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三斗小屋宿跡 |
三斗小屋宿跡の大灯籠![]() 会津中街道 は, 会津若松 から 大峠 を越えて, 氏家町阿久津河岸 に至る約123kmの道で,元禄8年(1695)に自然災害で通行できなくなった 会津西街道 に変わる道として開かれた。主として 会津藩 や 会津南部の幕府領 の 廻米輸送 に利用され,一時は 参勤交代 の大名行列にも利用されたが,やがて 会津西街道 の復旧に伴い交通量が激減した。 慶応4年(1868) 戊辰戦争 に際して,沿線の村は被害を受けた。 24戸もの家が建ち並んでいた三斗小屋宿 は全戸焼き払われ, 板室宿 も2戸を残して全焼してしまった。 その後も 会津南部 と 阿久津河岸 を結ぶ近道として利用されていたが,明治37年の 磐越西線の開通 により,荷物輸送路としての使命を終えた。 このようにして三斗小屋宿は地図から姿を消したが,その歴史的価値を見直す動きを受 け, 那須北ライオンズクラブ の事業として昭和58年度から 石灯籠 などの復元を行い,現在に至っている。 |
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