に戻る 思い出の山シリーズ 4
奥鬼怒〜尾瀬へ

期日 1964年(昭和39年) 9月29日(火)〜10月3日(土)
(作成日 2013年5月20日)
 


コース
9月29日(火)  宇都宮⇒川治温泉⇒川俣温泉
         川俣温泉→夫婦渕→八丁ノ湯→加仁湯→日光沢温泉
  30日(水)  日光沢温泉→鬼怒沼→中俣沢→大清水
10月1日(木)  大清水→一ノ瀬→三平峠→長蔵小屋←→小渕沢田代
   2日(金)  長蔵小屋→沼尻→尾瀬ヶ原→山の鼻→鳩待峠
   3日(土)  鳩待峠→戸倉  戸倉⇒沼田⇒宇都宮

 この年の6月に,尾瀬から中俣沢を通って奥鬼怒に抜けてきたのだが,このコースはとても素晴らしく,その時に同行したW君と又何時か来ようねと話していた。紅葉期の尾瀬もまた素晴らしいという話は聞いていたので,秋に再び歩こうと相談をしていた。この話を聞きつけたサークルのメンバーが,是非一緒に行きたいと言ってきた。来るものは拒まずで,結局男子4人,女子3人の7人パーティーができあがった。
 初心者もいることなので,無理をせず,ゆったりとした計画を立てた。貧乏学生の故に,小屋泊まりではあるが,自炊とし,食糧,炊飯道具は担いでいくことにした。

 第1日 9月29日(火)
      宇都宮 ⇒ 川治温泉 ⇒ 川俣温泉  → 女夫淵 → 八丁ノ湯 → 加仁湯 → 日光沢温泉

 当時,奥鬼怒に入るには, まず,宇都宮で川治温泉行きのバスに乗り,川治温泉から川俣温泉行きのバスに乗り換える。現在は女夫淵温泉までバスが行っているが,当時は川俣温泉が終点で,その先は歩かなければならなかった。川俣温泉の先には人家は無く,もちろん女夫淵温泉が出来たのはずっと後のことだ。川俣温泉から女夫淵温泉に向けて,砂利道を歩いていると,後からトラックが追い抜いていって止まった。乗っていかないかという。これは助かったと思い,喜んで荷台に乗った。世の中には親切な人がいるものだと喜んでいたのだが,降りるときになって現実に引き戻された。1人当たりなにがしかのお金を払えと言う。金額は忘れたが,そんなに安い金額ではなかったと記憶している。
 当時,奥鬼怒スーパー林道はまだ出来ていなかったから,女夫淵でトラックを降ろされた私たちは,川の左岸(上流に向かって右側)を歩き始めた。間もなく林道は終わり,登山道となった。日光沢温泉までどのくらいかかったかは,記録もないし記憶にも残っていないが,暗くなる前には着いた。この時期には宿泊者は少ないようで,この日も他に宿泊者はなく,空いている部屋を自由に使って良いと言われた。部屋の片隅に積み上げてある布団も,好きなだけ使うことができた。温泉の湯船は,部屋から長い階段を下りた,河床の高さにあり,窓の外はすぐに河原だった。


 第2日 9月30日(水)
      日光沢温泉 → 鬼怒沼 → 中俣沢 → 大清水

 みんなで分担して朝食を作った。ご飯は飯ごうで炊いた。写真に写っているコッヘルには味噌汁が入っていたと思う。

 日光沢温泉から鬼怒沼まではかなりの登りになる。数日前に通過した台風の影響で,倒木が多く,鬼怒沼まで標準タイムの2倍近い時間がかかった。特に,鬼怒沼に近づいて,傾斜が緩くなると,倒木が増え,太い木が折り重なっているところもあって,乗り越えるのに苦労させられた。しかし,天気はよかったので,楽しい山歩きだった。
 鬼怒沼でもっとも大きな「絹沼」のそばに休憩所があった。



