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水晶岳・雲ノ平 4 2009年(平成21年) 7月21日(月)-25日(土) 第4日 7月24日(金) 水晶小屋〜太郎平小屋 第5日 7月24日(土) 太郎平小屋〜折立 |
第3日 7月23日(木) 黒部五郎小舎〜水晶 へ |
○ 第4日 7月24日(金) コース・タイム (休憩を含んで) 水晶小屋(5:40) → 岩苔乗越(6:20) → 祖父岳(7:15) → 雲ノ平山荘(8:30-50) → 薬師沢小屋(11:25-昼食-12:10) → 太郎平小屋(14:55-泊) |
昨夕から
深いガス
に覆われていたが,朝になるとガスも途切れがちになり,雲海も見られた。雲海に浮か
ぶのは
立山![]() 朝食 は質素だが,美味しく,十分に満足した。 ![]() この朝一緒に朝食を食べたのは 7人 左の2人が,出発前夜に折立で招待を受けた,群馬から来た ワゴン車のご兄弟 これから 黒部五郎岳 に向かうという。私たちの逆回りで歩く。 ![]() 朝日 が出て小屋の窓が明るくなった。カメラを持って外に出てみると, 野口五郎岳の右肩から陽が昇ってきた ![]() 槍ヶ岳 がほんの一瞬顔を出した。 ![]() 今日は,山頂をピストンしてから 雲ノ平 に向かう予定だったが,山頂へは昨日行っているので, このまま雲ノ平へ 向かうことにした。風は強くはなかったが,気温が低く 寒い。 きくさんは雨衣を着,私は手袋を着けた。 ![]() 小屋のすぐ近くに クロユリ が咲いていた。これは,黄色い斑が目立つので, ミヤマクロユリ ![]() 上空には 黒い雲 がたなびいているが,見通しは良く, 黒部五郎岳 には陽が当たっている。 ![]() 谷に蓋をするように 雲海 が広がっている。雲の下の谷は 岩苔小谷 この先に 高天原 がある。 高天原温泉 には魅力があるが,今回の計画には入っていない。 ![]() 岩苔乗越 ![]() 岩苔乗越 から 黒部源流 を見る。この沢を下ったところに 黒部源流の碑 がある。 ![]() 赤牛岳 は,赤褐色の山肌が特徴だ。 ![]() 祖父岳(ジイダケ) の山頂は広い。たくさんのケルンがルートを示している。ちなみに隣の 祖母岳 は バアダケ と呼ぶ。 ![]() 水晶岳 のガスも晴れてきた。 ![]() 足元に 雲ノ平のテント場 が見える。地図にあるテント場に 直接下る道は,通れない 。(残雪期だけ通れないのか,廃道になったのかは未確認) ![]() 分岐を右にとって, 尾根まわりで雲の平へ 向かった。分岐を左へ行くと,黒部源流の碑を通って 三俣山荘 へ行ける。 ![]() ハイマツ を保護するように 木道 が造られている。 ![]() ここでも ガンコウランの花 を見つけた。雪解け直後のガンコウランを見ると,つい花を探してしまう。 ![]() ヨツバシオガマ ![]() 雲ノ平山荘 ![]() 雲の平 ここは ギリシャ庭園 大きな石と,小さな花の配置が正に「庭園」だ。 ![]() 雲ノ平の木道が終わると, 薬師沢まで約400mを一気に下る。 苔の生えた丸い石が濡れて滑りやすく,神経を使う。下りでありながら,かなり疲れ た。 ![]() 薬師沢 の対岸に,懐かしい 薬師沢小屋 が見えた。昨年はここで引き返したのだ。でも,その反省に立ってプランしたからこそ, 今日まで無事に歩いてこられたのだ。 ![]() この 吊り橋 は,しっかりした作りで不安はないが,かなり揺れ,なかなかスリルがある。 ![]() 薬師沢小屋で昼食休憩 当初の計画では,第4日はここに泊まるはずだったのだが。