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ブログ 独 り 言 2007 |
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2007.01.10 山スキー 1月7日〜8日は,爆弾低気圧の通過で山は大荒れだった。悲しいことだが, 週末に天気が崩れると,遭難事故が増える。 週末しか山に入れないという同情すべき事情はあるのだが,山を甘く見てはいないだろうか。生来臆病者の私にはどうしてもそ のように見えてしまう。 特に,今回報道された事故(?)の多くが, スキー(ボード)を利用した人たち だ。近年, バックカントリースキー の人気が高まっているようだが,この中には,安易に 「雪山」 の領域に踏み込んでしまう人も少なくないようだ。 昨年4月9日に 谷川岳 に登ったときも, 悪天候のために途中で引き返した私たちとすれ違って登っていく スキーヤー・ボーダー がたくさんいた。
その中には,ボードを小脇に抱えただけで,何も持たずに登っていくボーダーもいた。 その時私をガイドしてくれた雪山のベテランが 「これ以上進むのは無理」 と判断して戻ってきたのだから,遭難の危険度はかなり高かったはずだ。 確かに,スキーやボードは高速で移動でき,危険な場所からの脱出も速い。これは,いつもつぼ足で歩いている私にとっては 羨ましい限りなのだが,反面,コースを間違ったときのダメージが大きくなることも知らなければならない。 山歩きでも,山スキーでも同じことなのだが,的確な判断が 自分の命を守り,他に迷惑をかけないこと に繋がる。的確な判断のためには気象や地形,雪の性質などの学習の他に, 「経験」 という学習もまた大切なのだが,命を賭してまでの学習は,私はしようとは思わない。 2007.01.19 栃木県立宇都宮東高等学校附属中学校 先日,栃木県初の 「公立中高一貫校」 の入学者選抜が行われた。 新聞報道によれば,募集定員105人に対し,966人が出願したという。実際に 適性検査 を「受検」したのは950人で, 適性検査合格者 の中から抽選で入学者を決めるという。 抽選の導入については様々な論議があるが,受験競争の低年齢化を招かないために,学校教育法施行規則で, 公立の中高一貫校の中学校では学力試験をしないこと が定められいる。 つまり,適性検査は, 「優秀な者を選抜する」 のではなく, 「不適格者を除く」 ために行うのだ。栃木県教委も 「これらを踏まえ,抽選をすることにした。順番をつけるのではなく,中高一貫校で学ぶ意欲と適 性の一定以上の水準があれば入学候補者とする。候補者全員に入学してほしいが定員があるので,最後は最も平等で公平 な抽選をする。」 と説明している。 しかし,発表された検査合格者の人数を見て疑問が残った。受験者950人のうち, 検査に合格したのはたったの182人 だった。なんと, 768人もの受験者が「不適格者」 とされたのである。この学校には, それほどハイレベルなエリートしか入学する資格がないのか 。県教委の説明が,何とも空々しく聞こえる。 大手の 学習塾担当者 は, 「この適性検査で高い得点を取るためには,塾などで特訓しなけれ ば無理だ」 と言っており,県教委の言っている 「学校できちんと授業を受けていれば十分に答えられる。」 と,真っ向から対立している。 「過度の受験競争,受験競争の低年齢化を招かないように」 配慮されたはずなのだが,結果として,受験競争と受験競争の低年齢化に拍車をかけた形になっている。次年度の入学者選抜が どのように行われるかは,今のところ未定だが,大きく変わることはないだろう。だとすると,入学希望者は競って 塾に駆け 込むことになるのだろうか。 学校側にも同情する事情はある。鳴り物入りで開校した学校であり,どうしても「結果」を求められる。 「結果」 とは,6年後に一流大学へ合格させた人数でのことであり,とすれば,少しでも学力の高い者を入学させたいと思うのは,学校 当事者としては至極当然なことなのだ。 