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女峰山日帰り登山(表登山口)

期日 1963年(昭和38年) 6月23日(日)
(作成日 2004年12月10日)
 

  

 コース

   和の代 → 荒沢 → 馬立 → 唐沢小屋 → 女峰山 → 唐沢小屋 → 東照宮

「カシミール」で調べると,
  登りは 10.7km,累積高度  1841m
  降りは  9.4km,累積高度 −1883m

  往復20km超の道のりで,高度差1800mを1日で上り下りするのはたやすいことではなかった。

 同行者
       弟


  昭和38年(1963年)6月,女峰山に初めて登った。19歳の時だった。同行者は,2歳年下の弟。本格的な山登りなどしたこともなく,ただ,登りたいという気持ちだけの登山だった。
 荒沢から
裏見の滝入り口を経由して,イズラ峠からモッコ平を登り,馬立から唐沢小屋を経て頂上に立った。帰路は,黒岩コースを下り東照宮に降りた。東照宮に降り立ったときには,長い夏の日が完全に暮れていた。
 日光市の
和の代にある兄の家に泊めてもらい出発したのが5時15分と当時のメモに書いてある。
 背景は,
日光電気製銅所の「和の代住宅」。当時は大きな住宅団地だったが,古河電工の縮小により廃止され,今は更地になっている。


 
荒沢の河原で腹ごしらえをし,いよいよ登り始める。
 荒沢の語源は「
荒れる沢」で,増水時に流れ出した大きな岩がゴロゴロしている。この沢の左岸を少し登ると「裏見ノ滝」に出る。かつては,滝の裏側に入って滝を見ることができたのでこう呼ばれたが,今は(当時も)崩壊が激しく,滝の裏側に回ることはできない。


 クマザサに覆われた斜面をトラバース気味に登っていく。
 裏見の滝から登り初めて間もなく,後ろから追いついてきた人がいた。
古河電工日光精銅所の山岳部の人で,トレーニングのために登っていると言う。

 私たちの様子を見かね,「歩き方を教えるから付いて来なさい」といって,山歩きの仕方を初歩から手ほどきしてくれた。
 左に写っている人がその人。右で,足をあげて寝ているのが私。
 足の運び方,呼吸の仕方。ペース配分まで,全部教えてくれた。私たちは,山の登り方など何も知らなかった。「登りが苦しいときは,靴一足分ずつ足を前に出しなさい。」この時教えてもらったことは,今の山歩きの基礎になっている。



 富士見峠と女峰山への分岐が馬立だ。 ここに馬立地蔵が鎮座している。 コケの衣をまとい,頭に石を乗せられても,じっと瞑想にふける姿は,愛嬌がある。


 この地蔵が馬立のどこにあったか,はっきりした記憶はない。
 最近になって,幾度か志津の方から馬立を通って唐沢小屋方面へ登ったことがあり,歩きながら周辺をきょろきょろしたが,分からなかった。沢沿いに少し下ったところにあるのだと思う。


 唐沢小屋の近くには唐沢不動が立っている。

 41年後の現在(2004年6月19日)の唐沢不動。
 台座が無くなり,光背が割れている。
 光背は針金で補修してあった。



 頂上へ着いたのは11時。5時間と45分かかった。
 
クビに手ぬぐいを巻いているのが私。ムギワラ帽子を被っているのが弟。

 この後の下山については,記録はなかったし,記憶も曖昧だ。ただ,大学で同じサークルのO先輩と,途中で合流して一緒に下山したことは覚えている。O先輩とは,山頂で会おうと約束していたのだったが,山頂までは登れなかったという。