した場所にあり,正確には「東京大学大学院理学系研究科附属植物園日光分園」という。前身は,1638年(寛永15年)に徳川幕府が江戸の南と北に設置した薬草園だ。その後,文部省管轄となり,1887年に東京大学附属植物園となった。
 1902年(明治35年)日光に東照宮付近の
仏岩に8,590uの土地を得て日光分園を開設し,本園(小石川植物園)では行なうことができない,高山植物の教育研究を行った。その後,土地が手狭になったのだが,拡張の余地が無かったため,1911年(明治44年)に日光分園を現在地に移転した。

 
ハンカチノキは,中国の湖北,貴州,四川,云南の各省に自生している中国固有の植物。高さ十数メートルになる落葉高木で,標高2000メートルほどの山地の,日当たりの良い湿った斜面などに多く生育している。
 欧米では,昔から庭木,街路樹などに利用されているが,日本ではあまり植えられていない。1991年ころから多数の苗木や種子が輸入されるようになり,広く出回るようになった。
 
ハンカチノキという名前の由来となっている2枚の白いものは,中心部にある小さい花の塊を飾る(葉の変化したもの)で,はじめは淡い緑色だが,開花とともに大きく白色になり,花が咲き終わって受粉が終了すると,順に落下する。中心部に集まって咲く花には,雄しべだけの雄花と,雌しべが発達した雌花があり,ともに花びらは無い。
 この木は1959年にドイツの
ハンブルグ大学附属植物園から種子を導入し,ここで長年生育したものだという。



2019.05.12
 奥白根山

 奥白根山は,冬季は, 菅沼登山口から弥陀ヶ池 まで,座禅沢 の雪渓を上り下りできる。傾斜は急だが,雪崩の危険も少なく,雪渓登りを楽しむことができる。しかし雪が緩んでくると, 座禅沢の下部で落石が多くなり,安全な登山は難しくなる。年によって異なるが概ね 5月15日〜20日を過ぎると,危険が増し,通行できなくなる。
 昨年,一昨年は,この時期に登ることはできなかったが,2011年 から,ほぼ毎年この時期に奥白根山に登っている。初めて冬道を登ったのは 2011年5月11日だった。 2013年5月8日には,雪解けが早く,冬道は通れなかった。 2015年5月11日には,冬道を登ることができたが, 2016年5月13日には冬道を通ることができず,夏道を往復した。
 今年も,まずは天気予報で登山日を決めたが,雪の状態は現地に行ってみないと分からない。 そこで,夏道と冬道のどちらにも対応できるように準備して出かけた。
 雪渓は,朝の気温が低いうちに登るのがベストなので,出来るだけ早く歩き出せるように, 午前4時半に宇都宮の自宅を出発した。
 冬道の雪渓を歩いて,弥陀ヶ池まで登ってきた。


 山頂にはまだ誰も居なかった。今年は,水蒸気が多いのか,遠方の見晴らしが良くない。



2019.05.08
 中禅寺湖北岸遊歩道 

 オオヤマザクラに会うために,妻と,中禅寺湖南岸遊歩道を歩いた。残念ながら,オオヤマザクラはまだ咲いていなかった。その後,西ノ湖まで歩き,低公害バスを使って戻った。妻と奥日光を歩いたのは1年ぶりでだった。



2019.05.03
 夏タイヤ


 タイヤを夏タイヤに履き替えた。新車から7年間使っていたタイヤも,もうすぐスリップサインが出そうなので,その前に交換した。7年間と言っても1年の5ヶ月強はスタッドレスを履いているので,実質4年間くらいだった。標準的な減り方だ。新しいタイヤは,BRIDGESTONEDUELER H/P 。本当は H/L が欲しかったのだが,旧モデルの H/P が安く出ていたので,それにした。ネットで買って,近くの提携店に送ってもらい,そこで組み替えた。不安はあったのだが,親切な対応だったので良かった。かなり安くできた。



