に戻る

思い出の山シリーズ 6
奥 穂 高 岳
1980年(昭和55年) 8月5日(火)〜8日(金)
(作成日 2004年12月30日)



コース
8月
  5日(火) 宇都宮⇒新宿⇒松本⇒(タクシー)⇒上高地→明神→徳沢→横尾山荘(泊)
  6日(水) 横尾山荘→本谷橋→涸沢→ 穂高岳山荘→涸沢岳→穂高岳山荘(泊)
  7日(木) 穂高岳山荘→奥穂高岳→前穂高岳→岳沢ヒュッテ→上高地⇒松本(穂高温泉)
  8日(金) 松本 ⇒(夜行)⇒ 新宿 ⇒ 宇都宮


同行者
  松本,阿久津,渡辺,黒尾,齋藤,人見,増渕,山口,増渕

 当時私は,宇都宮市内の中学校 に勤務していた。 プライベートでは,子どもたちを連れて日光の山などに登っていたが,北アルプスなどに行ったことはなかった。
 夏休みを前にして,あれこれ夏休みの計画をしている中で,同僚の M先生が,奥穂高 行きを計画してくれた。全くの初心者も含めて奥穂高 に登るという。経験のあるのは,リーダーのM先生 を除くと,養護教諭のM先生 くらいで,私を含めて,あとは,たいした経験はなかった。
 下の写真にあるとおり,総勢10人のグル−プ になった。多少経験のある私は,一応,最後尾を受け持った。

8月5日(火)
 早朝国鉄宇都宮駅 に集合し,東北線,国電を乗って新宿駅から 松本に向かった。時々雨のぱらつく天気で,途中で見えるはずの 南アルプスも,見えなかった。
松本駅からは, タクシーに分乗して 上高地に向かった。 今でもそうだが,電車・バスと乗り継いでも,タクシーで行っても料金に大差はなかった。
 松本駅 に着いたときには,天気も回復し,強い陽射しが照りつけていた。

 奈川戸ダムの展望台で記念撮影。
この10人が,この山行の参加者。後列右端の無帽が私。


 松本駅では良い天気だったが, 上高地に近づくにつれて,空模様が怪しくなり,ついに 雨が降ってきた。

 河童橋 のたもとで記念撮影。このときは雨も激しくはなく,雨具を着ていない人もいる。


 河童橋から, 梓川の流れをのぞき込んでいる。

 だんだんと強くなった雨の中を必死に歩き,やっとのことで横尾山荘 へたどり着いた。
横尾山荘では,乾燥室 がフル稼働しており,濡れた物は全て乾かすことができた。
 初めての山小屋泊り で,驚くことばかりだった。10人の団体だったので,1室をあてがわれた。 明日に備え,早々に布団に入ったが,隣室が夜遅くまでギターを弾いたりして騒いでおり,なかなか寝付けなかった。 私は,ついに業を煮やし,「静かにしてくれ 」と怒鳴り込んだ。そこは従業員の部屋 だったが,彼らは文句を言わずに静かにしてくれた。 日頃「おとなしい 」と思われていた私の,思わぬ一面を見た仲間達は驚いていた。

8月6日(水)

 本谷橋。現在は立派な吊り橋になっているが,当時は, 丸太を渡しただけの橋だった。

 本谷橋を渡った対岸は,絶好の休憩ポイント 。ここからは,いよいよ傾斜が増した本格的な登りになる。


 涸沢の手前に,涸沢ヒュッテと唐沢小屋の分岐 がある。(正面中央右奥に標識が見える。)ここには例年遅くまで雪渓 が残っている。(最近では雪渓が残っていない場合が多い。)

 唐沢小屋。ベランダの手すりに布団が干してある。 唐沢小屋で休憩し,いよいよ ザイテングラードの登りにかかった。


 苦しいザイテングラードを登り切って, 穂高岳山荘に到着した。小屋の前でとりあえず「 乾杯


穂高岳山荘の前の私
36歳

 ウールのニッカボッカにストッキング,靴はミズノの革靴。この革靴は20年以上も履いていた。


 山荘にチェックインした後,日没を見るため,涸沢岳 に登った。
 一面の雲海の彼方,遙か遠くに白山の姿が離れ小島のように見えた。 夕日は, 笠ヶ岳 の向こうに広がる雲海に沈んだ。一瞬,上空に広がる雲が黄金色に輝いた。


