に戻る 思い出の山シリーズ 5
残雪の男体山

期日 1965年(昭和40年) 4月25日(日)
(作成日 2008年10月23日)
 


コース


宇都宮駅(電車)⇒日光駅(バス)⇒中宮祠

 中宮祠 → 表男体林道 → 4合目 → 頂上→

 → 4合目 → 林道 → 中宮祠

中宮祠(バス)⇒日光駅(電車)⇒宇都宮

 宇都宮市街の東にある大学の屋上から日光の山を見ていたら急に男体山に登りたくなり,翌日の日曜日,宇都宮発の始発電車に乗っていた。
 宇都宮発の日光行き始発は
6時15分発,何度も乗ったので,今もはっきり覚えている。そのころは既に,馬返しまで行っていた路面電車は廃止され,日光駅から中宮祠まで直行のバスが運行されていた。中宮祠には大きなバスターミナルがあり,日光湯元まで行く場合には,ここで乗り換えなければならなかった。
 第二いろは坂が開通したのが
1966年だから,この時はまだ,第一いろは坂(当時は単に「いろは坂」と呼んでいた)を対面交通していたことになる。
 それまで,雪のある山に登ったことはなかったので,行けるところまで行ければいいと思っていた。二荒山神社の登山口に行くと,
登山口の扉は閉じられていた。男体山の山開きは例年5月5日だという。何とか登らせてもらえないかというと,冷たく「ダメ」。仕方なくバスターミナルの方に歩いていくと交番があった。事情を話して,何とか登る方法はないかと相談すると,「男体山は二荒山神社の物なので,神社がダメというならダメですね。でも,中宮祠小中学校の裏山を少し登ると林道に出られ,林道を進めば登山道に出ますよ。」と教えてくれた。
 
中宮祠小中学校の校舎の右側を通り,裏山に入った。はっきりした記憶はないのだが,けっして歩きにくいところではなかったように思う。ほどなく林道に出た。
 林道に雪は無かったが,斜面から崩れてきた大小の岩石が路面に転がり,かなり荒れていた
 まだ,手入れはされていない様子だった。


 しばらく林道を歩き,やっと「三合目」の標石が出てきた。
 これもまた,記憶がはっきりしないのだが,当時は三合目から山道に入ったように思う。現在は三合目から四合目まで林道を歩き,四合目から山道になっている。


 四合目
 この標石の位置は現在の場所とは違う。

 五合目 この標石の位置も現在の場所とは異なる



    六合目 現在の六合目標石は大きな岩の上にある。


 七合目 この標石の位置は現在も変わっていない
 
 この辺りまで登ってくると見晴らしが良くなる。



 中宮祠を見下ろす。この写真には,明智平から中宮祠に向かう自動車道路が写っている。この道路は東武鉄道の専用道路で,ケーブルカーの明智平駅中宮祠バスターミナルを結ぶバスが往復するために使われていた。1966年に,第二いろは坂の開通に伴って栃木県が買い上げた。第二いろは坂は一方通行なのに対し,明智平から中宮祠までのこの道路は対面通行で,これは現在も変わっていない。観光バスの大型化などの理由により,新しくトンネルを掘り「明智平バイパス」が開通したのは平成6年3月30日だった。


 国土地理院の2万5千分の1地形図には,まだ旧道が載っているが,旧道は,今は完全に閉鎖されている。

 図に赤い線で示した道路が現在の道路「明智平バイパス」だ。


 八合目まで登って来ると,日陰には雪が残っている。登山道は日当たりが良いので,雪は融けている。


 雪が解けたところに,コケモモが姿を現した。


 八合目を過ぎると,傾斜は緩くなるが,登山道も雪で覆われているところが多くなる。
 九合目の標石は,頭だけ覗かせている。


 男体山は,別名「黒髪山」,山頂まで木が生えている。



 登山道に,大きな倒木が横たわっている。山開きも間近だが,それまでには整備されるのだろう。

 山頂の鳥居をくぐると,二荒山神社の奥宮がある。
 現在の頂上標石は,形も位置もこれとは違うようだ。


 すぐ北隣にある太郎山。山頂直下のお花畑がよく見える。



                遠くに見える稜線は,地蔵岳・夕日岳工事中の第二いろは坂も見える。


 左に,女峰山・帝釈山の稜線が見える。左に山頂の大剣,その脇に三角点測量のための櫓が見える。



 途中までと思って登ったものが,好天に助けられて頂上まで行ってしまった。靴だけはしっかりした山靴を履いていたので問題はなかったが,何度か,残雪を踏み抜き,膝上まで潜ってしまった。雪の踏み抜きを体験したのも,この時が初めてだった。