2019.05.02
 残雪の尾瀬


 恒例の,残雪の尾瀬に行ってきた。ことしは鳩待峠からアヤメ平往復だった。雪が腐っていて歩きづらく,おまけに風も強く,横田代で引き返した。写真は,横田代から見た燧ヶ岳。空模様が怪しい。
 BAKUさん,HIBARIさん,ドラ吉さん,キレンジャクさん,ランさん,お世話になりました。来年もまたお願いします。




2019.05.01
 あおり防止シール


 あおり運転防止のため,こんなシ−ルを付けた。ドライブ用品店で売っていたもので,もちろん本体も付いてる。



2019.04.29
 ゴーヤの植え付け


 春の連休恒例の,ゴーヤの植え付けをした。居間の東窓のグリーンカーテンになる。

 ミニトマトも植えた。これはポットに植えて,数日間日陰に置く。

 ボタンも一つだけ花をつけた。これは白い花だ。



2019.04.26
 「自然界の驚異」

 懐かしい本と再会できて喜んでいる。子供の頃に読んだ本で,私が自然科学に興味を持つことのきっかけになった本だ。 以前からネットの古本検索で探していたのだが,古い本なのでなかなか見つからなかった。ほぼ諦めかけていたのだが,偶然に見つけることができ,早速購入した。
 その本は,原田三夫著の 「自然界の驚異」 という。 初版は昭和28年5月で,その年の12月に,父が小学校3年生だった私に買って与えたくれた。それ以来,本の内容に魅せられ,繰り返し繰り返し読んだ。いくつかのページは,その挿絵とともに,60年以上経った今でも,しっかりと記憶されている。何時しか,本も傷み,私の前から姿を消してしまった。
 最近,年齢のためか,昔を思い出すことが多くなり,この本をもう一度見たいと思うようになった。

 今回入手したものは昭和32年版のものだが,内容には見覚えがあり,私が読んだ初版本と同じものだ。
 V字谷,ポンペイの最後,ストロンボリ式噴火,柱状節理,タマネギ状風化,氷河, タイタニック号の悲劇, セントエルモの火,ブロッケン山の妖怪等々 ,すべて当時記憶したもので,今でも鮮明に脳裏に焼き付いている。
 一冊の本が,その人間の進路を決めると言うことが実際にあるのだということを,感慨を持ってかみしめている。







2019.04.12
 残雪の茶臼岳

 茶臼岳をはじめとして, 朝日岳清水平 三本槍岳 南月山姥が平 など,良く出かけていたのだが,2008年に日光パークボランティア の活動を始めてから,あまり行かなくなっていた。日光に年間30回 も出かけるようになって,那須に行く時間が無くなっていた。 2016年にボランティアを辞退してから,また,那須に行くようになった。
 峠の茶屋駐車場 まで行く道路は,積雪のため冬季は閉鎖される。開通するのは,原則4月1日だ。 ロープウエイが開業 するのは,3月18日前後で,この日以降はロープウエイ駅駐車場まで車で入れる。 それ以前に茶臼岳に登る場合には,は大丸の駐車場から歩かなければならない。
 昨年は,3月16日にロープウエイが開業したので, 3月18日 にロープウエイ駅駐車場に車を置き, 朝日岳と茶臼岳に登った。 一昨年 も,
3月20日 にロープウエイ駅駐車場から茶臼岳に登った。
 2004年2月21日には 大丸の駐車場に車を置いて,初めて, 雪の茶臼岳 に登った。その日は偶然にも風が弱く,妻と2人で頂上まで行くことができた。
 その2年前の2002年3月 雪の黒斑山に初めて登った。このときは,靴の土踏まずに着ける 4本爪の軽アイゼン で登ったのだが,山で出会った登山者は,皆,本格的な 10〜12本爪のアイゼン を着けていた。クラストした雪の上を歩く快感に魅了された私は,次の冬, シャルレの12本爪のアイゼンを買った。
 今回は,6本爪の軽アイゼン を履いて登った。このアイゼンは,前爪が無いので,12本爪のアイゼンに比べて,歩いていて 躓くこと がすくない。ただし,下山の時など,靴が前にズレて,アイゼンが後ろに移動してしまうことがある。 また,前爪が無いことから,急な登りで つま先が滑りやすい 。そこで,私流にいくつか改造している。切れて使えなくなったチェーンアイゼンをバラして,その をつま先につけ,靴のつま先を回ってベルトに通した。 こうすることで,靴が前にズレることも無くなり,つま先の滑りも少し改善された。