「結果」は,大学への合格率だけではないだろうなどと言っても,そんな言葉はもはや通用しないところまできているのか。 2007.01.30 「女性は産む機械」発言 失言を擁護するつもりはないが,最近のマスコミの扱いには 嫌気がさしている ので,ひと言。 「女性は産む機械」と発言したとのことで, 柳沢伯夫厚生労働相 がマスコミからの集中砲火を浴びているが,本当にそのように言ったのだろうか。新聞やTVの画面を注意深く調べてみると, 報道されていることと,ややニュアンスが違っているような気がする。 新聞では,どの新聞も概ね 「(女性は)産む機械」 と表現している。この ()括弧書き は,直接にはそうは言っていないが,前後の関係からそう解釈できるとして 付け加えられたもの だが,その解釈が正しいかどうかは,読者には判断することはできない。よく言えば 分かりやすくする ため,悪く言えば, 読者の解釈を誘導するため に付け加えられていると思われなくもない。 新聞は 「真実の報道を使命としている」 といっているが,これが怪しいことはだれもが知っている。 身内の不祥事は隠し,ライバル社の問題には箸を棒のように報道している。 TVやラジオになると,もっとひどい 。『女性は産む機械と発言した柳沢厚生労働大臣は・・・・』 となる。このように言われると,もう,誰でも直接にそう発言したと信じてしまう。原稿には括弧書きがあるのかも知れないが, 言葉になるとその差はなくなってしまう。 重ねて言うが,私は失言を擁護するつもりはない。しかし,失言を恐れすぎて,原稿にあることしか発言しない政治家,失言 を恐れてか,言いたいことは何一つ言わない政治家が増えすぎているのも事実であり,寂しいことだ。 2007.05.21 ヤマオダマキ 我が家の庭に咲いた ヤマオダマキ (2004.05.27)
我が家の狭い庭には 「キバナノヤマオダマキ」 がいたるところに芽を出している。ブロック塀の根本や敷石の隙間など,その生命力には驚かされる。 長野県 の小諸から鹿沢に抜ける途中の 地蔵峠 から, 高峰林道 を高峰に向けて少し走ると, 池ノ平湿原 に着く。数十年前,そこで初めて ヤマオダマキ に出会った。 八ヶ岳や浅間山塊 のヤマオダマキは紫色が薄く,殆ど黄色に見える。そのため,これを 「キバナノヤマオダマキ」 と呼んで区別することが多い。 池ノ平からの帰路,地蔵峠から奈良原に下る途中,道ばたでその 種子を採取し持ち帰った。 秋に蒔いた種子は,冬が過ぎ春になっても芽を出してはくれなかった。諦めかけていた夏のはじめ,たくさんの小さな芽を出し た。 その年は花は咲かなかったが,かなり大きくなった。次の年,可愛い花を咲かせてくれた。それ以来,しばらくはおとなしく していたのだが,環境に順応できたのか,種子が自然に飛び散り,増え始めた。 ヤマオダマキ はキンポウゲ科の多年草で,ミヤマオダマキが高山帯に生育するのに対し,ヤマオダマキは低山に生育する。 オダマキ(苧環) とは,紡いだ麻糸を巻いて中空の玉にしたもので,花の形がそれに似ているという。 2007.05.22 五月晴れ 「さつきばれ」 は, 梅雨の合間の晴れ間 と言う意味なのだが,最近では梅雨に入る前の 「5月」の晴れ間 という意味で用いられることが多い。これは明らかに誤用なのだが,気象庁が天気予報などで使う「気象用語」に登録されたこ とから市民権を得て,誤用の方が一般的になってしまった。 この混乱は, 旧暦5月と新暦5月を混同したこと にその原因があるのだが,そんな例は他にもたくさんある。 「五月晴れ」を梅雨に入る前の晴天を指すとすれば,梅雨の長雨を指す 「五月雨(さみだれ)」 はどう解釈するのだろうか。 梅雨に入る前の晴天は,湿度が低く,非常に爽やかなのに対し,梅雨の合間の五月晴れは,湿度が高く,強烈な陽射しで夏を 思わせる天気だ。 両者は明らかに違いがあるのだ が,そんなことはどうでもいいことなのだろうか。 私の記憶によれば,気象庁も,初めのうちは梅雨に入る前の晴天を 「五月晴れ(ゴガツバレ)」 と呼んで (サツキバレ) と区別していたように思うのだが。 