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思い出の山シリーズ 2 太 郎 山 1963年(昭和38年) 10月5日(土)〜6日(日) (作成日 2015年1月13日) |
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コース・タイム 10/4 宇都宮(12:28)⇒日光(13:45)⇒和の代(15:40)(泊) 10/5 和の代出発(6:03)→古川アルミ(6:15-25)⇒中禅寺湖(7:00)⇒三本松(7:25-35)→裏男体 林道分岐(7:45)→光徳ロッジ(8:00-15)→太郎山分岐(8:30-40)→ハガタテ頂上(11:00)→小太郎山(昼 食)(12:03-13:05)→太郎山(13:30-14:05)→お花畑(14:10-35)→志津分岐(15:15)→梵字滝飯場跡 (16:50)→三本松(17:55)→菖蒲ヶ浜(夕食20:05,就寝20:35)(泊) 10/6 菖蒲ヶ浜⇒(バス)⇒湯滝→小田代→西ノ湖→千手ヶ浜→赤岩→菖蒲ヶ浜〜(船)〜中宮祠 ⇒日光⇒宇都宮 同行者 大学の1学年先輩のHさん |
大学2年(1963年)の秋,サークル「視聴覚教育研究会」の1年先輩の
Hさん
と奥日光を散策した。前年4月に大学の教育学部に入学した私は,進路について悩んでい
た。教育学部は教員養成の場なのだが,まだ自分は教員になる決心が付いておらず,理系へのあこが
れを持ち続けていた。といって,理系の大学の再受験も決心がつかず,悶々としていた。こんな時,
先輩のHさんが声をかけてくれた。菖蒲が浜に泊まれる部屋があるので,そこに1泊して奥日光を歩
こうという。Hさんとはそれほど親しい間柄ではなかったのだが,誘ってもらって嬉しかった。Hさ
んは,たしか,日光に住んでいたと記憶している。 前日は,昼過ぎに 宇都宮 の自宅を出て,日光線で日光に向かった。その日は,日光 和の代 の兄の家に泊めてもらった。兄は,古川鉱業日光電気精銅所につとめており,和の代の社 宅に住んでいた。それまでにも幾度か山登りの前日に泊めてもらっていた。 10/5(土) Hさん とどこで落ち合ったか,はっきりした記憶はないが,たぶん, 三本松 のバス停だったように思う。三本松の 県営駐車場 は,現在のように整備されてはおらず,砂利敷きの広場だった。この頃は,まだ自家用車 は少なく,紅葉時期でも大渋滞は発生していなかった。 第二いろは坂 が開通したのが 1966年 だから,この時はまだ, 第一いろは坂 (当時はただ「いろは坂」と呼んでいた。)を 対面通行 していた。 三本松 から右に入り, 光徳 を目指した。 ![]() 光徳ロッジ という看板の前で撮った写真。 ![]() 手元にある古い地図を見ると,光徳には, アストリアホテル のほかに, 光徳ロッジ, 光徳荘, 光徳ケビン などの名前がある。 ![]() 奥鬼怒林道(山王峠林道)の太郎山登山口に,地図に書いてある 「矢島市郎句碑」 がある。 ハガタテ登山道 が土石流のために通行止めになってからは,訪れる人もほとんど無い。 矢島市郎 は,長野県生まれで,奥日光の山をよく歩き,1951年に 日光国立公園レンジャー の第一号となった人だ。 碑面には 白樺は 月が夜来て 晒すらし と彫られている。 ![]() ハガタテ は,直線的なガレの登山道で,当時はまだ通行止めにはなっていなかったが,落石が多く 危険なコースだった。白黒写真からは想像できないが,青空に紅葉が映えてきれいだった。 ![]() ハガタテコースは大きな石がごろごろする何コースだった。降雨の度に石が流れるため, トレースはついていない。自分で判断して,安定した石を選んで足をつくという登山で,標準タイム より1時間も多くかかってしまった。 ![]() 太郎山頂 での記念撮影。当時は山頂標識はなく,小さな石の祠があるだけだった。そのことがきっ かけで, 翌年夏に山頂標識を担ぎ上げる ことになる。 ![]() 下山は,旧噴火口のお花畑を横切って,志津の方に下った。現在 「新薙コース」 と呼ばれているコースだ。途中,新薙を横切るのだが,落石が多い上に,対岸の入り口が わかりにくく,道迷いがよく起こるコースだ。 下山してからは長い林道歩きがあり,林道を歩いているうちに日が暮れた。 菖蒲が浜 にある小さな小屋に,Hさんが鍵を開けて入り,簡単な夕食を食べて直ぐに床についた。 10/6(日) 翌日は, 湯滝 までバスに乗り, 西ノ湖 を目指して歩き始めた。 ![]() 西ノ湖 は,水位の変化が大きい湖で,秋から冬にかけては水位が下がることが多い。それから後, 西ノ湖は私のお気に入りの場所となり,年間に数回も行くことになるのだが,私が西ノ湖を初めて訪 れたのはこの時だ。 ![]() 対岸の紅葉がきれいだった。 ![]() 西ノ湖 から 千手ヶ浜 に出て,赤岩コースで 菖蒲が浜 に出た。このコースも,この時初めて歩いた。 ![]() 菖蒲ヶ浜 から 中宮祠 まで遊覧船に乗った。湖面から眺める湖岸の紅葉をはとてもきれいだった。 ![]() 中宮祠 からバスで 日光駅 まで行き,電車で 宇都宮 まで帰った。 この山行は,第一日目だけ細かなメモ書きが残っていた。そのときにはそれほど重要な こととは思わなかったのだが,後になって思い出すとき,そのメモ書きの重要さが分かった。 Hさんとは,そのあと一緒に山に行くことはなかったが,とても良い思い出として残っ ている。 |