水晶岳ピストンが省略で き,時間も早いので, 太郎平小屋まで行く ことにした。 標高が低いので,ここの チングルマ は綿毛になっている。 ![]() これは オオバミゾホオズキ ![]() キヌガサソウ の群落もあった。 ![]() エゾシオガマ ![]() 薬師沢 にかかった最後の橋を渡ると,急な登りが始まる。標高差にして250mほどなので,さほ ど苦にはならない。 ![]() 太郎平小屋 が見えてきた。 ![]() 薬師沢と北ノ俣岳の分岐 2日前,この右の道を進み,今,左の道から戻ってきた。 3日かけて一周してきた のだ。我ながら良く歩いたものだ。 ![]() まだ,明日の 折立 への下りが残っているが,今回の山行も ほぼ完了 した。今日は,良く 歩いたご褒美に 個室 をとった。部屋に荷物を置くと早速,外のベンチで乾杯。まあ, いつもの事ながら,この山行でもよく飲んだ。 と言っても,縦走コースなので自ずと自制し,翌日に残るほどには飲まなかった。 この小屋の食事は 2種類 あって交互に出している。良い具合に間隔が2日空いたので,異なったメニューを食べ ることができた。 食後もしばらくロビーや食堂で過ごし,8時頃に部屋に戻りすぐに熟睡。 ![]() |
○ 第5日 7月25日(土) コース・タイム (休憩を含んで) 太郎平小屋(5:55) → 五光岩ベンチ(6:50) → 三角点(7:49) → 折立(9:40) 折立駐車場 ⇒ 白樺ハイツ(入浴) ⇒ 立山IC ⇒ 太田IC ⇒ 宇都宮 |
久しぶりにゆっくりと
熟睡
できた。雨は降っていないが,ガスに覆われ,風が強い。でも,今日は
折立
に下るだけ。何の不安もない。 朝食 は,ししゃもの代わりに鮭の切り身。他はあまり変わらない。 ![]() 受付の女性と,この小屋のオーナー五十嶋博文さん この女性は,いつも笑顔で,登山者のいろいろな注文にも嫌な顔をせずてきぱきと対 応し,爽やかさを振りまいていた。オーナーの 五十嶋さん は,この山小屋の他に 薬師沢小屋,高天原山荘,スゴ乗越小屋 のオーナーも勤めており,かつては富山県の 自然公園指導員 も勤めていたという。前夜,いろいろなお話を聞くことができた。 ![]() 太郎平小屋 とオーナーの 五十嶋氏 について, 「北アルプス山小屋物語」-柳原修一著 東京新聞出版局 平成 2年6月 には次のように記述されている。 「(前略)戦後,景気の回復とともに各地の山小屋や登山道が整備されはじめ,登山も再び活況 をみせてきた。そして立山開発計画にともない,立山線が千寿ヶ原(当時は千丈ヶ原といった)まで 延長されたのを機に,五十嶋文一氏はガイドたちとも相談したうえ,念願だった山小屋建設を決意 した。(中略) 昭和30年6月中旬から建設作業を続けてきた太郎小屋は8月初め,整備された登 山道もない北アルプス最奥の山小屋として完成した。(中略)昭和33年,この年から太郎小屋に 文一氏の二男,”若オヤジ”の博文さんが入った。博文さんは昭和14年生まれで,中学校時代の 同期生に地獄谷雷鳥沢ヒュッテの佐伯満寿男さん,剣山荘の佐伯功麿さんがいた。彼はこの年,太郎小 屋を現在地へ移転新築した。登山者の利便,風雪など自然条件を考慮しての移転だった。7月末に 完成した新生太郎小屋は2階建てで40坪になった。この建物は現在でも帳場と大広間として利用 されている。(後略)」 いよいよ小屋を後にして下りにかかった。雨は降っていないが,風が強いので 雨衣をつけてスタート した。 ![]() 登ってきたときには悪天候のため気づかなかったが,周囲には一面 チングルマが 咲いていた。 ![]() 少し下ると 有峰湖 が見えてきた。大きな湖だ。この 有峰ダム 建設のために 道路が整備され ,その結果,折立までの交通も便利になったのだ。 ![]() ベンチ で一休み ![]() ツルリンドウ ![]() ツクバネソウ ![]() 登山口 まで降りてきた。 ![]() 今日は土曜日。 駐車場は満杯 だった。 ![]() これで 4泊(前泊を含めると5泊)の縦走が幕を下ろした。 昨年の反省を踏まえた万全の計画と,きくさんの絶妙な先導で,無事歩き終えることが でき,感激であった。下山口できくさんと握手を交わしたとき,胸にこみ上げるものがあった。 きくさんには,この後,自宅までの長い運転が残っているのだが,ひとまず安心した。 ○ エピローグ 今回の山歩きで気づいたこと,感じたことなどをまとめてみたい。 1 登山者 今回の山歩きでは,たくさんの登山者と出会い,いろいろな話を聞くことができた。 梅雨明けもまだと言うことで,本格的な夏山シーズン前の比較的空いた山であったためか,出会っ た登山者は例外なくマナーを身に付けた立派な人たちであった。新穂高から入って室堂に抜けると いう人。高瀬ダムからあのブナ立尾根を登って来た人,折立から入って槍へ行き,新穂高に降りる という人。それそれ,私たちより数段上のレベルの人たちだが,それぞれに”山の楽しみ方”を心 得ており,人まねではない山の楽しみ方を実践している。様々な経験をしているはずなのだが,決 して自慢話はせず,しかし敢えて話をしてもらうと,奥深いいい話をしてくれる。 2 山小屋 北アルプスの山小屋は,大きな小屋が多く,おしなべて環境は良いのだが,今回お世 話になった小屋は全て大満足だった。特に,スタッフの対応が良く,不快な思いは一切しなかった。 太郎平小屋のことは既に書いたが,水晶小屋の若夫婦も良かった。生後5か月だという「弘也」君 を連れて来ており,若いお母さんが背中に負ぶって応対しているのだが,人里離れた山奥で赤ちゃ んの泣く声が聞こえるのは,なんとも心が和む一瞬だった。カウンターも人がいないことが多いの だが,声をかけるとすぐに出てきて, 必ず「お待たせしました。」と言う。 3 体調,体力,膝関節痛 昨年の途中敗退の反省に立って,自分なりにトレーニングもし,体調維持にも注意し てきた。そのおかげか,さほど苦しまずに全コース歩くことができた。今まで苦しんできた膝関節 痛もなく,足のまめもできなかった。下山後も不思議なくらい筋肉痛も無かった。 今回の山行では5日間を通してCWXを履いて歩いた。以前にもCWXを履くと膝に 良いことは感じていたが,これほど効果があるとは思っていなかった。足のまめについては,小指 の外側が靴に当たり,日帰り山行でもよくまめを作っていた。そこで,まめの予防のためにカット バンを張ったのだがこれがかったらしい。靴紐の締め方も微妙に影響している。歩いてみて足に違 和感を感じたら,面倒がらずに紐を締め直した。 4 パートナー 最後になったのだが,今回の成功の最も重要なポイントはパートナーのきくさんだ。 きくさんには本当に感謝している。今回は,昨年に引き続きリーダーをお願いし,ずっと先導をし てもらった。私たちは,たとえ二人で歩く場合でも,必ずリーダーを決めるのだが,これは大切な ことだと思っている。リーダーには,体力的・精神的に負担がかかるのだが,きくさんは黙々とそ れをこなしてくれた。きくさんは私の体力も気持ちの持ち方も全て心得ており,私もきくさんを全 面的に信頼している。良いパートナーに恵まれたことが,この山行を成功させた最も大きな要素で あった。 第3日 7月23日(木) 黒部五郎小舎〜水晶 へ |