言葉は使われていくうちに変化していくものだが,”誤用”とされていたものが,「みんなが使うからそれで良い」と言われ ると,何とも釈然としない。 2007.05.22 サマータイム 経団連と自民党が 「サマータイム」 の導入を推進しようとしている。 欧米では何年も前から実施して,それなりに定着していると言うが,何でも欧米をまねすればいいというものではない。 混乱を招くだけで,何のメリットもない制度 だと,私は思っている。 「仕事が終わった後,日没までの時間が増え,アフターファイブを充実して使えるようになる。」 というのが表向きの理由だが,優雅にアフターファイブを楽しむことのできる人は,はたしてどれくらいいるのか。現実は,勤 務時間が終わっても帰宅できず,サービス残業を強いられている人がたくさんいる。私の周囲を見回しても,優雅にアフ ターファイブを楽しめる人は殆どいない。 この問題に経団連が一役買っているのは,ホワイトカラーエグゼンプション制度と相まってサービス残業を合法化しようとた くらんでいるとも疑いたくなる。 過去にも,終戦直後, 進駐軍の指示 で サマータイム(当時は「サンマータイム」と言っていた。) を実施したことがあったが,日本の生活習慣には合わないということで,まもなく中止になった。 もう一つ,実施のメリットとして 「省エネ」 を挙げているが,納得できる説明はされておらず,私は,それほどの省エネ効果はないと思っている。 最近,錦の御旗のように,なんでもかでも”省エネ”を振りかざしているが,これは,単なる企業や個人の光熱費の節約の問 題 ではなく, 社会全体のトータル で考えなければならない問題なのだ。 例えば,電気自動車も,そこで使う電気は,発電所で石油を燃して発電している。とすれば,石油を燃して電気を起こし,そ の電気で自動車を走らせるより,エンジンで直接に石油を燃して車を動かした方が遙かに効率が良い。この方が,限りあ る資源を有効活用する”省資源”なのだ。 2007.07.09 スポーツ特待生 高校野球の特待生問題 が,再びマスコミに登り始めた。 "アスリートの育成" とか "子どもの夢を大切に" とか,きれい事が並べられているが,そんなことばかりじゃない。 高校野球は,「甲子園」を主催するA新聞社を初め,マスコミにとっては格好の素材であるから,マイナスイメージはなかな か記事にはならない。 1 「特待生は,一般生徒の授業料で授業を受けている」 特待生といっても,その分のお金をだれか(学校法人など)が出しているわけではない。私学は,生徒の授業料や各種補助金 で経営されており,もし赤字になれば法人が穴埋めをするが,そうでない限り,総収入で経営されている。乱暴な言葉だ が,表題のような言い方もできるのである。 2 「特待生は私学の広告塔」 ひとたび甲子園に出場すれば,新聞やTVで学校の名前が連日報道され,知名度は一度に高まる。もし,同じだけ有料で広告 を出したならば,数千万円あるいはそれ以上かかると言われる。私学経営にとって,甲子園大会は最大の広告効果がある のだ。 3 「私学と公立校の不公平」 高校生で野球をやっているのは私学だけではない。ところが,全国大会に出てくる高校は 圧倒的に私学が多い。 私学は,特待生で優秀選手を獲得できるが,公立校ではそのような制度はないから,優秀選手を集めるのには限界がある。これ らが,同じ土俵で戦うのは,どうしても不公平だという気がしてならない。 4 「野球は特別」か 他の競技では特待生が認められているのに,野球で認めないのはおかしいと言う声を聞く。一応もっともな意見だが,これも, 背景を考えないと簡単には同意できない。高校や中学の部活動でも,本来サッカー部やバスケット部などと同じに扱われ なければならない「野球部」が, 特別扱い されていることが多い。 野球の頂点には 「プロ」 があり,その経済規模は莫大である。サッカーやバスケットにも「プロ」があるが, 「プロ野球」 に比べてその経済規模は比較にならないくらい小さい。その意味で「野球は特別」なのだ。 野球少年達がプロを目指して夢を見るのも,そこに経済的成功があることは否めない。