 山頂で。 背景の雪山は大倉山。雪は年々少なくなっている。
 


2019.03.28
 ピッケルのシャフト延長(その2)

  私が常用しているグリベル エアテック は,私が最初に手にしたピッケルということもあって,たくさんの雪山に同行した。作りも丁寧で,手にしっくりと合い,気に入っていたのだが,やはり,杖代わりとして使うには長さが少々短い。「ピッケルとはこんなもの」として使っていたのだが,思い切ってシャフトを延長してみた。(2018年3月)

 何度か雪山で使ってきたが,延長に使った鉄パイプの肉厚がたりないため,力を入れると曲がってしまう。
 そこで,強度を高めるため,別の方法でシャフトの延長を行った。今度は強度的には,十分の強さがある。
 パーツは,すべてホームセンターで調達した。




 ピッケルは,滑落のときなど,自分の命を預けるものだから,
信頼できるもので無ければならない。そこで,強度や使いやすさなどを十分に考えて,改造した。ただ,いつでもオリジナルの状態に戻せるように,ピッケル本体には加工を加えなかった


2019.03.22
 残雪の谷川岳

 残雪の谷川岳に登ってきた。2017年から,3年連続で登っている。時期は,3月半ばから4月半ばまでの間。この時期は,大きな高気圧に覆われ,安定した好天になるときがある。そのときを見定めて登っている。
 スキー場のロープウエイを利用して,天神平からのピストンになる。雪の状態にも寄るが,3時間半から4時間ほどで頂上に立てる。雪は年々少なくなってきている。
 熊穴沢非難小屋の鉄柱の様子で,積雪の量が分かる。 この写真は
2017年4月5日

 この写真は2018年3月26日


 そしてこの写真が今年2019年3月20日 屋根の一部が見えていた。

 残雪期の山は,展示次第で,天国にもなれば地獄にもなる。天気図を読み,天気予報を良く確認して実施日を決めているが,この3年間は,良い天気に恵まれた。こんな良い天気になれば,体力の落ちてきた私にも登ることができる。


2019.03.11
 あの日 (2011.3.11)

 そのとき私は,宇都宮市にある,5階建ての鉄筋コンクリート建物の1階部分の事務室で事務をとっていた。その揺れ方がいつもと違うのに気づいた。
 私は大学で
地球物理を専攻し,地震についても学習した。地震については多少の知識もあり,それなりの判断ができるのだが,この地震だけはちょっと様子が違っていた。
 
宇都宮市は地下に大谷石の大きな岩盤があり,地震については特異な揺れ方をする場所なのだ。宇都宮市で感じる地震の大半は,茨城県南西部の地下80km付近を震源とする地震(一般に筑波山群と言われる)で,初期微動8秒程度で震度2〜3のものが多い。
 しかし今回の地震は少し違っていた。
初期微動と言われる,「ガタガタ」という揺れは全くなかった。大型の船に乗っているような,ゆらゆらとした揺れから始まった。直感的に「これは大きくなる!」と感じた,私は自分に言うとともに近くにいた同僚にそう告げた。揺れはだんだんと強くなったが,なかなか強さのピークを感じさせない。しばらく揺れている内に,私は地震の揺れで初めて「恐怖」を感じた。
 災害の起こるような地震では,概ね震源が近くにあり,揺れを感じると同時に災害を被る場合が多く,揺れを認識できるような地震では,概ね震源から離れており,大きな災害は起こらないのだ。
 しかし,この地震では,揺れを感じながら
際限なく大きくなるような恐怖を感じた。揺れは徐々にピークを迎え,強弱を繰り返しながらだんだんと弱くなってきた。
 余震と言えないような強い揺れが何度か繰り返したが,どの場合も,
どれが初期微動でどれが主要動かの区別ができないような揺れで,そう言う意味でも,今まで体験したことのない揺れだった。
 
