に戻る 女峰山への憧れ

 
5時間45分の苦闘の末に立った頂上 1963年6月
手ぬぐいを首に巻いているのが私
麦わら帽子を被っているのが弟



第2回目の登頂は 1964年8月22日(頂上で出会ったパーティーと一緒に撮影)
右端が兄,その1人置いて左が私,
その左で座っているのが私の友人のHさん
左端が弟


 2004年9月12日(山行記録)霧降から女峰山を往復した。かなりのロングコースで,たっぷりと10時間かけて往復した。今年2度目の女峰山だった。前回は,6月19日(山行記録)に,志津から往復した。
 更に前々回は,2001年7月14日(山行記録),予定した槍ヶ岳登山を2週間後に控え,足慣らしのために登った。

 
女峰山に初めて登ったのは,昭和38年(1963年)6月,19歳の時だった。(山行記録)同行者は,2歳年下の弟。本格的な山登りなどしたこともなく,ただ,登りたいという気持ちだけの登山だった。日光市の和の代にある兄の家に泊めてもらい出発したのが5時15分。そこから裏見の滝を経由して,イズラ峠からモッコ平を登り,馬立から唐沢小屋(無人)を経て頂上に至るコースだった。帰路は,黒岩コースを下り東照宮に降りた。頂上へ着いたのは11時。5時間と45分かかった。
 裏見の滝から登り初めて間もなく,後ろから追いついてきた人がいた。古河電工日光精銅所の山岳部の人で,トレーニングのために登っていると言う。私たちの様子を見かね,「歩き方を教えるから付いてきなさい」といって,山歩きの手ほどきをしてもらった。足の運び方,呼吸の仕方。ペース配分まで,全部教えてくれた。私たちは,山の登り方など何も知らなかった。「登りが苦しいときは,靴一足分ずつ足を前に出しなさい。」この時教えてもらったことは,今の山歩きの基礎になっている。

 2回目の女峰山登山は,翌
昭和39年(1964年)8月。同行者は,前年一緒に女峰山に登った弟と,兄,それに私の友人1人を加え4人だった。コースは,日光表連山の縦走を予定していたが,初日は朝から強い雨のため男体山の登山を断念して戦場ヶ原から裏男体林道を歩いて志津小屋(無人)に一泊。次の日には大真名子山小真名子山を縦走し,富士見峠から帝釈山女峰山を経由して,唐沢小屋に宿泊。三日目に女峰山から赤薙山を通って霧降に下るコースだった。初日は朝から雨,二日目,三日目も,朝のうちは晴れていたが,昼前から雨。とにかく雨の中の三日間だった。

 女峰山は,現在でも
日光では最もきつい山である。奥白根山は,日光湯元からのコースはきつかったが,菅沼からのルートが整備され,だれでも登れるようになった。(最近は丸沼からのリフトも動き出した。)女峰山も,最近は志津乗越から往復することができるようになり,日帰りもできるようになった。かつては,東照宮から登るコース(黒岩コース)でも,裏見ノ滝から登るコース(馬立コース)でも,よほど健脚でないと日帰りはできなかった。私たちが最初に登ったときも,下りで日が暮れてしまったことを記憶している。

 女峰山は,名前とは裏腹に,男体山よりずっと男性的で,帝釈山へのヤセ尾根など,アルペン的な雰囲気がある。また,風の流れの関係か,天候も変わりやすく,ガスの発生も多い。昨年(2001年)7月に登ったときも,山麓では良い天気だったのに,頂上付近はガスに覆われ,早々に下山せざるを得なかった。

 女峰山は,簡単には受け入れてくれないところに,また魅力がある。機会を捉えて,登り続けたい。