松坂の契約金が100億とか聞くと, そこに夢を抱くのは当然のことだ。 5 野球には金がかかる 野球部の活動には金がかかるのは事実である。用具費などは他の競技と大差ないが,最もかかるのが 遠征費 である。野球部は,遠征によって練習試合を重ね,強くなっていく。この経費は全て 受益者(保護者)負担 になる。 甲子園大会出場 にも巨額の経費がかかる。開会式に参加し,第1試合が大会5日目などとなると,もう悲劇だ。遠方からの参加になれば,途中 帰省することもできず,練習や観光で時間を潰し,旅館に居続けることになる。 甲子園大会出場が決定して,学校関係者がまず最初にやらなければならないことは, 寄付集め である。卒業生や地域の商店街を廻り,寄付を募っていく。景気の良いときならいざ知らず,不景気の今は,寄付金もあまり集 まらない。そこで, 在校生や職員から半強制的に寄付をさせる ことになる。 6 学校教育とスポーツ活動 スポーツ活動によって,様々な教育効果を得られることは十分に理解できる。しかし, スポーツに「学校教育」と相容れない部分があることも事実である。 ある国会議員が 「オリンピックで金メダルを取れないのは,学校で勉強ばかりやらせているからである。もっとス ポーツをさせないとだめだ。」 と息巻いていたが,これには誤解がある。 (こんなレベルの国会議員が多くて悲しい) 学校教育で行うスポーツは 「学校体育」 の一環であり,決して 「スポーツ選手の育成」 ではない。学校体育の対象は一般の市民であり,選ばれたアスリートではない。トップアスリートを育成するためには,そのよ うな仕組みが必要であり,そこまで学校にやらせようとしてもそれは無理な話だ。 2007.07.17 地震の予知 中越沖を震源とする地震 が発生し,多くの被害が出た。地震が起こる度に 「地震予知」 が話題になるが,地震の発生を予知することはほんとうに可能なのだろうか。 結論を言うと,現時点では,何時どこでどの程度の地震が起こるかを予測することは 不可能 である。 私は大学で 地球物理 を専攻し, 地震計の感度測定 を卒論のテーマにした。あれから40年も経ち,その間に研究も随分と進んだが,まだ,予知の段階までにはなっていない。 将来的に,地震計の数を増やし,平面的,立体的(地下)に観測網を整備すれば,ある程度の予測は可能になるだろうが,し かしそれでも, 「何時起こるか」 までは,予測することはできないだろう。 地下の岩盤に,地殻運動の大きな力がかかると, 岩盤の歪み としてそのエネルギーが溜まっていく。その歪みが限界に達したとき,岩盤が 破壊 されることで 歪みが解消 され,エネルギーが放出される。これが 地震 である。従って,地下の岩盤の 歪み具合 を調べることで, エネルギーの溜まり具合 を推し量り,そのことを基にして地震の起こる可能性を推測することができる。このことはすでに実行に移されている。しかし, その限界がどこにあり,それを越えるのが何時になるのかは,地下の岩盤の構造によって大きく異なるため,一律に予測 することは不可能なのだ。 地震による被害を出さないためには, 地震によって倒れない壊れない建物を建て,設備を作れ ばいい。分かっていることだが,これがなかなか難しい。しかし,地震の予知とは異なり,やるべき事ははっきりしている。問 題は, 経済的な問題 だけである。 特に,ライフラインと言われる 上下水道,電気 については,万全の対応が急務である。但し, 都市ガス については,パイプによる一括供給というシステムそのものが,地震の際の安全性から考えると検討の余地が残る。 2007.09.25 季節の変化 今年の夏はことのほか暑かった。 残暑も厳しく,1週間前には短パンとタンクトップでも汗をかいていたのだが,今朝は薄い布団を掛けて寝た。年齢のせいか, 温度 変化には敏感になってきた,と言うより, 適応がしにくく なってきたと言うのが正解かも知れない。 今年の夏の暑さは異常だったというが,私にとっては必ずしも苦痛ではなかった。私は8月生まれのためか,昔より暑さへの 耐性はあった。