に戻る 穂高岳山荘のこと

 1999年8月7日から,19年ぶりに奥穂を訪れ,19年前と殆ど同じコースを辿った。(奥穂高岳 1999.8.7)

穂高岳山荘は,昔の面影が残っていた。


1980年8月6日の穂高岳山荘


穂高岳山荘で(1999年8月8日)

前列 左端が私の弟,2人目が穂高岳山荘のオーナー今田英雄さん。その隣が山岳画家の田立靖彦さん。右端は,穂高岳山荘に常駐している岐阜県警察山岳警備隊の谷口光洋さん。谷口さんのことは,山と渓谷社発行の「山靴を履いたお巡りさん」に詳しく書いてある。
2列目 左端が弟の妻。二人目が私の妻。最後列が私。


 バンザイ

 山荘の前の石畳にあぐらをかき,車座になってビールを飲んだ。ここを「雲上のテラス」というのだそうだ。持っていった350ccのナポレオンも格別に美味しかった。
 雲上のテラス
 私たちが景色を堪能していると,山荘オリジナルのTシャツを着た人が話しかけてきた。おもしろいTシャツで,背中に稜線の絵と,英語もどき(ローマ字)の文字がはいっている。このTシャツは残りが少なく,もうじき売り切れるとのこと,さっそく買ってきた。
 いろいろおもしろい話をきいているうちに「
ところで,わたしがここのオーナーだってこと知って話してるの?」と。私がおそるおそる「英雄さんですか?」ときくと,「なんだ知っているんじゃない」。

 今田英雄さんは,穂高で最も早く山小屋をこの地に開いた今田重太郎さんの甥で,知る人ぞ知る有名人。私も名前は知っていたが,顔は知らなかった。気むずかしい人で,気が向かないと一緒に写真にも入らない人らしい。このときは上機嫌で,涸沢のあなぐらのような所にいる長野県山岳救助隊の話や,燕山荘が「山と渓谷」に出そうとした「女性求む」の広告の話,長野県で出した案内に穂高岳山荘が載っていない話などいろいろ話してくれた。一緒に写真も撮ってくれた。
 英雄さんが小屋に戻ると何かを持ってきて,私たちにくれるという。「
風と太陽の稜線で 穂高岳山荘物語」というビデオテープだ。この中に,山岳画家の田立靖彦さんも出てくる。穂高岳山荘は岐阜県と長野県の県境に建っている。今田さんは岐阜県の人である。

 前穂高の頂上直下に「
紀美子平」という所がある。「平」と言うほどの平坦地ではないが,傾斜が緩く,多くの登山者はここに荷物を置いて前穂の山頂を往復する。紀美子平は,穂高岳山荘を開いた今田重太郎さんので,山荘のアイドルだった紀美子の名前をとって付けられた。紀美子は若くして他界し,紀美子の兄の英男氏が山荘の経営を継いでいる

 
穂高岳山荘の建っている場所は「白出のコル」という。岐阜県側に白出沢と言う沢があり,それを詰めたコルだからそう呼ばれる。昨年,槍ヶ岳に飛騨側から登ったとき,新穂高温泉から槍平小屋まで右俣谷に沿って登っていった。2時間ほど登ったところで,白出沢を横切る。そこに,「白出小屋」という避難小屋がある。そこで,穂高岳山荘で常駐している岐阜県山岳警備隊に出会った。これから常駐のために山荘まで登るという。4時間くらいで行けるだろうと言っていた。ちなみに,標準タイムは5時間40分である。