 背景の双耳峰は根名草山

 鬼怒沼で休憩。今は姿を消したが,角材で枠が作られた”ゴミ捨て場”があって,空き缶などがいっぱい捨てられていた。


 鬼怒沼を通り越し,急斜面を下って中俣沢の支流の「東ノ又」に沿って下った。
 大きな滝や崖もなく,歩きやすい道だ。途中で昼食休憩


 汗かきの私は,休憩になると,裸になって汗を拭いた。

 私は,この山行に小さな鉈を持ってきていた。鬼怒沼手前の倒木通過ではとても役に立った。ばかりでなく,昼食時には,手頃な枝を切って削り,お箸を作った。

 昼食を終えて歩き出し,1時間ほど歩いたところで,脇に刺していた鉈が無いことに気がついた。昼食を食べたところに置き忘れて来てしまったのだ。とても大切にしていた鉈だったのだが,自分だけ取りに戻ることもできないので,あきらめることにした。

 大清水小屋には早い時間に着いた。大清水小屋は現在も同じ所にある。
 現在(2013年)の大清水小屋の当主笠原吉雄氏は,昭和31年にここで生まれたと言うから,私たちが訪れたときは8歳くらいだったことになる。写真に写っている女の子は,もう少し年少なので,あるいは,吉雄氏の妹かも知れない。
 例によって「自炊」なので,建物の前で炊事をしている。



 夜が静かだったのは午前0時ころまでで,それ以降朝まで,沼田からの大型バスがひっきりなしに到着した。未舗装の道路を大型バスが通る度,大清水小屋の建物はガタガタと揺れ,とても寝ていられる状態ではなかった。

 第3日 10月1日(木)
      大清水 → 三平峠 → 長蔵小屋


 明るくなるのを待って起きだし,朝食を準備して食べ,バスのハイカーがいち段落したところで,長蔵小屋を目指して出発した。
 一ノ瀬までの林道歩きは今と変わらない。ただ,一ノ瀬の休憩所は,現在は橋の手前にあるが,当時は橋の向側に会ったように記憶している。
 写真の看板には「三平見晴台」と書かれている。大清水から登って,三平峠の手間の場所だったと思うが,現在の場所ははっきりとしない。



 目的地の長蔵小屋までは半日行程だから,昼過ぎには長蔵小屋の自炊小屋に到着した。荷物を置いて,小渕沢田代まで遊びに行った。木道も設置されていない,自然のままの湿原で,静かな素晴らしいところだった。当時は,尾瀬観光の何度目かのブームの時で,長蔵小屋周辺はかなり混雑していたから,小渕沢田代の静けさが心地よく感じられたのだと思う。















 第4日 10月2日(金)   長蔵小屋 → 沼尻 → 見晴 → 山の鼻 → 鳩待峠(鳩待山荘)
 翌日は天気が崩れた。この時期は,雨になると寒くなる。朝のうちは降っていなかったが,間もなく小雨が降り出した。前列にいる男性は,長蔵小屋自炊部のスタッフ。


 竜宮小屋で一休み。このあと雨が降ってきて,カメラをザックの中に入れてしまったので,この後の写真はない。当時はカメラは貴重品で,大切に扱わなければならなかった

 この日は,この後,尾瀬ヶ原を横断して山ノ鼻から鳩待峠まで登り,鳩待山荘に宿泊した。
 鳩待山荘の宿泊券がアルバムに残されていた。なんと,1人1泊300円だった。




 第4日 10月3日(土)   鳩待峠(鳩待山荘) → 戸倉 ⇒ 鎌田 ⇒ 沼田 ⇒ 宇都宮

 翌日は戸倉まで歩き,戸倉から沼田行きにバスに乗った。沼田からは上越線と両毛線,東北線を乗り継いで宇都宮に戻った。
 鎌田から,路線バスで金精峠を越えて日光経由で宇都宮に戻ったように思っていたのだが,金精峠の開通は翌年秋だったので,この時点では通れなかったことが分かった。