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セピア色の写真 |
硫黄鉱山索道 1961年8月 那須岳(茶臼岳) では,石を積んでトンネル状にしたところに噴気を通し,噴気の中に含まれる 硫黄 を採集していた。 採集した硫黄はバケツに入れ,索道を使って麓に降ろした。この索道は動力を使わず, 鉱石の入ったバケツの重さで自動的に下降し,その力で空になったバケツを引き上げていた。 ![]() この写真を撮った 1961年 には,既に硫黄の採集は終了し,バケツも取り外されていたが, 丸太を組んだ塔 と太いワイヤーロープが残されていた。塔が朽ちて崩れた後も,しばらくの間は,真っ赤 に錆びたワイヤーロープが地面に横たわっていた。 当時の古い地図を見ると,現在の 峠の茶屋駐車場 の所に 硫黄鉱山事務所 があり,索道はその下の 弁天温泉 まで伸びていた。 那須岳ロープウエイ は,まだ建設されていない。 |
峰の茶屋 1961年8月 上の写真と同じ日に撮影した 峰の茶屋 テーブルの上に,ビン入りのサイダーなどが並べられ,手ぬぐいを被ったおばちゃんが 店番をしていた。注文すると,小屋の奥の石室の中から冷えたものを出してきて渡してくれる。 ![]() この場所は, 強烈な西風 が吹き付ける場所だ。そのため,小屋の三方には石が積まれ, 半地下構造 になっていた。小屋の裏には簡単なトイレもあった。 現在はその跡に立派な休憩舎 「峰の茶屋跡避難小屋」-宿泊は不可 が建っている。 |
志津小屋 1962年8月 男体山の裏側,大真名子山との鞍部 志津乗越 には,昔から修験者のための小屋があった。水場(溜まり水)もあり, 避難小屋 として使われていた。 ![]() 小屋の入り口には 志津行屋 と書かれている。まさに,修験者が「行」を修める場所なのだ。 現在(2009年撮影)の志津小屋 ![]() 現在は建て替えられ,ログハウス風のステキな小屋になっている。 |
アヤメ平 1964年 私が初めて尾瀬に行った 1964年 ころの アヤメ平 は,既に多くのハイカーに踏み荒らされ,池塘の周囲は地面がむき出しになっていた。 当時,尾瀬へ入る人の多くは, 大清水 か 富士見下 から入った。 尾瀬沼 には大清水, 尾瀬ヶ原 には富士見下と言うことで,上越線の 沼田駅 から大型バスをピストン輸送させて,大量のハイカーを運んだ。当時は, 鳩待峠 までバスは入っていなかった。 ![]() その後, アヤメ平 に入る人を減少させる目的もあり, 富士見下 へのバスの乗り入れが取りやめになり, 鳩待峠 への道路が整備された。 最近は,湿原復元の努力が成果を上げ,湿原が復活しつつあるが,その歩みは遅い。 最近,再び,富士見下までの定期バスが復活した。まだ知名度が低いせいか,利用者は 少ない。 |
工事中の川俣ダム 1964年 1964年 の尾瀬山行は, 富士見下 から入って, 山の鼻 にテントを張った。 至仏山 に登って翌日 尾瀬ヶ原 を縦断して 燧ヶ岳 に登り, 長蔵小屋 に泊まった。翌日 奥鬼怒 に抜けてきて,加仁湯に泊まった。 川俣温泉からのバスを,川俣で途中下車し,工事中の 川俣ダム を見学してきた。写真は, 工事中のダムサイト を撮した珍しい写真。 ![]() |
大清水小屋 1964年 1964年の秋 ,今度は 奥鬼怒 から 尾瀬 に入った。 朝, 日光沢温泉 を発って, 中俣沢 を下り,大清水の 大清水小屋 に泊まった。 午前0時を過ぎる頃から,大型バスが列を成して小屋の前の砂利道を通って到着し始め た。バスが通るたびに木造の小屋はガタガタと大きく揺れた。 ![]() |
長蔵小屋(自炊部) 1964年 大清水小屋に泊まった翌日は, 三平峠 を越えて尾瀬沼へ。 長蔵小屋 に泊まり,次の日に尾瀬ヶ原を縦断し 鳩待山荘 に泊まった。 写真は,長蔵小屋の出発写真。 自炊小屋の管理人さん を囲んで撮した。 この山行は,基本的に 小屋泊自炊 だったので,かなりの量の食料を担いでいった。大型のキスリングが懐かしい。 ![]() |
鳩待山荘の素泊券 1964年 朝に長蔵小屋を発って尾瀬ヶ原を縦断し,山の鼻から鳩待峠に登り, 鳩待山荘 に泊まった。 この 素泊券 は,そのときの鳩待山荘のもの。 物価が違うといっても,300円は驚きだ。 「39.10.2」(昭和39年10月2日)とスタンプされている。 ![]() |
ヨッピ橋 1967年 尾瀬ヶ原の北部, ヨッピ川 に架かる ヨッピ橋 は昔から吊り橋だった。 写真は, 1967年 のもの。木製の支柱からワイヤーを垂らして角材を結びつけ,板を渡しただけのような簡 単なもの。これも,冬に雪の害を避けるための工夫だったようだ。 もちろん,冬には板を取り外しておく。 ![]() 現在(2005年)のヨッピ橋 ![]() 現在は橋の長さも長くなり,太い鉄柱が,ワイヤーをしっかりと固定している。左右へ の揺れ止めも設置され,本格的な橋になっている。現在でも,冬季には板を取り外している。 |