もっとも,体質的にたくさんの汗をかくので,たくさんの水分をとらなければならなかったが, 汗さえかいていれば快調だった。 たくさんの汗をかくことが暑さへの対抗手段だったのだと思う。 山登りでもたくさんの汗をかく。そのため,水を多めに持たなければならない。また,かいた汗の処理にも工夫が要る。いち ばん良いのは, 着たままで乾かすこと だ。夏などの気温が低くないときにはこれが最も良いが,気温が低い季節や高い山では,体温低下を招いてしまうので着替えな ければならない。 一方, 寒さ には「恐怖感」を持っている。日常生活では感じることはないのだが,テント泊のときに,恐怖を感じたことがある。稜線のテ ント場は夕刻になると急激に冷え込む。持って行ったものを全て着込んでも温かくならなかった。体調不良で発熱したた めの寒気だったのだが,このまま震えが止まらなかったらどうしようと思った。 こんなことから,登山装備では,水の量が増え,着替えの量が増えることになり,軽量化の妨げとなっている。 北海道の大雪山系では紅葉が始まり,昨日は降雪の便りもあった。本州の山が冬を迎えるのももうじきだ。なぜか,わくわく してしまう。 2007.10.17 perl 60の手習いで,今 「perl」 を勉強している。私とプログラム言語との付き合いは, FORTRAN に始まる。その後,ご多分に漏れず BASIC をやり,現在は VB を使っている。幾度か C にも挑戦したが,これは素人が使うものではないとの結論を得て,諦めた。 おかげさまで,大きな抵抗感も無く,理解できている。しかし,脳が硬くなっているのは疑うべくもなく,記憶したと思って いることが,全く頭に入っていないことも多く,苦労している。 perl(パール) と言っても真珠 (pearl) ではなく, Practical Extraction and Report Language の略で, CGI を記述する言語の一種である。 ホームページ上で, アクセス制限 をかけたり, メールフォーム を動かしたりするためには,どうしても CGIプログラム を作る必要があり,以前から学びたいと思っていたものだ。 ネットで 10日でおぼえる perl 入門講座 と言う本を購入し,実行しながら読み進めている。 「10日間」 でマスターするのはとても無理だが,簡単なプログラムは組めるようになった。メールフォームを作成し,勤め先のホームペー ジにUPした。 もっといろいろなことをやりたいと思っている。 2007.11.13 道徳教育の教科化 マスコミは,教育再生会議が,道徳教育の充実のために「道徳」を「教科」とすることを提言し,中央教育審議会が「教科に はなじまない」として,教科化の見送りを決めたと伝えている。もっともなことである。 1 現在の道徳教育について 現在の道徳教育がどのように行われているかは,一般にはあまり知られていない。 簡単に言うと 「道徳教育」は学校の教育活動全体を通して指導するもので,その集約をするのが「道徳」の時間で ある。 けっして「道徳」の時間だけで道徳教育を行うものではないとしている。そのため,「道徳」の時間は,子どもと最も多く接し, 最も良く理解している学級担任が指導することになっている。 現在の「道徳」の時間の問題点は,指導者の技量にも依るが,授業で扱う内容と,現実とのギャップに 「しらけ」 てしまうことだ。 道徳の時間に扱う「徳目」には色々あるが,例えば「公共の福祉」を扱う教材で,いかにその大切さを説いても,「自分だけ 良ければいい」という自己中心的な人間が身の回りにあふれていると,「しらけ」てしまうのである。 2 道徳教育は学校だけではどうにもならない 文科省が直接に管轄できるのは「学校」であり,そこに注文が集中するのは分かるが, 社会が変わらない限り,焼け石に水の感はぬぐえない。 子どもの 道徳観の醸成 に最も深く関わっているのは,言うまでもなく 「親」 である。親が自覚しているかどうかにかかわらず, 基本的に子どもは親を見て親のまねをして育っていく。 成長すれば,親を批判的に見られるようになるのだが,そうなったときには,子どもの道徳観はほぼできあがっている。