 陽が沈むと急速に暗くなった。
 山荘に向かって急いで山を下りているとき,ちょっと 異様な風体の中年男性が山荘方向から登ってきた。 ワイシャツにズボン,運動靴に小さなナップザック,そしてどういう訳かピッケルを持っていた 。疲れのためか口の周囲には白い泡が着いていた。 異様な姿とともに,薄暗くなりかけたこの時間に,山頂の方向に向かっていくこの男性の尋常でない様子に,声を掛けた。
 「これからどこまでいくんですか?」
 「穂高山荘まで
 「じゃー道が反対ですよ」
 「いや,これでいいんだ
 何度か押し問答を繰り返したが,頑として私たちの言うことを信じようとしない。 私たちも山荘まで行くんだから一緒に行こうと 半ば強引に腕をつかんで,つれて下った 。かなり疲れていたらしく,それからは殆ど口を開かなかった。夕食時に彼の姿を探したのだが,見つからなかった。 山荘の従業員の話では,食事も取らずに寝込んでいたらしい。
 薄暗がりの中の奇妙な出来事は,今考えても不思議でならない。もしかしたら,幻だったのかもしれない

 夕食後,食堂で穂高の四季 を撮した映画を見た。特に,冬の美しさには感動した。
 寝る前のひととき,外に出て星空を眺めた。3000mの高度で見る星空は素晴らしく, 正に,手の届く近さで今まで見たことのない無数の星が瞬いていた。

8月7日(木) 

 山荘の前のテラス には,日の出を見るために,多くの人が集まっていた。眼下には一面の雲海が広がっていた。その雲海に, 常念岳の尖った山頂が特徴的な姿を現していた。
 雲海と空を区切る一線がオレンジ色に輝き,その輝きがだんだんと強くなると, 常念岳 の右肩のあたりの雲海から,太陽が姿を現した。太陽の上に伸びる光の帯は,「 太陽柱」または「 サンピラー」と呼ばれる自然現象で,極めて珍しいものだ。
 太陽の光が顔に当たると,急に暖かくなる。
 小屋に戻り,朝食を食べ,奥穂高岳を目指して出発した。

 奥穂高岳山頂 。風が強く寒かった。北岳より2m低いので,それを追い越そうとして積んだと言われる石積みの上で。 (この話は寓話のようだ)

 吊り尾根を通過し,紀美子平に荷物をデポして前穂高山頂 に向かった。前穂山頂は,奥穂より広くゆったりと記念写真を撮ることができた。
 戻った紀美子平では,ライチョウ の親子にも会えた。


 紀美子平からの降りは,穂高岳山荘の初代オーナー 今田重太郎が開いた「 重太郎新道 」。ハシゴやクサリを使い,一気に高度を下げていく。降り始めるとすぐに 岳沢ヒュッテの赤い屋根が見えるのだが,なかなか近づかない。
 やっと着いた岳沢ヒュッテ の前は,多くの登山者でごった返していた。ここで昼食をとり,あとは 上高地目指してひたすら下った。

 上高地からはタクシーに分乗し,松本へ向かった。 松本では駅近くの温泉施設(信州会館?) に行き,汗を流し夕食を食べた。 そして,深夜に松本駅を出る新宿行きに乗り込んだ。

  この山行は,私の初めての北アルプス だった。日光や尾瀬とは違った華やかさと, 設備の整った山小屋 。そして,全国から集まる登山者。どれも全て初めての体験だった。
 登ること自体は苦痛ではなかったし,吊り尾根も楽しく歩けた。 初日こそ雨に降られたが,あとの2日間は好天に恵まれ,北アルプスの素晴らしさを体験できた山行だった。