 揺れが一段落した時点で,自宅の妻の安否を確認しようと電話を掛けたが,
繋がらなかった。固定電話は回線がすぐに切断されてしまい,携帯電話では「回線が混み合っています・・・・」というメッセージが繰り返されるだけだった。この時は,携帯のメールには気がつかなかった。
 ツイッターに
「自宅に連絡できず,家族の無事が確認できない」と書き込んだら,横浜に住んでいる息子から,携帯のメールで,無事を確認した旨の書き込みがあった。ツイッターのおかげで安心できた。ツイッターは凄い。
 自宅は地震直後から停電しており,固定電話は光電話なので使えなかった。
勤務場所では停電はしていなかった。
 5時に勤務を終え帰宅したが,宇都宮市内は
ところどころ停電しており,停電している地区では交通信号機が動いておらず,交通が渋滞していた。車の燃料が残り少なく,2日前から給油ランプが点灯している。今日の帰宅途中で給油する予定だったが,ガソリンスタンドは停電のため閉店で注油できなかった。
 自宅は停電中。弱り目には祟り目。
携帯電話のバッテリーが残り少なく,赤マークになっている。カーバッテリーからアダプターを使って充電することもできるのだが,燃料が残り少なく,長時間エンジンをかけておくことはできない。
 そこで,
乾電池4個を使い,6Vを作り,直接充電を試みた。これが大成功で,2時間ほどでフル充電になった。趣味の電気の知識が役に立った。
 停電は夜中の1時過ぎに復旧した。

 その後計画停電が実施されたが,実際に停電したのは3月16日と23日の2回のみだった。
 我が家は,2010年に
オール電化工事を行い,ガス給湯器やガスレンジは姿を消した。長時間の停電は初めての経験だったので,どの程度不便なのか想像がつかなかった。風呂を含め,お湯は無くても我慢できるが,炊事には困った。そこで救世主となったのは,カセット卓上コンロだった。食卓で鍋物をするときのために使っていたものが役に立った。燃料のボンベも数本買いためてあったので,なんとかそれでまかなうことができた。
 それ以来,車のガソリンはエンプティマークが出る前に給油し,カセットボンベは買い溜めしておくことにした。



2019.03.03
 過去のブログ記事

 ブログ記事の移管をするために,過去の投稿記事を読み直し,当時の気持ちが少しずつよみがえってきた。我ながら,良いことを言っているなと思う記事もありなつかし。
 一応,全て読み直し,間違いや,誤解しそうな表現を修正した。せっかくだから,できれば他の人にも読んでもらいたい。




2019.03.01
 ブログの変更

 今まで,HPを載せているサーバーが提供しているブログ機能を利用していたが,あまり使い勝手が良くないので,今回,その利用を止めた。
 HPの中にフォルダを新設し,そこにに書き込むことにした。
 書式も,使い慣れたものが使えて,便利になった。
 2005年から現在まで,そこに書き込んだ記録も全て移管した。

 2000年にHPを開設してから2005年までは,プロバイダーの提供する「掲示板」を使っていた。そのときの内容もバックアップは取ってあるので,もしその気になったならば載せることも可能なのだが,あまり古いことを載せるのは適切では無いという気持ちもあり,検討中だ。



2019,2,25
 「熟年夫婦の山日記」のアクセス数が38万を越えました。

 2月24日,「熟年夫婦の山日記」のアクセス数が38万を越えた。2000年7月ににHPを開設してから,18年半のアクセス数になる。
 37万アクセスを越えてから11ヶ月半で1万アクセスを加えたことになり,一日平均のアクセス数は28.9で,徐々に減ってきている。
 最近は山行回数も減少し,その殆どが単独行という,
「看板に偽りあり」の状態なのでやむを得ないかなと思っている。逆に,そんな状態でも,このページに興味を持ち見てくれている人が毎日30人もいてくれると言うことには感謝の気持ちでいっぱいだ。
  健康上の理由で,夫婦での山行が難しくなっている現在,このページの作成方針も検討しなければならないのかもしれない。しかし,夫婦で歩いた過去のレポもたくさん載せてあるので,当分はこのままにしておこうよ思う。これからもよろしくお願いします