正に 「三つ子の魂百まで」 である。 親は,子どもが小さいときに, 「良いこと」 と 「悪いこと」 の区別をしっかりと教える必要がある。これが「価値判断の基準」になっていくのである。小さい子どもに「嘘も方便」を教え てはいけない。こうすると,価値判断の基準ができないままに大人になってしまう。 昔の親たちは,子供に 善悪の基準 だけは厳しく教えていたように思う。 自分は適当に生きていたくせに,子どもにだけは厳しくしていた。 でも,これが正解だったのだと思う。 今の親たちは優しく物わかりが良いが,実は,自分自身の 価値判断基準が曖昧なために,周囲に迎合しているだけに過ぎないのかも知れない。 3 マスコミに規制をかけることは絶対に必要 幼児期から児童期,成年前期の子どもに大きな影響を与えるものがもう一つある。それは, マスコミ だ。日本のマスコミの活動はまさに自由そのもので,表現の自由と言う観点からすれば,まさに理想的な状態だ。しかしその一 方で,青少年への悪影響についても 野放し状態 だ。猥褻画像や暴力場面についても,制限されるのはごく過激なものに限っている。 特に問題なのは, TVの影響 である。TVで人気のある 「お笑い番組」 にも大きな問題がある。学校で 「いじめ」 が大きな問題となっているが,TVの中では弱いものをいじめて笑いものにする番組が高視聴率を上げている。これを見ている 子どもたちは 「ジョーク」 といいながら,いじめの自覚もないままに 弱いものをいじめている。 TVの番組制作者側に 「自覚を」 といっても,全く無駄である。なぜならば,彼らは 「視聴率」 という経済的価値に命を懸けて仕事をしているのだから。 最もいいのは,社会のモラルが高まり, そう言う番組を見なければいいのだが ,そんなことができるくらいならば,こんな問題は起きない。 次善策として考えられるのは 「規制」 である。「規制」と言う言葉を出すと, 「文化人」 と称する人類が,異口同音に反対を唱え出す。「であるならばどうすればいいのか」と彼らに問いたいのだが,彼らは理想論ば かり振りかざし,具体的な提案を聞いたことはない。 政治の動向を見ても,選挙の結果を見ても,マスコミの影響は「恐ろしいほどに」大き いのだ。 2007.12.04 PISA 経済協力開発機構(OECD) は、57の国・地域の 15歳男女 計約40万人を対象にした2006年 国際学習到達度調査 (略称PISA) の結果を発表した。 これを受けて,各マスコミは, 「ゆとり教育により学力低下」 の論調を一段と強めているが,根底に 「日本人は優秀でなければならない」 という 「神国日本」 にも似たおごりがあるような気がして,素直に同調できない。 学力が無いよりはある方が良いに決まっているが,私がもっと重要な問題だと思っているのは, 「意欲のなさ」 である。 若者が自分の将来に魅力を感じず,将来に向けての意欲を失っていくことは,社会が成熟していったひとつの証でもあり,か つてアメリカにヒッピーがあふれたことと同因である。反対に,発展途上のアジアの国々ではその多くが上位に集まって いる。 「学力低下」 だけでなく 「意欲のなさ」 までが 「ゆとり教育の結果」 だと,強引に結論づけている新聞もあるが,そんな証拠はどこにもない。「ゆとり教育」がスタートする前から,学力低下や意 欲のなさは現れていた。 私は「ゆとり教育」の信奉者ではない。ただ,「ゆとり教育」だけを悪者にすることで, 問題の本質が見えなくなることを恐れている のである。 「学力」とは何か という問題も曖昧なままに 「学力低下」 が論じられている。「ゆとり教育」導入の原因ともなった 「詰め込み教育の是正」 はどうなるのか。 「知識だけ持っていても何もできない頭でっかち人間」 でいいのか。等々 新聞の投稿欄に 「疲れている子ども」 という記事があった。電車で見た小学生は,疲れ果てていて,子どもらしいはつらつさがないと言うのだ。これなど,教育以前 の問題であり,これこそ,最も深刻に考えなければならない問題だと思うのだが。 |